クリスマス | ナノ
02) 「これは幻、ようよう芳しき菖蒲池」(遠き都の馨りかな!)


 酒でも飲まんかという誘いにノッてこない。年下の相棒はかなり疲れているらしく、「明日付き合いますんで」と言って早々に眠りについた。飯島が断るなど珍しいこともあるものだ。

 清水は筆を置いてひとりごちた。年々深まる老眼を酷使してまで、耽る意味などあろうか。否、ない。限られた時間は女の裸を見ることだけに使うべきである。しかし手を止めることはなかった。

 暇をもてあました老境の遊びである。文章の脇にはコンテと擦筆を使った美しい肢体が、勢いのある力強い線で描かれている。見るものがみれば長い時間をかけて会得した技術だとわかるだろう。そうなると言葉のほうはよくある文言の羅列で、蛇足に思えた。

 モデルとなったコンパニオンは仄かな灯りに照らされている。今夜の余興に呼ばれたはずが、ちょっとしたトラブルで到着が遅れた。

 華々しい彼女が真っ青な顔で花菱の門をくぐったのは、幹部全員が引き上げた後である。後片付けの指示に追われていた清水はこれしめた、とファンファーレを吹いた。無論心の中で。

「困りますなあ」

 清水は手の内で誰かの靴下を揉みしだいた。「今頃来られましても。今宵の布施会長は酷く機嫌が悪うございまして。あなた方がいらっしゃるからと遅くまで飲み食いしてらしたのに、つい先ほど御部屋に戻られたところで」

 振り子人形のように床に頭を投げ出す男の頬に、靴下をペチペチと叩きつける。清水は背中も腰も年のわりには強いため、しゃがみこんだまま成りゆきを楽しんだ。

「落とし前。どないつけてくれはるんです」
「も、申し訳ありま」
「女の子も三人。ちょっと少ない」

「すみません」男は繰り返した。「孝治のヤツ、行き先を詳しく言わんかったんです。まさか、まさか」

「極道の宴会やなんて?」

 生唾を飲み込む音が廊下に響いた。清水は花菱の鬼夜叉と名高い中田を真似て眉間に皺を寄せたが、あえなく失敗した。顔の造りにあっていないのである。眉間に皺を寄せた西野の八時二十分眉が、そういう造作になっていないのと同じである。実際、目の前の男は清水が自分を憐れんでくれているのだと誤解した。

「しゃあおまへんなあ」

 カクカクと顎を揺らす男に清水は相談を持ちかけた。女性を一人部屋に寄越してくれるなら、こちらでうまくやると言ったのだ。二つ返事の男に対し、清水はただし、と付け加えた。

「孫には内緒で」
「はい。それはもちろん……孫?」
「孝治がいつもお世話になっとります」

 下げた禿頭に腰を抜かした男を無理やり立ち上がらせ、冒頭の女性を呼んでもらったのである。とびきりの美人というわけではないが、やや幼い顔立ちに奇抜なコスチュームが似合っていた。ヴィクトリアンと着物を融合させたようなミニスカートの裾から、ペチコートとフリルが覗いている。フォックスの襟巻きと尻尾をつけていた。

「絶対領域!」
「は?」

 清水はワクワクを隠せなかった。「膝丈ソックスとの間を絶対領域と言いますんでしょう。孝ちゃんが持ってきたゲームでは、女の子のハートを射ぬくとアソコが徐々に捲れて――」

 女性コンパニオンは「サクラです。よろしくコン!」と跳ねたあと、不安げな眼差しを寄越した。合法的に働けるのかも怪しい少女である。男は両手を合わせて拝んだ。地下アイドル上がりの枕営業経験者である彼女にしか頼めない。急場をしのいだ後の報酬は賃上げを約束している。

 いやなに紳士的にもてなしますからご心配なく、と言った清水の目は未知との遭遇に煌めいていた。

 男は名前を武田といったが、これはさして重要な情報ではない。しかし武田は思った。清水という男の言った会長云々はおそらく口実で、趣味を大っぴらに楽しめない立場の極道も、オタクの遺伝子には逆らえないのだろう、と。武田の予想を更に越え、清水は絵のモデルをサクラに頼んだ。パンチラのサービス付きで。

「清水さァん。孝治クンのおじちゃんなの?」
「おじいちゃんですよ。あ、動かないで。マン筋見せちゃいなさいホラ」
「名字違わなくない?」
「違わなくなくないですで。二回結婚したんです。いや、三回だったかな」
「ふうん」
「いや私が」
「頑張ったんや」
「頑張りましたんや」
「……ヤる?」

 しどけなく開かれた脚の間に長い狐毛をさ迷わせ、少女はその感触に顔を紅くしながら悶えた。清水は理性の算盤を弾いた。しつこいようだが相手は子供である。穴を開けたパンティの間から匂いを嗅ぐ程度に留めたほうが賢明であった。

「結構イッてんだ。あたし。孝治クンより年上よ」

 清水の眉は今度こそ哀しげに歪んだ。「この年になるとね。スケベするには前後三日くらい準備が必要なんです。でもありがとう」

 優しいんや、と彼女は笑ったが、冗談ではなかった。真っ黒に汚れた指を拭いて、エアゾールを吹き上げて仕上げである。また来るコン! と尻尾の生えたお尻を見せるサクラに微笑みかけ、詠ずるに任せて筆を使った。




02) 「これは幻、ようよう芳しき菖蒲池」

(遠き都の馨りかな!)





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