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2024/07/31 

 書いたわ、と紙の束を片手にカギロイが声をかけてきたとき、既に日は傾きかけて辺りは紅色に染まっていた。
 足元の雑貨と荷物の山に足をとられる彼女の腕を咄嗟に掴むと、げっそりとやつれていつもは整えられた髪の毛まで先がほつれている。「書けたって――何が?」
「なにがって……!」カギロイは眉根を寄せて口をパクパクとさせたが、気をとり直すように咳払いした。「なにがって、まあ。その。ほら、あれよ!」
「うん」
 シュルクは年を重ねても察しの悪い自分の頭と、より鈍くなった感性とを天秤にかけて(どちらかだけでも残ってくれたら、よかったのに……)と大人の顔を取り繕った。
「ああ、わかったぞ。主賓の席順だね」
「しゅひ――なんの話?」
「考えてくれるって約束だったろう。出資者の椅子だけ用意するのは、僕もあまり気は進まないというか。金銭の出所を掴むのが目的だって周辺コロニーにバレてしまいかねないから。あんまり大勢で立ち見をさせると、馬の方でも気が荒くなって制御しきれないだろうし」
「馬……? ああ、競走馬がどうとかいうトーナメントの席順ね。あれはとっくに書き終わってエイに渡してあるわ。彼女の最終確認が済めば、どこの誰から偽金が出回っているかなんて、すぐ……」カギロイは左右に首を振った。「違うわよ! そんな、あなた人に言うだけ言って。いい加減な人ね!」
「僕がなにか……あ!」
 拳をぽんと叩くのとカギロイが背を向けるのはほぼ同時だった。「待つんだ。『あれ』の話だね?」
「――読まないならいいわよ。火にくべて」
「いや。読みたいよ! 大変だったんだろう?」
「言っとくけど。お試しだから……ちゃんと書けてるのか自分ではわからない。でも」彼女は床をじっと見つめて、唇を噛んだ。
 レックスが先でなくていいの、と聞くと、首を再度横に振る。「シュルクが貸してくれた本。あれ、すごかったわ。今の私じゃ、到底あんなの書けやしない……書いてる最中の雑念が追い払えないの。彼や彼女はこんなこと言わない、あんなことやらない。自分の望みはこういう物語にしたいのに、それぞれが違うことを言ったりやったりしてしまう」
「……登場人物が? それは――やっぱり君、向いてるな。書きたいとおりに書けるうちは、まだ熟してない果実のひとかじりだったりする。読んでるほうも、満足感がないんだ。一口ひとくちは次々と他から得られても、刺激が足りなくて違う作家に目移りしたりね。そういう作品の書き手というのは、他人の作品も作者自身だと錯覚していたり、読みも浅いから書く言葉も空虚だったりする。経験も浅いまま難しい言葉を使ったり、こうして人の批評は上手になるが……自分が書いた言葉の矛盾には永遠に気づかない」
「――私、そんな感じだわ」
「それはまだわからないね。読む前の作品に点数はつけられないから。預からせてもらって構わないかい?」
「大した量じゃないわ」
「駄目だ。目の前で読んだら、君の書いたものを君が思ってることだと勘違いしてしまうだろう。悪い文章というのはほとんどの場合、書き手の側の問題じゃないんだ。捉える僕のコンディションが整っていないと」
 カギロイはまじまじとシュルクを見つめ直して、数枚の手書きの原稿をそのまま手渡した。
「男同士じゃないわ。恋愛の話でもない。私の、私たちの生きてきた世界の側で、見たことが元になっているの」
「そう。内容は正直なんでもよかったんだ。君の書く文章が読みたい」
「……」
「本当だよ。レックスも態度はああだけど、楽しみにしてるはずさ」
