ガリ、ガリッ

 せっかくの春の穏やかな日差しすら、いっさい感じることのできない薄暗い部屋。そんな無機質な器具たちが並ぶ室内に、何かが砕ける音が反響する。やたらと柔らかいソファに体を沈ませていたわたしは、その不可解な音に眉をひそめた。同時に、体重を預けている相手を軽く横目で睨みつける。

 今日はお互い仕事もなく、久々にのんびりと一緒に過ごせると思っていたのに。暖かな体温にまどろみかけていたあたまが、無理やり覚醒させられる。春眠、暁を覚えず。とっておきの心地よい時は、ものの一音で奪われてしまうのか。

 わたしは、触れた背中から伝わる振動を、むしろ体を押しつけることによって止めようとしてみた。ぐい、と体重をかける。


「・・・どうした、構ってほしいのか?」


 返ってきたのは、冷酷さと愉快さを兼ね持つ、だけどどこか温かみを含んだ、いとおしい人の声だった。

 そのやわらかな声音に、うっかりまぶたが閉じてしまいそうになる。だめだ、すぐ眠くなってしまう。わたしは慌てて頭を振った。そこに、追い打ちとばかりに響く、あの音。

 ガリッ


「・・・あのさ、ジョーリィ」

「何かな」

「飴玉って、かみ砕くものじゃないんだよ?」


 知ってた?、と、嫌味まじりにつけくわえてみる。


「ほう、そうか。それは初めて知った。君はずいぶんと博識だ」


 のどの奥で笑う彼には、嫌味は通じなかったらしい。わたしはムッとして、体の向きを変え、彼の頬を指でつついた。飴玉の形を感じるかと思ったが、もうすでに欠片となってしまったようだ。女のわたしが嫉妬するくらい白い肌が、わたしの指にぴたりとくっつく。

 つんつん、と数回つついていると、その手首を掴まれた。


「構ってほしいなら、素直になったらどうだ?」

「勝手に勘違いしないでよ。わたしは、その不愉快な音を止めたかっただけ」


 手袋をはずした彼の右手が、わたしの頬を、仕返しとばかりに撫でる。


「不愉快、ねえ。あれをいちいち口の中で転がしていたら、糖分摂取に時間がかかるだろう」

「・・・飴ひとつたべるのに、効率なんて考えないでよ」

「ククク、なるほど。君はよほど、飴玉を噛むのが許せないらしい」

「だってうるさいもの。飴は、舐めて食べるものです」


 彼の手を振りほどき、腰に手をあててサングラスの中の瞳を見下ろす。自然と馬乗りのような体勢になってしまったが、そんなことはどうでもいい。

 すると、彼がソファの背もたれの向こう側に手を伸ばした。何をするのかと思えば、その指先にはキャンディをつまんでいる。なんだ、またあの音を響かせようってのか。取り上げてしまおうと、その指先に意識を集中させる。

 しかし、それは叶わなかった。わたしが腕を伸ばすよりも先に、彼がわたしの腰に腕をまわしたからだ。


「・・・なに」

「何って、冷たいな。教えてくれるんだろう・・・?」

「え、」


 サングラスをはずした、紫の瞳に釘づけになる。吸い込まれそうで、倒れそうになるのを必死に耐えた。逃げるように視線を少し外せば、彼の口元に赤い飴玉が見えた。

 そして、そのまま唇に甘い感触。ああ、くちづけられたのか、と理解すると同時に、飴玉が口内に転がり込んできた。


「む、んんっ」


 驚きのあまりに舌先で押し返そうとするが、ジョーリィは巧みに舌と飴玉を絡めてくる。甘い味が広がり、息苦しくなってきた。必死に彼の胸板を押し返す。


「・・・ぷは、甘っ!」


 ようやく解放され、息を荒らげるわたしの口から出たのは、そんな言葉だった。口の中が甘ったるくて、気持ち悪い。ためしにぺろりと唇となめてみると、いちごの風味が広がった。あまりのあまったるさに味なんて全然わからなかった。

 瞳にたまった涙を指先でこすると、わたしの呼吸を奪った犯人であるジョーリィが、さも可笑しげに首をかしげてみせた。


「ククク、なるほどね・・・。たしかに飴玉は、舐める方がはるかに甘い」

「へらへらして・・・さっきから何なのいったい!」

「私を責めるのか? 先に言い出したのは君じゃないか。飴玉は、舐める方が良いって、ね」

「・・・まさか」


 思い当たる節に、思わず目をみはる。そんなわたしを見て、ジョーリィはわざとらしく肩をすくめた。そして、バリッという何かが割れる音。

 つまり、そういうことか。わたしはため息が出そうになるのを、必死で飲み込んで耐える。飴玉を噛むな、舐めて食べろと言ったわたし。そして、教えてくれるのだろう、と愉快気に口元を緩めた彼。そこから考えられるのは、ひどく単純なことだ。


「舐め方を教えろって言っといて、つまり無理やりキスしただけじゃない」


 からかわれたのだ。わたしの苛立ちも、忠告も、彼はすべて自分の都合の良い解釈へと改変してしまったわけで。


「ほんと、無駄に頭まわるよね」

「褒めていただき光栄だねえ」


 そう言いながら、彼は再びキャンディをつまみあげた。次は、黄色い袋だ。わたしは、嫌な予感というか、おそらく絶対的中しているであろう予想に顔を歪めた。そして、袋を開けようとしている彼の手をつかんで、動きを止める。


「クク、どうした。この味は、お気に召さないかな?」

「味とかどうでもいい。もういらないって」


 無理やり飴玉を取り上げる。すると、わずかにジョーリィの瞳に苛立ちが横ぎったのが見えた。自分の思い通りにならないと、彼はすぐこれだ。

 わたしは、不機嫌そうな彼の目元に、そっと口づけを落とした。


「っ、」


 柔らかく触れて、すぐに離れる。さっきまで人をからかって、愉快そうに冷笑していたジョーリィだが、さすがに驚いたのか目を見開いている。信じられないといった表情だ。めったに感情を見せない彼の貴重な瞬間を、わたしはちょっと得意げに感じた。


「・・・なんだ。珍しいことをしてくれるじゃないか」

「ふふ、いつもわたしを見下してる罰だね。そして、たかだかキスしたいだけに、飴玉を言い訳に使わないでよ」


 素直じゃないなあ、とつぶやく。

 いつもと立場が逆転してしまっている状況に、ジョーリィは少しだけ眉根を寄せて、困ったように苦笑した。その笑い顔がひどく幼くて、不覚にもドキリとする。


「まったく、君には敵わない」


 わたしを引き寄せる腕。そして、わたしの胸にあふれる想いは、さきほど口にしたストロベリーの香りよりも、よっぽど甘ったるくて、愛おしかった。




極彩色の唇に

( 甘さを加えたなら、もう永遠に逃したくなくなるんだ )



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飴玉って可愛いよね!とのアンケコメをいただいたので、ジョーリィとあなたに飴玉を差し上げます。ジョーリィの照れ顔おいしいです、もぐもぐ。/タイトル「オープンセサミ」さま

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