ゼノブレイド


▼ 1

 貨幣偽造の概念がコロニーに湧いて出たのはかなり遅い時期だった。レックスが目線を寄越すのに、何も言うなと組んだ腕の際から指を出す。視線を逸らして立ち上がり、机の向こうから中庭の兵士に声をかけ路地裏に消えていった背中を見送った。
「では、意匠を変えてみるのはどうでしょう」自分の右腕となって同じ世界を共有した幼なじみの娘が提案する。「通貨というものがほとんど必要なかった状況から、一年足らずでこれですから。いたちごっこかもしれないけれど」
 費用が嵩むか計算してみます――と立ち上がる数名を両手で落ち着かせた。「手の内に無いものを月賦で払う取り決めを明確にしたときから、理解していたことだが……このまま数字だけ動く方向に振りきれれば、人間らしさから手放すことになる。少し考えさせてくれ。犯人の目星がつき次第、処遇は追って知らせる……」
「報告します! 盗難の首謀者が洞窟に潜伏しているところを取り押さえました」畳み掛けるように次の課題が手に入って、つい眉を寄せた。潜伏――そうだ、行き場なんてあるわけがない。崩壊していく崖端に残った誰かの写真を思い出す。「抵抗が激しい手合いでしたので、怪我をさせてしまいましたが」
 医療班に潜ませた小太刀が役に立つかな、と頭で整理した順に支持を出した。媚つれで醜悪な風体の男が必要だ。集団であれば問題解決自体は早々に終わるかもしれないが、別のコロニーでも似たような事件が多発しだしていると聞く。手ずから解決するには人手が多すぎるほどになっていた。このままだと数ヶ月持たずに終わる。
「掛馬賭博をさせてみようか」
 思いついたことをポンと出したら、「はあ?」と戻ってきた巨体がみじろいだ。手に持っている珈琲に目をつけると「自分で淹れろ」と遠くに追いやる。なんだ伝わってたわけじゃないのか、と引っ込めた後ろ手に、資料を握らされた。椅子についても知らん顔で遠くを見ている。
 指揮官がずれると下の者の足並みがぐらつく、といわば暗黙の了解で決まっているポジションだった。多人数になってくるとレックスがリーダーのほうが適任なのだが。時間が経つと表は自分、裏は彼でちょうどよかったのかもしれないとも思った。
「コロニーごとに分かれている状態は危険だ。閉鎖地区が増えれば増えるほど、共同体としての動きは弱まるだろう。間の平原にちょうどいいところがあるなら、通貨の取り決めと一緒に輸入と娯楽産業もやってしまうわけだ。もっとも、今の時代にうまくいくかはわからないし――」
「それと馬と貨幣がどう繋がるんだ」
 組み立てた青写真が通じているのはレックス相手だけだった。先走ったことを謝り、束にしただけの紙を開く。
 読み進めるにつれ周囲のざわめきが遠ざかっていく。レックスが代わりに人払いをしてくれたので、通しで読みたい気持ちを抑え、ようやく顔を上げたころには誰もいなかった。
「――レックス。これ、一日で仕上げたのか?」
「おめぇさんが書けって言ったからだろ。国と国の戦争やら俺は生きるので手一杯だったから知らんが、ヒカリが話していた過去から未来まで俺の知る限り全部の知識を。無茶いうぜ……あ、まだ十分の一にも満たないからな。そんなもんで役に立つか?」
「ありがとう。すごくわかりやすいな……これ早めに清書したいから持って帰っていいかい」
「構わんが保管には気をつけろよ。俺のタイプライターはカギロイが占有してるから、ニコルに言ってくれ」
 空中に活字を打てる世界から来ている二人にとって、アナログの時間は貴重だった。脳の速度がゆっくりと水に沈むように落ちていく。
「はじめに来たとき、技術の核を早めに作りたいと焦った僕を叱ってくれたね」
「俺の世界での機械は産業改革に使うことがほとんどで、後はブレイドが担ってくれたからな。万年タブレット持ちのシュルクにとっては当たり前だったのかもしれないが」
「君が見せてくれたのはもっと大きな機械だったね。最初は蒲鉾板そっくりだなと思ったよ」
 懐かしいな――と黄昏れる肩をついと追いやられる。「おい。昔話に浸ってるほど暇じゃないんだろ。待っててやるから、読んでしまえ」
「うん」
 壁もない階段裏で目を通す。ふと横を見るとペンを握って、くるくるしていた。まだ言っておくべきことが、書いておくべき話があるか整理しているのだろう。
「悪いけど、いつも通り――」
 ああ、と。「処分は好きにしてくれ。おまえが残すべきと思ったところ以外は、捨ててくれて構わない。ただし」
 何度も聞いてくれるなよ、忘れっぽいんだ――と遠くを見ている。嘘をつくのが下手だ。
「夕飯の仕込みをしてくるから、後で合流するか?」
「いや、もうちょっとで」終わる、といいかけた首を、太い腕がつかんだ。遅れて続く誰かの伏せろ! という声と火花に頭をかばう。爆発音は数回続いて消え去り、煙だけが辺りに充満した。
「レックス! 僕は」
「おまえは駄目だ。掃除係は俺。だろ」慌てもせずゆらりと立ち上がり、ぽきぽき鳴らす首がこっちを向いた。「いいから。飯ちゃんと食って寝ろ」
 置いてけぼりをくらうと入れ替わりで銀色の髪が見えた。「シュルク。立て」
 紙の束をかき集める姿に、何をしていると叱責がとぶ。1ページも置いていくわけにもいかない。襲撃者に心当たりは? という声も鼓膜がやられていて遠ざかる。怪我はしてないが頭が痛い。思い出さなくていいことを走馬灯のように思い出してしまったり、嫌な予感で埋め尽くされる。
「マシューたちは」
「マシューはレックスについていかせた。貨幣の問題は原因がわかったかい」
「いや――悪いけど一緒にきてほしい。断片的な記憶が邪魔して、制御できそうにないんだ。事実だけ見て判断したい」
「……」
「心配しなくても、昔のように制度は高くない。悲しいけれどね」仮に未来を予測できていたとしても、生きている時間の流れに逆らうことはできないとシュルクは知っていた。


「行こう」


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