クリスマス | ナノ
01) 「誰が年寄り扱いせぇ云うたんじゃ――」(鳩の餌でも買うて来い)


 謹慎中の見張り番としての役割に暇が欲しいと言うので、「兄貴に逆らうんか」と低い声で脅せば、しらっとした顔で「今日日どんなブラック企業でも月休二日はあります」と飯島は答えた。中田は我を通すか迷った。酔いが廻ると唐突に老いの嘆きと寂しさを語りだす布施の顔が頭をよぎり、言いたいことは呑み込んだ。

 二人ついた舎弟を体よく追っ払い、公園のベンチに座りこむ。

 小糠雨の中では近所の子供らが走り跳んでいる。中田は足元に転がるボールを見て、なぜか若い頃に袂を分かった友人の顔を思った。子供の存在を耳にする前に、孫ができたと一報がきて数年。共産主義に嵌まって道を違えたのも生来の真面目な性格が災いしてのことだろう。いまや堅気の向こうが前科持ちで、道を外れた自分の経歴は真っ黒である。

 自棄っぱちの暗さが態度に出た。ボールも道を遠くはずれた。あ、と口を開けた中田の膝に、くわえ煙草が煙をあげる。組んでいた脚を戻して払い落とし、靴で押し潰しかけた。今度は別の顔が浮かび、すんでにやめた。中田はため息を殺して喉を詰まらせた。咳き込んだ拍子に、子供が叫んで煙草を指した。

「捨てた。捨てよった!」

 中田は妙に嬉しくなった。道を歩けば走る弾丸となって邪魔をしてきた騒音公害が、自分の存在を認知している。

「――捨てたで?」
「ヤクザやッ」

 論理の飛躍。奴等の感性に理屈は通用しない。笑いかけたのを何と捉えたのか、キャーキャーと生け垣の向こう側に消えていく。中田は自分の服装を見下ろした。堅気に扮している証拠に、上着の袖さえ解れてくる安物だった。不自然なのは真冬のパナマ帽くらいのものである。

「ようわかったな……」

 中田の脇で舎弟が二人、へぇとうなずいた。「お寒くはないですか」

「お前らのせいじゃ阿呆」

 小雨はやんでいたが、片方の舎弟は黒光りした上着を見下ろし、「着ますか?」と聞いた。中田は説明を諦めた。疲れから出た仕草としかめ面を、若い舎弟は誤解して不安げな顔をする。視界におさめまいとすると、焦りからか機嫌取りか「寒いですよね」と二人で意味のないことを大声で繰り返した。中田はまたため息を飲んだ。そこで彼らはようやく「こ、これを」と缶を差し出した。

「そうそう、これこれ」中田はカイロがわりの珈琲を受け取り、薄く笑った。「はちみつレモンや云うたやろ」

「は。はちみつ」
「――レモン」

 舎弟の反応は早かった。同時にまわれ右である。中田は足元を更に見つめた。かすれ声を心配した兄貴が毎晩作ってくれたんや、と鼻を啜った。センチメンタルな季節である。珈琲のほうは上着のポケットにしまい、中田は顔を上げた。

 子供らがやってくる。

 愛想笑いを貼りつけて手を振った。キャーの応酬。子供が離れる。三度目までは許せたが、五度目を越えると激しく疲れた。このツラさは人にはわかるまい。そこに望んでいる癒しがある。手を伸ばせば離れる。離れると寂しいが、自ら近づくほどには心が弾まない。

 そちらの道は選ばなかった。今さら慣れろと言われても、失望と拒絶も含めてその先にあるではないか。

「……おっちゃんはな。遊べんのや。向こう行くんや。何処へだってええから、向こうのほう」

 深く念じて顔を覆い、しばらくすると子供の気配は消えた。中田はようやく溜めていた息を吐き、ベンチの縁に腕を伸ばした。

「すんまへん兄貴。珈琲と紅茶くらいしか」
「あの。限定の青汁なら!」

 舎弟の腕に抱えきれぬほどの缶の集まりを認め、中田は宙を見上げた。

 辛抱の先にある苦しい叫びを慟哭と呼ぶなら、忍耐の先にある激しい心を表すには暴力が一番である。誰も見ていないことを確認するまでもなく足が出た。舎弟らは怯えてひいひいと慟哭した。足は宙を掻いた。

 成る程、これでは中に立つ飯島は辛いと思った。




01) 「誰が年寄り扱いせぇ云うたんじゃ――」

(鳩の餌でも買うて来い)





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