ユーシスの言葉に打ちのめされて、だからといって落ち込んでいる暇もないジェスは自分でもダリヤを探しに出た。レンフォードはダリヤを逮捕するために探している。ジェスは自分でもどうするべきか決めかねたまま、ただダリヤを探していた。

 レンフォードは少なくともダリヤを不利な立場に置くために捕まえようとしているわけではないことは分かっていた。このまま放置していたら、確実にダリヤはデュースたちの手によって消されるだろう。ある意味ダリヤを守る行為でもあった。

 勿論ジェスが単独で見つけて助け出すことは出来るだろう。ジェスにならそれができた。そうでなくともジェスたちが見つけ出し、秘密裏に逃亡を手助けを部下たちに強要することすら可能だろう。部下たちはジェスの言うことなら何でも聞いた。それは今までジェスが理不尽なことを命令することがなかったからだろう。

 だがダリヤを逃がすことは確実に法に反している。そして、それは自分を信じてくれる部下を再び裏切ることになる。一度すでにジェスはダリヤに殺されることを選んだときに、部下たちのことを無意識に切り捨てたのだ。あの時だけはダリヤを選んだ。

 同情なら止めておけと言った親友の言葉が、胸のうちを通り過ぎた。同情と憐憫しか持たない自分が何をやったところで、ダリヤの心に響くはずもないもないのにだ。



 久しぶりに訪れる我が家はまるで他人の家のように見えた。中央に来て以来、ほとんど寝るためだけの家だったが、ここ数ヶ月はほとんど司令部に詰めていたせいで、余計にそう感じられた。今日戻ってきたのは着替えを取りに来ただけだった。そしてまた司令部に詰めるつもりだった。

 着替えくらいレンフォードが取りに行くと言ってくれたが、ジェスは他人を自分のテリトリーに入れることを好まなかった。例え副官であれ、いや自分に上官以上の感情を秘めているレンフォードだからこそ、そのラインは守っていかなければならないと思っていた。

 妻が死んだ後、見合い話が何度もジェスの元へやってくることがあった。ジェスの妻が浮気していたことは、上層部の中では公然の秘密だった。むしろ妻の死んだ浮気相手の父親の手の回し方から見てみれば、殺したのは浮気相手ではないのかと誰もが思っていただろう。

 だからすぐにでも良い条件があれば再婚するだろうと、山のように上層部は自分に縁故のある娘たちをジェスの元へ連れてきた。だがその中で最有力だったのはレンフォードだった。

 彼女だったら気心も知れているし、何があろうとも妻のように裏切ることはない。新たな伴侶としては彼女以上の女性はいなかった。それでも女性というものに嫌気が差していたジェスは、レンフォードを妻とするよりも、副官としていることを望んだ。部下としても人間としても尊敬すべきレンフォードが、自分の妻となった途端軽蔑すべき女に変わるのを恐れたのだ。

 

「中将」

 玄関のノブに手を触れた時に後ろから声がかけられた。驚いて振り向くと、そこにはダリヤが立っていた。

「ダリヤ!?」

「意外に元気そうでびっくりだ…たった三日で、よくもそんなに動けるようになるよな」

 確かに心臓は止まっていて銃弾を六発全部打ち込まれたのだから、三日で動き回っているのは何も知らないダリヤからしてみれば、異常としか思えないだろう。

「君の研究の成果だ」

「そうか……俺の」

 何故だか自嘲的に笑うダリヤを前に、ジェスはどうダリヤに接したら良いか迷った。ダリヤがここに来ていたのは、ジェスに助けを求めに来たのだろうか。

「顔色が悪い」

 満身創痍のジェスよりも余程、青白い顔をダリヤはしていた。

「……撃たれたから。アンタと一緒で」

「なに?」

「あ、大丈夫。アンタが動けるのと一緒で、俺も自分の魔術で応急措置をしたから平気。アンタと違って一発しか撃たれてないし。肩だから致命傷にもならないし」

「来なさい」

 有無を言わさずにジェスはダリヤを自宅に招きいれた。特にダリヤは拒否をすることもなく付いてきた。いくら魔術で応急措置をしたとしても、失った血液や内部の組織までは完璧に治りきっていないかもしれない。ジェスがそうであるように。

 そうでなくとも逃亡生活をしてきたダリヤに疲労が重なっていることは間違いないだろう。

「俺なんか匿って、ばれたらどうすんの?俺お尋ね者だぜ」

 馬鹿なことをするんだなという様に、ダリヤは苦笑する。

「なら、どうしてここに来たんだ?」

 ダリヤがジェスを暗殺しようとした犯人だと告発したのは、ジェスの部下たちだ。それくらい予想できないダリヤではないだろう。ここに来たら即ジェスに逮捕される可能性だとてダリヤなら十分に予想できたはずだ。