 カギロイは口を開きかけて、躊躇いを見せた。レックスと彼女の関係は微妙で危うい距離感のまま、つかず離れずである。真っ向から相手に立ち向かう気質のなりを潜めたのは、確かに年齢もあるのかもしれない。シュルクは出会ったばかりのころのレックスを思い起こそうとしたが、片腕を掴んで下を向くカギロイのたたずむ姿に、記憶の少年はなぜか重なった。
「素直になれない理由があるんだ。彼には」
「それって――私が、原因?」
「知らなくていいことだ」
 いまはまだ、と繋いだ言葉に、言い返してくるかと思ったが予想ははずれた。カギロイは自分に言い聞かせるように「そう。わかった」とつぶやいたきり、部屋をあとにした。
 シュルクはじっと手元の紙を見つめて、顎に手をやり虚ろな色に変わりゆく空を窓から見上げていた。


 草原の向こうに何があるかなんて、気にもとめてこなかったわ……とカギロイが囁くと、持っていた工具をおろしてニコルが整備していた機械の下から、顔を出した。「草原の? 今になって、外が気になるのかい」
「ええ。……あなたは違うの?」
「戦闘であちこち行かさせられるうちに、結構おもしろい遊びを見つけてね。別にたいしたことじゃないんだけど」
「たいしたことじゃないなら、教えてよ」
「君がみんなに黙って、始めている遊びについて教えてくれたらね。そこのonex-3取ってくれる?」
「――なんですって?」
「あー……ごめん。ノポンの耳みたいな形状をした赤い印の……」
「これね。はい」
「ありがとう。――いや、違うなあ」自分の軽く三十倍はあろうかという人の形をした腕の間から、腰を左右に振って出てくる。いつもは日の光に照らされ美しい金髪も、見るも無惨に煤けていた。「あれ。持ってくるの忘れたみたいだ。取ってくるよ」
 立ち上がろうと床についた手をぱしっと取られ、ニコルは慌てた。「油まみれで汚いよ! 待って、手袋をはずすから――」
「ここにいて。たまには私の話も聞いてよ」
「……いつも聞いてるじゃないか」
 困り果ててゴーグルを取ると、予想に反してカギロイの頭は垂れ下がり、下を向いて完全に項垂れている。(これは重症だな……理由はわからないけど)とニコルは手袋をはずし、頭を掻いた。
「なに? 執筆がうまくいかないの?」
「……! ちょっと待って、なんで知ってるの。私がものを書いてるって!」
「そりゃわかるさ。最初の一週間は紙の前で唸ってるし、二週間目は紙に書きなぐってたろ。次の週からタイプライター。あれは習得が早かったね。正直すごいなと思ったよ。僕は機械全般なんでも触れると思っていたけど、どうもあれだけは苦手なんだ。シュルクさんも似たようなことを言っていたけど、手を動かしているうちに頭にあった言葉もかき消えてしまう」
「ニコル、あなた人のことよく見てるのね――私、あなたのことも全然知らない。今日はここにいるって人から聞いて、初めて知ったくらいよ」
「頼まれた修繕は全部引き受けているからね。僕らの食いぶちが増えているわけだから、コロニーに迷惑をかけないようにしないと」
 カギロイは自分が恥ずかしくなって、余計に顔が上げられなくなった。食料の出どころがどうだとか、服の手入れを誰がどうやるのかなど、何も考えていなかった。生まれ落ちてその優秀さからすぐ司令塔に呼ばれ、気づけば誰かの手を借りることくらい当たり前だと思っていた。
 カギロイの見知ったひとはほとんど前の闘いでみんな死んでしまった。敵方のニコルもそれは同じはずだ。ただ、彼は身近にあった人の顔や名前をほとんど覚えているらしい。自分とは生きる何かがすべて違う。目的も欲望も、糧となる愛してきたものたちも。
「ねぇ……何が好きなの?」
「遊びの話なら、本当にたいしたことじゃないよ」苦笑しながらも、腰を上げて手探りで鞄を探す。「あった。うーん……恥ずかしいなあ。あ! 君が書いてるものを読ませてくれるって約束して――」
