残骸を踏みつけて生きるより、残骸に生きる意味を学べ。
坂田が恩師に訊かされた教訓のひとつであった。万事屋の壁にかかる糖分の文字は一見すると教訓のようだが、実は冒頭のカモフラージュである。
当然のことながら、そのことを新八も神楽も知らない。知っていたとしても決して口にはしない。そも万事屋はそういう集まりだった。

コラージュのように様々な文化、人種、天人まで転がり込んで貼り付けられた江戸は坂田が暴れた昔とは異なっていた。それは本人がいちばん分かっていて、偲ぶことさえままならないほど江戸は目まぐるしく上書きを続ける。
新八はすこしだけ知っていた。坂田が参加した戦いの名を。生涯おもいつづける恩師の名を。だけれどそれを伝えたところで彼の紅い瞳は揺るがない。銀髪に風を吹かすことすら幼く弱い新八にはむずかしかった。

「銀ちゃんのマミーってどんなひとアルか」
おつかいの途中で神楽が新八に問うた。今ごろ万事屋の主人は悠々とソファに寝転んで今週のジャンプを嗜んでいるに違いない。
「僕はしらない」
「じゃあパピーは?」
「しらない」

なにもしらないアルか、と神楽がふてくされたような声を出した。新八はわけもなく泣きたくなった。


家について買い物袋を机に置く。部屋には甘い匂いと温まった空気がたゆたう。新八は先ほどの神楽の言葉が脳裏にこびりついて、もう考えることに疲れていた。そのうえにこの緩く甘ったるい室内。心臓の下らへんがもぞもぞとうるさい。
新八は涙も胃酸も怒声もこらえて、窓に手をかけた。ちからいっぱい開けると冷気がひゅうと身にしみて、思わず肩をすくめた。けして礼儀正しくはない冬の風は万事屋の暖まった空気をかき乱して揺り動かして、それでもなおそこの住人の心身を冷やす。うつらうつら微睡んでいた銀時はいそいで起き上がったかとおもうと、開けたばかりの窓を閉めにかかった。

「ちょ、なにするんですか」
「なにって新八こそなにやってんだよ!寒い!閉めるぞ!」

新八も力では銀時に適わなかった。小気味よい音をならして閉まった窓は、心なしか疲れているように見えた。自分にそっくりだと新八は思った。

「ぎんちゃん銀ちゃん」
「ん?」
「そんな元気あるなら肉まん買ってくるヨロシ」

わすれてはならぬ。万事屋にはさらなる強者がいた。夜兎の一蹴りは新八が放つ渾身の一撃よりも強力である。
新八が「肉まんならさっき買ってあげたでしょ?みっつも」と呆れながら言うと「食べちまったアル」神楽は悪びれなく返答した。当たり前ながら銀時は嫌だと一言つぶやいて神楽の命令を断った。けれどここは歌舞伎町のお姫さま女帝さま神楽さま。むりやり銀時の首根っこをつかんで玄関から放り出した。裸足で冷えたコンクリートに投げられた銀時はまだ状況についていけない。
「神楽ちゃ、」
「口ごたえしたんだから肉まんだけじゃなくて、あんまんも買ってきてヨ」
「ハイ銀さんこれ財布と靴です。行ってらっしゃい」

にこり。
新八は良妻も顔負けの微笑みを銀時に振りかけてから玄関の戸を閉めた。ピシャリと痛そうな音をならして密封された万事屋は今や子供の城。お使いに出された召し使いに、わがままで可愛いお姫さま。それから気苦労のたえない幼い執事。
いたずらに笑う神楽を振り返った新八は、おなじく軽やかに笑みを持ち上げた。
外から、だめな大人のくしゃみが聴こえた。



/おしまいまできいて
11cm様に提出







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