「…殺しにきたのか?私を……今度こそ止めを刺しに来たのかな」

 それでも良いと思ってジェスはダリヤに訊ねた。もう二度と会えないかもしれないと思っていたダリヤが、ジェスに会いに来た理由がそうだったとしても、感謝さえするだろう。

「まさか…そんな馬鹿な真似するかよ。今更アンタを殺したって、何の利益も無いだろう?飼い主からは見放されて、殺人未遂犯になっているっていうのに、この上俺に殺人犯として指名手配されろって言うの?」

「そういうわけではない…ただ」

「ここしか思いつかなかったんだ……どうしてかな。いつも最後に思い浮かべるのはアンタのことだ…良い意味でも、悪い意味でも。アンタが生きてるって聞いて、やっぱりなって何故だか思ったよ」

 ずっと昔ジェスに助けられて以来、ある意味ジェスの存在はダリヤにとって呪縛のようなものだったのかもしれない。ダリヤの言葉からは、ある種の信仰にすら似ているようにも感じられた。

「意外と狭いんだな…生活感もないし」

「ほとんど寝に帰るだけのものだしね……君も部屋のほうがもっと生活感がないと思ったが」

「俺も…ほとんど研究所にいたから。あのアパートは、中将の元に配属されるときに割り当てやれただけだからな…アンタと一緒でほとんど寝るだけのものだった」

 取りあえずダリヤをソファに座らせると、ダリヤは所在無さ気に落ち着かない素振りを見せた。沈黙が怖いかのように話し続けた。

「昔…何時も想像していたんだ。中将の家ってどんなところかなって…ほら、会うのはいつもあの娼館だっただろ。あの狭い部屋しか、俺は知らなかったから」

「あの頃だって、今とほとんど変わらなかったよ。独身の男の一人暮らしなどこんなものだ」

 そんなことを言いながらも、きっとあの小さなリヤはそんな些細なことに憧れていたに違いない。あんな小さな少女が誰にも知られないように、ひっそりと小さな薄汚い部屋の中の密会など望むはずもない。そして今さらそんな些細な願いが適えられたとて、嬉しくもなんともないだろうけれど。

「奥さんがいた時はどうだったの?大きな一軒家でたくさんの部屋があった?…奥さんは?きっと料理とか上手くて、綺麗で、素敵な人だったんだろ?」

 ダリヤはかつてないほど饒舌で、昔のジェスのことを聞きたがった。そうしなければ間が持たないとでも思ったのだろうか。それとも純粋に好奇心なのだろうか。

「そんなに…君が想像するほど良いものではないよ」

 余り過去のことは語る言葉をジェスは持っていなかった。特に死んだ妻に関しては。

「話は後でしよう。君は血を洗い流してきたほうが良い。服にも血がついている…着替えは用意しておくから」

 話を逸らす目的でもなかったが、ダリヤの装いは酷いものだった。服には血がつき、銃で撃ち抜かれた痕もまざまざと残っていた。魔術でなら元に戻すことができただろうが、そこまで頓着しなかったのかもしれない。

「風呂に入ってきなさい。血がついている」

「風呂?…」

 何故だか不思議な顔をするダリヤの手を引きバスルームに押し込んだ。使い方くらいは分かるだろうと思い、説明はしなかった。

 水音がするのでちゃんと言われるがままシャワーを浴びているのだろう。ジェスはダリヤの着替えを探したが、自分のもの以外何もあるはずが無かった。妻の遺品は全て処分してしまったし、自宅には誰も上げたことはない。仕方なく新品のパジャマを置いておいた。サイズは当然合わないだろうが仕方がない。

 ついでに何か食べるものでもないかと探し始めたが、ほとんど自宅に戻っていない時点で食料になるものなど皆無だった。パスタや小麦といった日持ちするものならあったが、料理する気分にもなれず、ダリヤの嗜好も分からないので缶詰などを並べておいた。

「中将…これ」

「ああ、サイズは自分で合わしたのか。すまないね、そんなものしかなかった」

 パジャマを自分に合うサイズに直し、それを身に纏ったダリヤが姿を現した。黒い衣服ばかり身につけていたダリヤが正反対のアイボリーの淡い色彩を身につけていると、清廉ささえ漂わせており、とても今指名手配されている少年とは思えなかった。

「髪をきちんと乾かしていないだろう?風邪を引く」

 ダリヤの手に持ったミニタオルを奪うと、雫の落ちる髪を拭こうとするとダリヤはビクリと振るえ大声で拒絶した。

「あ、アンタ……な、何やってるんだよ。自分で…それくらいできる」

 恥じ入るようにダリヤはジェスの手からタオルを奪い返すと、頭からすっぽりとタオルを被り俯いてしまった。

「今日のアンタ、なんか変だよ」

「そうかな?」

「そうだよ!……まるでロシアスさんがローズを構うみたいにして!優しい中将なんて気持ち悪い」

 子どもを構うように扱ったせいか、ダリヤは憤慨していた。その様子は何だか子どもっぽく、そういえばまだ子どもと言っても差しさわりのない年齢じゃないかとも思ったが、そういえば余計に怒るだろう。

