「母さん…大丈夫?苦しくない?」

「大丈夫よ…」

 もうずっと母は具合が良くなかった。それは最近に始まった話ではなかった。故郷を追われ、行く当てのないまま彷徨うような暮らしを続けていたせいだろう。元から丈夫ではなかった母の身体を病魔が蝕んでいった。母も働けず、幼い兄弟しかいない暮らしの中で、ろくな治療をしてやることもできなかった。もう母の命が長くは無いことは誰の目にも明らかだった。

「ダリヤ…」

 もう自分の命が長くないことを悟っているせいだろうか。この前まで母の目は死を覚悟しているもの特有の穏やかさがあった。それが今はダリヤのせいで、こんなにも辛そうな目をさせてしまっていた。

 死地へと向かう母に心配をかけてはいけないと分かっているのに、こんなことをしでかしてしまって、どんなに母が心を痛めているか、それだけがダリヤの気がかりだった。

「ごめんなさい…母さん。馬鹿な娘で」

 ほとんど体温を感じさせない冷たい手を握り、ダリヤは母に懺悔をする。

「ダリヤ…あなたはとても良い子よ。お母さんの自慢の子…でも、母さんと一緒ね。男を見る目だけは無かったわ」

「違う!あの人は、あんな男は違うんだ!」

 ダリヤたちの父親がどんな男だったか、昔は知らないままだったが、今はもう知っていた。どんな風に世間で噂されているか、父親の名前が耳に入ってくるたびに、耳を背け、関係のないふりを必死でしていた。こんなに母に苦労をかけさせたのも、故郷をいられなくなったのも、当てのない放浪の旅も。そしてユーシスとの別れも、全ては父のせいだった。

「優しい人なんだ…この子の父親は。責任感があって、とっても偉い人なのに部下思いで、小さな子どもにも優しい人だよ。俺たちを捨てた、あんな男と一緒じゃない!」

 必死でジェスの良いところを母に言い募った。彼が昔ダリヤとユーシスを助けてくれた人だと言ったら、きっと母も納得してくれただろう。そう思うのに、真実を話せないことを苦々しく思った。

 例え大事な母親でも話せないのだ。ジェスのことは。

 彼が今大事な時期なのは噂話しか知らないダリヤにも良く分かっていた。ジェスはあまり自分のことを話してくれないから、ダリヤは噂で流れてくることでしか判断できない。でも、今こんなスキャンダルが出ていい時期ではないことは明白だった。ジェスは今中央政府で夢を叶えるための戦いをきっと必死でしているはずなのだ。ジェスの夢が実現する一歩をダリヤが邪魔をするわけにはいかないのだ。

「本当に優しい人なら、ダリヤ…あなたをこんな目に合わせたりしないわ。責任感のある人なら、こんな小さなダリヤをどうして放っておくの?あなたはまだ14歳なのに…」

 母の言いたいことは理解できる。子どもを持つ母親としては、当然の態度かもしれない。

 でも、ジェスは地位も名誉もある。こんな子どもを恋人にしていたことがばれたら、彼の立場が無いのだ。それは何度もジェスに言われていたことだった。

 それに彼は今度のことは何も知らない。ダリヤが勝手にしたことなのだ。また産むなと言われることを恐れて、中央に向かうジェスに結局何も言わないままだった。

「命の心配だってあるのよ…貴方はまだこんなに小さいの。でも、ダリヤは頭が良いから分かるでしょう。子どもを産むことは簡単ではないのよ。育てるのはもっと難しいの……お母さんが言えたものじゃないけれどね。ユーシスもちゃんと育ててやれなくて、ダリヤ、貴方にもこんなにも苦労させている。でもあなたにはちゃんとした人と結婚して…幸せになって欲しかったのよ。お母さんが死ねばだいぶ楽になるのに…まだ14歳だっていうのに自分から苦労を背負い込んで」

「分かっている…分かってるよ。ごめん、ごめんなさい」

 ダリヤは14歳という年齢を、誰よりも痛感していた。結婚も認められない年齢。ただでさえ歳よりも幼く見られる外見。きっと外見同様、身体も育ちきっていない。母の言うようにどんなに危険を冒そうとしているか分からないほど馬鹿ではなかった。

 それでも、もう、あんな思いはしたくはなかったのだ。ジェスに言われるがまま訪れた、寂れた病院。ひっそりと葬った命の痛みを、覚えていた。ジェスに知られないように、母にもばれないように、誰にも見られない場所で一人泣いた。

『すまない』そう言ってくれたジェスの言葉を糧に、耐えたあの過去。もう繰り返したくなかったのだ。

 今だって母の薬代も満足に出せない状況の中、子どもを育てていく術はなかった。産んだ後、自分自身が生きているかすら分からないし、しばらくは働けない。今までだって、ジェスが情事のあとわずかにくれるお金でやっと生きてこれたような状況なのだ。

 だけど、きっとジェスが戻ってきたら何とかしてくれると、そうその時は楽天的に思っていた。



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