ゼノブレイド


▼ 後継

 仲良くなる前に事後にいたるのがよくわからないの、とカギロイが顔をあげた。「戦争が終結したら生殖のために肉体関係が必要なことはわかったわ。でも、こういうことって最後の最後にするものよ」
 樽を介してあちらこちらに行き渡ったレックスの本が、本人作とは知られずカギロイの手元に渡ってしまったと聞いたとき。シュルクのぴょろ毛はなぜかピーンとはりつめ彼女に詰め寄った。
「――カギロイ。それ、読んだの?」
「読んだわ。知識以外にも書物はあるとマシューに教えてもらってから、シティーの付近に立ち寄ったでしょう。ノポン族の行商が今流行ってるから、って出してくれたの」
 お姉さんなら、向いてるかもしれないも――と真剣だったわ。なんの話か意味がわからなかったけれど、という。
「シュルク。男と女の説明からもう一度してくれる? ここでは生殖器――というんだったかしら。あれのあるなしは関係ないのよね」
「そこを深く問い詰められると、保健の時間が始まってしまう」シュルクは口元を押さえながら、目だけでカギロイの後ろを示した。「僕と君とではこういう話を直にするには、誤解を生むから――」
「誤解? はっきりしてよ。なぜ個室で二人だと問題があるの。コロニー9独自の暗黙のルールがわからなくて、ニコルも困ってる」
「ああ、わかるんだが、その。許可がおりないと厳しい」
「誰の許可よ」
「おい」レックスの声が頭上から降り注いだ。「ちょっと貸せ」
 カギロイが振り返る前に本をとられた。「ちょっと、返して! それ、結構高かったのよ!? なんで一般の書物より薄いのに」
「高いのかって? そりゃ個人単価だ。部数がたくさん刷れないわりに、在庫を抱えたら個人宅のスペースを占領する。ひとりが下げると全体で下げなくちゃならねぇし、高すぎても売れない。相場が昔から一定なんだ。まあそもそもこれは売るために書かれたやつじゃなかったが」
「レックス。言いたいことはわかるが、一旦整理しよう。カギロイも落ち着いて。紅茶でも淹れてくるから――」
「駄目だ。おまえ昨日カップを割ったばかりだろう。俺が淹れてくるから、ここで話してやってくれ」
 話すって、どこまで――! と言い終わらないうちに部屋を出ていく。一度閉めてしまった扉をカギロイが恨めしそうに見つめていると、かちゃりと開いた。「すまん。開けておく」
「っ、だからなんなのよ! シュルクはあなたと違って、私を傷つけたりしないわ」
 背中に向かって叫ぶカギロイを椅子に座らせ、シュルクは本を見つめた。いい機会かもしれないと思う。
「これ、面白かった?」
「全然。意味がわからないわ。なぜ裸エプロンのシュルクが――」
「あ。ちょっと待って」シュルクは問題の本をパラパラとした。「うん。これはちょっと中級レベルだな。確かにどうでもいい内容になってきている……ネタが枯渇したのか、アンチ避けにブラフとして出したやつじゃなかったっけ。げっ! やりたい放題じゃないか。これはちょっと……ええっ、こんなことまで!?」
「――シュルクはそれ、楽しめるのね」
 いや、楽しめるっていうか。と顔をあげると、カギロイは心底つらそうにそれをいった。「私、全然たのしくない。リュートは少し面白くなってきたけど、エイに比べたらまだ全然だし。小説……っていうのは読むのもしんどいし」
「これは小説といっていいかわからないけどね。お遊びの範疇だから……」
「でも、なんていうか」カギロイは大きくため息を吐いた。「笑ってるし。ニコルも最近はこういうものの意味がわかるみたいで、私が聞こうとすると真っ赤になって叫んでどこかにいっちゃうし」
「見せたの? 人に見せちゃダメだよこれは。個人で楽しむ範疇なら許されるレベルのものだ」ぽりぽりと耳の反対側から顔のラインを掻く。「特に本人は絶対だめだ。まあなぜ僕に持ってきたかは、薄々察しがついてるけれど」
「シュルクは――詳しいって」
「うん。詳しいね。なんで詳しくなっちゃったのか、時を巻き戻したいよ」
「……っ、なんでよ。面白いんでしょ。私にはわからないわ。口をつけて体に手を這わすことを考えると、ぞっとする。不潔だわ。いけないことよ」
 自分の身を守るように脇を向くカギロイが、このまま放っておくと真っ先に痴漢に合いそうな香りを発した。シュルクはだから嫌だといったのにッ、とレックスが戻らないか扉を見た。
「シュルク。どうしてみんなは、『これ』の話をいやがるの」