 おまけに優しいジェスは気持ちが悪いとまで言われてしまった。こんな時なのに思わず苦笑してしまった。

「おまけにこんなパジャマなんかくれたって、出て行けるような服装じゃないだろ?もっとちゃんとした服をくれ」

「どこにも行かなければ良い……ここにいれば良い」

 気が付いたらそんな言葉が出ていた。そうすることが一番正しいと思えたからだ。ここに、ジェスの目の届く範囲の場所にいて欲しい。そうしなければ安心が出来ない。

「デュースの弱みなら私はたくさん握っている。憲兵本部をああも早く出れたのは、弱みを突いたからだ。君の容疑も…どうにかする。もうあんな男に君を言いように使わせたりはしない」

 ジェスにならデュースを黙らせることくらいなら簡単にできた。ただそれをしてこなかったのは、大総統選を控え目立つことは極力避けたかったためだ。これ以上余計な手出しはできないように、デュースの手足はもぎ取ってある。処分はジェスが大総統になった後でも、十分できるからだ。

「でもそれじゃ、中将は大総統にはなれない」

 クライスが死に、ジェスの殺人容疑もすっかりと晴れていないこの現状では、ダリヤの言うように疑惑をすっかりと晴らすこともできない。ジェスにとってあまり芳しい状況ではないことは確かだった。以前のジェスは潔癖で、付け入る隙すら与えない、現大総統の後ろ盾すらある、まさに完璧な次期大総統候補だった。ただ、今それが少し揺らいではいた。

 あの時クライスを殺さずに捕まえれば、それで万事上手くいっただろう。あの男はダリヤを殺そうとしていたが、ジェスならば殺さずとも捕らえることは可能なはずだった。しかしジェスはそうはしなかった。

 これ以上ダリヤを苦しめたくはなかったからだ。クライスは捕まれば確実に死刑になるはずだった。あれだけの人を殺したのだから当然のことだし、ダリヤもそれを覚悟していたに違いない。

 ジェスがクライスを憎んでいた以上に、きっとダリヤは実父を憎んでいた。ダリヤの人生を変えてしまう原因を作ったのは実の父親であり、彼の家族をも不幸にし、母親を失意のどん底に突き落としたまま死なせたのだから。

 だから自分含め誰もが、ダリヤは父親が死刑になったとしても悲しむこと等ないと思っていただろう。

 だがジェスは一思いに殺すことを選んだ。裁判で自分の父親のした卑劣な行為が詳細に暴露された挙句、処刑される様をダリヤの叩きつけることができなかった。それくらいならいっそ、ジェスが一思いに殺した方がダリヤのためではないかと思ったのだ。

 どれだけ憎もうが、ダリヤにとってたった一人の父親だ。悲しまないはずはないだろう。

 クライスが殺した数多くの家族の思いよりも、ジェスはダリヤを取った。勿論自分のした行為がどれほど自分勝手で、偽善的か誰よりも自覚をしていた。例えクライスをあの場で殺したことが、世間体に見て正当な行為であったとはいえ、自分の心中はそうではなかった。たった一人の小さな少年のためだけにしたことだったからだ。

 そのせいで、自分の潔白を証明する機会を永遠に失ったことも後悔はしていなかった。

「俺なんかを囲っているのがばれたら、困るだろ。このまま俺を突き出せば良い。そのほうが楽だよ。今でもアンタならどんな手を使ってでも大総統になれるだろうけど、それがより確実になる」

 それで本当に構わないというような表情をしていた。確かにダリヤを自宅に匿っていることがばれれば、大総統になることなど叶わない。ダリヤを選べば、それは信じてきたものたちを裏切ることになる。それはレンフォードに言われてからも、言われる前からも何度も考えたことだ。

「君を……もう二度と見捨てることは…裏切ることは出来ない」

「アンタって結構不器用な人間なんだな…」

 首を傾げて口だけで笑ったダリヤは、今まで見た彼の中で一番幼く見えた。

「俺なんかには、大切なものが少なすぎるから、一つしかないから……それ以外のものはどうだって良い。大事なものはたった一つだけだ。だからなんだって簡単に切り捨てることができるよ。でも、アンタは大切なものが多すぎて、皆を庇おうとする。上に立つものとしては正しいのかもしれないけど……それじゃ、一番大切なものを守り通せないぜ」

 言外に、ダリヤすら切り捨てられないようでは大総統など無理だと含みを持たせば、ジェスは苦笑した。その通りだ。今までは大総統になるという目標しかなかったから、それだけを見て、他は切り捨ててこられた。クライスへの復讐へすら、その道への一歩にしかすぎなかったはずだった。

 だが今はダリヤという存在が出来てしまっていた。大総統への椅子と天秤に掛けた際に、どちらに比重を傾けたらいいか迷うような存在を。



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