ネクタイに指をかけ、軽く引っ張る。緩んだ隙間から覗いた第一ボタンを外し、詰めていた息を吐き出した。 長くて退屈な授業も終わり、赤く染まる寮への道をひとり、ゆっくりゆっくり揺れるように足を進める。沈む夕日が眩しくて、思わず視線を下げた。 しかし、寮まであと少しといった人通りの少ない道にさしかかった時。テンポを刻む足を止めてしまった。自らの足下に伸びる、長い影。それを見たわたしは今、きっと苦い顔をしていると思う。 行く手に、太陽を背にして立つ長身。道の真ん中に静かにたたずんでいる。赤い逆光の中でも、ギラギラした緑の輝きがふたつ見えた。 わたしの姿を認めたのか、影の口元は弧を描いた。三日月のような、人を惑わすカーブ。そして、カツカツと靴を鳴らし近寄ってきた。 「おかえりなさい、佐藤さん」 あと数メートルというところで歩みを止め、それは腰を折った。 綺麗で優雅な仕草をなるべく見ないようにして、わたしは肩の鞄をかけ直す。同時に、口を動かした。 「…こんばんわ、理事長。さよなら」 言うが早いか、走るような速度で地面を蹴る。 けれど、理事長の横に並んだとき、腕を伸ばされたせいで足が止まった。 「いい加減あきらめてください」 すっと彼の腕が腰にまわる。 わたしはそれを振り払い、後ろへ跳んで距離をとった。しかし、そちらは元来た道。しまった。向こう側に逃げるべきだったと、今さら後悔する。 「こっちの台詞よ。毎日よく飽きもせずに待ってますね。理事長ってひまなの?」 放課後、彼はいつもここでわたしを待っていた。そしていつも、家までお送りしましょうかだの、手を繋ぎましょうだの、第一印象から決めてましただの。とにかくよくわからない愛の言葉をぶちまけてくる。 なんでこんなのに好かれたかな。かなりのいい迷惑だ。今日もさっさと振り切らないと。 「とにかく、わたし帰りますので…」 「ネクタイ」 「は?」 とんとん、と長い爪先が第一ボタンのあたりに触れた。 「いつも思っていたのですが、放課後だからと言って、緩めてはいけませんよ」 腕が伸び、あっという間に第一ボタンが閉められた。急に教師ぶるなとか、その爪危ないんじゃないかとか。そんな言葉はするりと喉を滑り落ちていった。指先に集中し、伏せられた長い睫毛に不覚にもどきりとしてしまう。 高鳴る心臓をおさえていたら、理事長がわたしのネクタイを上げながら呟いた。 「…本当に、好きなんですけどねえ。貴女のこと」 消えそうな、声。 気付いたら、わたしは彼の腕を掴んでいた。 「…あ、の」 「ネクタイを閉めてあげただけじゃないですか。そんな嫌がらなくても、」 「わたし、理事長のこと、好き、かも。みたいな」 わたしは何を言ってるんだろう。バクバクとうるさい心臓が痛い。冷静な思考が、わたしを責め立てる。 でも、本当は気づいていた。帰り道、いつも彼を探してしまうこと。迷惑だといいながら、会議か何かで姿が見えない日には、興味を失われたと不安だったこと。 わたしはいつの間にか、彼の魔法にかかっていたんだ。気づかないふりをしていたけど、とっくに、きづいていた。 顔を上げると、理事長の真ん丸な目がわたしを見つめていた。いつもの悪魔の笑みが剥がれた、素の表情。 見たことのない表情に、わたしは思わず笑ってしまった。 路地裏で拾った恋 (……) (…って理事長、ちょっとフリーズ長いですよ?) (…決めた) (え?わ、ちょっと!なんでネクタイ取るの!?) (こんなものを締めるより、脱がせたいと思ったからです) (!?) (さあ、覚悟はよろしいですか?…華子) - - - 最初はもっとどろどろしてましたが、理事長にネクタイを締めてほしい欲が勝ちました。タイトルはloathe様より。 |