「――」
「困らせてごめんなさい。熱でもあるみたいだから、またの機会にするわ」
「いや、ごめん。君のいうとおりだ。あと、嫌なのに最後まで読んだの?」
「読んだわ。読まずに良くないものだって決めつけて、もう前のように戻りたくはなかったもの」
 これは――とシュルクに落ち着きがもどった。「きみ、書くほうに向いてるかもしれないな」
「? わけがわからない。私は答えだけほしいの。なぜこんなにもやもやするの?」
「……それを口で説明できたら、シティーで年端もいかない子供が妊娠したり、愛情もなく親子で交わったりするのを防げるんだけど」言葉で説明できたら、と繰り返した。「いいかい。男の子は興味を持つのはとても早いが、女の子と違って行為そのものに夢中になってしまう。一番楽しいはずの慈しみや情感を省いて、君くらいの年頃の子を心ない言葉の応酬で傷つけたりもする。そういう生き物だ」
「……必ずしも、肉体的対象が決まっているわけではないと言ってたわよね。私、コロニーでは女性に人気があるみたいなの」カギロイは初めて真っ赤になりながら、椅子に顔を伏せた。「ふたりきりになってはいけないと聞いてたのは男の人だけだったから、油断しちゃって――」
「! 何かされたのかい」
「ううん。でも、路地裏で意思がないことを伝えたら、馬鹿にしてるのって怒られちゃった。悪いことをしてしまったわ」
「……君が無事でよかった。では、これは?」
「何か自分が、その――性的なことについて、ニコルよりも遅れているなら。知っておかないと、いろんなひとを傷つけてしまうと思ったの。だって本当は……自然って、そういうことなんでしょう? 私たちにはわからなかったけれど」
 経験もなく理屈をつけるとどこかで歪みが出てしまう。シュルクは自分からその答えを弾き出しても意味がないなと思って、相手を促した。「うん。それで」
「きっかけがわかるなら、って教えてもらったのが、それだった。でも、私にはわからない。わからないまま、これから先、ゴールが決まってない長い長い人生を生きていけるの? あと一年や二年だと思うから、堪えてた。違うルールが増えて、先が不安で仕方ない――」
 顔をあげずに突っ伏したままの肩に手をやりかけ、ああやはり親子だなと思う。シュルクは立ち上がって、机を整理し始めた。
「……私、どうしたら」
「あった。これだ!」引き出しの奥板に隠した、たった数冊だけの薄い本を出してくる。「カギロイ。これは僕の宝物なんだけど、よかったら君にあげるよ」どこか懐かしい響きを持って、その中でも一番いかがわしい配色の本をカギロイの膝に置く。
「――なにこれ」
「秘蔵中の秘蔵さ。所有しても置き場所に困るから、僕の手持ちはこれだけだ。心して読んで、感想を聞かせてくれ!」
「いやよ。――マシューは自分の宝物を絶対触らせてくれないわよ。そういうことなんでしょう?」
 和装美少女に汚いものを見る目で見られたおじさんが、そんなことにまでちょっと喜んでいる自分に嫌気がさしつつ、唇をピクピクさせた。「ちがうよ! 普通の本だ――! これはノーマル中のノーマル! 純愛中の純愛ものだよっ。レックスの最高傑作で」
「――おい。終わったか?」床に四つん這いになってへたりこむ相棒を足で蹴って、机の上に茶托を置いた。「カギロイ。茶を飲んだらさっさとその本持って、部屋のどこにしまっておくか考えてこい。マシューに影響されたニコルがおまえの裸でそういうのを書き始める前に」
「……ッ、うるさい!」
「否定しないのかよ。おい、シュルク。ニコルはいま駆逐艦の整備にあたってたよな」
「知ってても言わないよ。君にだって思春期はあったはずだろ?」
「思春期のほとんど全部をじっちゃんから隠れて過ごすツラさをお前さんはわかってねぇようだな……」
 口喧嘩を始めたふたりを横目に、カギロイは本を手にした。かなり厚みがある。これが? こっそり書いてるらしいが指摘はするなとエイに口止めされた――?
「……ありがと。読んでみる」
「裸エプロンのほうは発禁になったからな。マシューにやっていいか?」
「好きにして。シュルク、聞いてくれただけで少しスッキリした。ごめんなさい」


 長く紅い髪を靡かせサッと立ち上がった少女は、扉のまえで少し微笑んだ。

 



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