月が雲に覆われてしまった都会の隅で、わたしは無我夢中に走っていた。

 荒い息が白く染まる。服も化粧もぐちゃぐちゃで、端から見たらひどい格好なんだろうと思う。だけど足は止まらない。行き先なんてものは、考えてなかった。ただ目の前の角を曲がり続ける。溢れた雫が頬を伝って、夜の闇に吸い込まれていった。

 何度目かの曲がり角で、ついに足がもつれ、倒れ込むようにアスファルトに膝をついた。様子を伺えば人通りのない裏路地。無残なわたしの姿を、街灯がチカチカと冷たく笑った。

 ああ、なにやってるんだろう、わたし。最悪だ。

 座り込んでも涙はとまらない。思い出したくもない光景が、頭の中でよみがえる。いやだ、考えたくない。頭を振って、暗い空を見上げた。息切れにのせて、全て吐き出せたらいいのに。

 ふと、夜の空を何かが横切った。鳥かと思ったけど、その影はどんどん大きくなって、わたしの目の前に軽々と着地した。ふわっと闇色のコートがひるがえる。もしかして、この見慣れた顔は。


「…あまいも、ん」

「こんばんわ、華子。今日は寒いのに、こんなところで何して…」


 近づこうとしていたアマイモンの動きが、ふいにぴたりと止まる。泣いてるのに気づかれたんだ。慌てて顔を伏せたけど、きっと隠せてはいない。

 彼は視線を合わせるように、わたしの前にしゃがみこんだ。


「泣いてるんですか」

「…うん」

「どうしてですか」

「…色々、嫌なことがあったんだ」


 全部、わたしが悪いんだけどね。脳裏にちらつく嫌な記憶。ははは、と乾いた笑みが零れた。わたしは今、どんなにひどい顔してるんだろう。

 アマイモンはしばらく黙ってわたしを見つめていたが、手を伸ばし、溢れた涙をそっと拭ってくれた。


「大丈夫です」


 はっとして顔を上げる。彼はいつもの無表情の顔だったけど、なんだかそれにすごく安心した。


「大丈夫、」


 ささやくような声で、優しく引き寄せられる。普段の強引さはなく、包み込むような動作だった。

 なんで、そんなに優しいの。わたしはアマイモンの気遣いに胸が熱くなるのを感じ、また泣いた。今度はずっと堪えてきた声をあげて、暖かい体温にすがりつきながら泣いた。

 アマイモンはよしよしと頭を撫で、黙ってわたしを抱き締めた。





「…もう、大丈夫。ありがとう」


 しばらくして、ようやく涙がとまった。泣きすぎて声が枯れている。もう本当にぼろぼろで、情けない。でも心は晴れ晴れとしていた。お礼を言って、アマイモンからそっと離れる。

 アマイモンは相変わらずの無表情で、家まで送ります、と言って立ち上がった。その手に引かれ、足を伸ばす。こけたときの傷がずきりと痛んで、苦労しながらも歩き出した。


「…華子」

「ん?」

「また、いつでも泣いてください」


 予想もしなかった言葉に、わたしは目を丸くした。そして、そのまま思わず吹き出してしまう。


「あははっ、なにそれひどーい。またわたしに嫌なことが起きるのを、期待してるみたいじゃん」

「はあ、確かに。でも、華子が無理して笑ってても楽しくないです」

「…アマイモン」

「だから、」


 そっと寄り添っていたアマイモンは、足の怪我をかばって歩くわたしを抱き上げた。お姫様抱っこ、というやつなのだろうか。夜独特の青い空が、彼のシルエットを飾りたてて綺麗だ。

 アマイモンはわたしをしっかり支えたまま歩いて、暗い路地を抜け出した。


「華子の悲しみは、ボクが全部たべちゃいます」





きみが笑ってくれるなら

( ボクは何だってしたいんだ )



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久々に弟くんを書こうとしてかなり悩みました。嫌な事、の内容は敢えてぼんやり。いっぱい苦しいときも、一緒に頑張っていきましょう。


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