クリスマス | ナノ
03) 「また肥えますで」(余計なお世話じゃボケ)


 霞を食い続けて今の体型になったわけではない。移動に追われる毎日である。気をぬくと痩せてしまう。乞われればデニーロくらいのことはできるのである。やの付く稼業の取り柄といえば、ストイックさ以外にはない。

「そろそろクリスマス。な! クリスマスやから!」
「兄ィ。正月も過ぎました……」
「中田の誕生日」
「甘いモンは食わせるな言われてますんや。ワイらが殺されてまう」
「ステーキになさっては」
「新しい差し歯が合ってないの。硬いの無理なの」
「――」
「お願い?」

 ケーキ屋の前に車を停めさせた。助手席の舎弟がついてこようとするのを押し戻す。関西花菱会の若頭がケーキ屋で襲撃にあって死亡、という三面記事の見出しを考え、西野は悦に入った。生クリームの匂いに漂いながら天国に逝く。この上ない死に場所である。

 西野の想像する地獄といったら、揃いも揃って墨の入った男の群れの中で、盛大に血反吐を吐くことだった。つい最近それが現実になったのだが、この現実以上に具合の悪い場所などあるものかしら……と心から思った。最期に口にしたものが濡れ煎餅で、最期に耳にするものがカシラという怒声で、最期に目にするものが干し椎茸そのものになった中田のツラで、(あ。俺、ここでは死ねない)と不意に気づいたのである。

 どんな現世の業があるのか知らないが、息を引き取る瞬間くらい夢を見てもいいではないか。病院に担ぎ込まれたなら若い看護婦に手を握られながら。宴の最中なら適度に脂ののった仲居の胸を掴みながら。いずれも鳴り響くタンホイザーに耳を澄ませながらの立派な退場である。

 あの世に逝ったら舞台の上手から舎弟が登場。下手から直接間接問わず殺した無法者。観客席には泣かせた女が裸でズラリ。沸き起こるカズオコール。降りしきる紙吹雪。歴代の会長がスタンディングオベーション。敵味方入り交じって肩を並べての裸躍り。これぞ理想の――。

「ご注文は」
「Lサイズのホール三つ。アイスとチョコと……抹茶?」
「そちらは今年の新作です。アイスは五種類ございますが」

「ほんならそれ。アイスはチョコミント……はアカンな」会長が歯みがき粉みたいな匂いやて嫌がるし。「マスカルポーネてなんですやろ」

「イタリアのクリームチーズです。オススメですよ」
「聞いたことあるけど味は覚えとらん。じゃあアイスはラスカルと普通のとチョコ。領収書にフラワーローゼンジって書いて」
「フラワー……ロ?」

「綴り」西野は手のひらに書いて見せた。「R――ちごた。Lか」

 菱形の英語を調べてもらってからも、甘ったるい魅惑の空間から立ち去る気がしなかった。西野はいつの間にか待ち客でいっぱいになっている店の奥を陣取り、マスカルポーネのショートを味わうことに決めた。不器用そうな大きい指には金の縁どりのハート型スプーンである。これぞ極道のグルメ。

 窓の向こうで車から降りた舎弟が首を振っている。近づこうとするのを手で追っ払った。飯島であれば同伴で買収するのだが、あいにく中田とのつまらぬ意地の張り合いで出払っていた。

(つき合い悪なってしもてからに。そろそろ戻るよう手配しやんかったら、俺の食欲がまた失せるやろが)

「お客さま。相席大丈夫ですか」
「どうぞ!」

 気合いの入った返事で応対。自分の脇で注文している清楚な美人が見えたのだ。四十の坂は越えてそうだが麗しい。遠くに追いやった娘がそれくらいの年であることには目を瞑った。それはそれ、これはこれである。

 女が花菱の関係者と間違われて襲われたら、トイレに押し込んででも助けよう。行きずりであっても命をかける。これぞ男の理想の死に様である。白鞘を抜いてバッタバッタと斬り倒すのも絵になるだろう。さすがにケーキ屋では様にならないが、そこは可愛い舎弟と中田への花向けである。極道は生きている間は笑い事ではないため、死ぬときくらい笑いが必要という向きもある。

 あるいは胸元や腹にまでかかった自慢の彫り物を見せびらかしながら……いや、定年間近の冴えない会社員を装いながらパッタリ死ぬのもいい。拳銃なんて物騒なものは持っていない。上にいけばいくほど実戦から離れ、コジャレたアクセサリーのようになってしまった。いつぞやも、中田はまだ扱えるんか……と羨ましく思ったものである。

 こっそり私室で訓練に精を出して、白豚の置物を間違って撃った。代わりに買ってきた豚の顔は西野ではなく、どちらかといえば布施の顔によく似ていた。違いに気づいたのは飯島くらいだったのだが。季節はずれの蚊取り線香に疑問符を投げかけた知人などが、それを遠回りに指摘したので、中田にもバレてしまった。

 会長を白豚扱いしたことに対して、中田が怒っていると思ったのか。無言の閃光を曲解して、「花菱は右も左も親父さん思いですなあ」とフォローを入れるので、事はますますややこしくなった。もともと阿吽の呼吸で口を利くことさえ少ない二人の亀裂は更に深くなった。布施などは中田の反応を面白がって突つきすぎたと感じているようで、最近自分に冷たい。

(何が悲しゅうて親父の奪い合いなどしなくてはならんのや)

「親分さん」
「ア?」

 頃合いを見て顔を上げるつもりが、目の前にいるのは清水である。舎弟が入り口で困っている。美人はどうした。西野は後ろの席を振り返った。ママ友と大口を開けて井戸端会議。理想は理想。ガッカリ顔を隠す前に目が合った。にっこり。可愛いで、べっぴんさん。西野は上向いた気持ちを胸に、現実の爺さんに向き合った。




03) 「また肥えますで」

(余計なお世話じゃボケ)





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