「絶対だめ」
「……シュルクさんには読ませたのに?」
 なんで知ってるの、と顔を赤らめると、怒ったようにそっぽを向いてしまう。少年らしい優しげな面立ちが一瞬だけキリッとしたので、カギロイも動揺した。これは、何か違う意味に捉えられている。
「そういうんじゃないの。……でも、もうちょっと待って。まだ人に見せるのは……」
「うん。まあ気持ちはわかるよ。僕も君にこれを見せるの、躊躇っているし」
 小さめの画板のようなもので挟んだ、紙の束だった。カギロイは膝から顔を上げて横座りになり、ポツリといった。
「シュルクは『批評が上手になるばかりで、自分が書いた言葉には矛盾が生まれる』っ言っていたわ。あれ、彼自身の話かしらと思ったの」
「――シュルクさんも何か物を書いているところは見たことがあるよ」ニコルは微笑んだ。「君が何を書いているかは知らないけれど、彼もそれを僕に見せてくれたことはない。たぶん自伝的な何かだとは思うんだけど――あれを読ませてくれる頃には、なんとなく」
「やめてよ。縁起でもないこと言わないで」
「ん? いや、別れはいつだって身近なものだったから。まあ、だから読みたいわけじゃないんだ。君の作品も、そういう気持ちになったらでいい」
 目の前に差し出された画板を手に取るが、革紐に手をかけたところでやめてしまった。「いいわ。私、自分が書いているものが書きあがるまで、これは見ないでおく」
「……じゃあさ、君が持っててよ。それまで」
 困るんじゃないの、と脇を盗み見たが、ニコルは立ち上がって背中を向けていた。少し離れたところでパンパンとお尻をはたき、決して大きくはない体で近くの工具箱をよいしょと持ち上げる。
 男の子だなあ……と夕日に照らされた姿を見ていると、半分開きかけた胸元の襟ぐりから発達しかけた腕の隆起までしっかり目に焼きつけてしまい、カギロイは目を逸らした。
「わかった。約束よ。必ず書き上げて見せるから」
「うん。期待しないで待ってる。……ちなみにさ。相手は誰と誰で、どういう内容か聞いても大丈夫?」
「ち が う わ よ! そういうんじゃないから! 普通の、ごく普通の日常ものよ! レックスに影響受けすぎよ、あなたもマシューも!」
「ああ、よかった……あれ、本当に心臓に悪いんだ。拾った本が僕と彼の……しかも僕がリードしてて不機嫌に……」
「――それ、ちょっと面白そうね。見つけたら買っておいて読ませてよ。参考にするから」
「い、いやだよ! 自分で買ったら興味ある前提で噂になるじゃないか!」
「シュルクは自分で買ってて噂にもなってて、レックスに書かせているわよ。自分が読みたいようなものを」
「……知りたくなかったなあ。はあああ……みんな上級者すぎるよ。エイは僕が人間にはそうなれないのかと気を遣って、機械同士のあれこれを教えてくるんだ。ついていけない」
 顔を見合わせてくすくすと笑うと、つい我慢できなくなってしまう。暗い気持ちはよそにやって、新しい話が書けそうだわと彼女が少しだけ唇の端をあげた。ほんの一瞬。それだけで。
「どうかしたの?」
「いいや。君には敵わないなと思ってさ……」咳払いで誤魔化すと、甘い空気は消え去って腹の虫が気になり始めた。「今夜はレックスさんの当番らしいよ。楽しみだね」
「ときどきわけのわからない食材が出てくるのを除けばね……まあ、あの人は確かに上手よ。家事や料理に関しては」
 文句を言いつつも、預かった画板を大事そうに胸に抱えたまま立ち上がる。ゆらりと揺れた長い髪にニコルの目は釘づけになったが、今度は彼女に気づかれるより早く視線を逸らした。
 あの胸にどんな物語の続きを抱えているのだろう。あの大きな胸に――と考えているうちに、すっかり頭と体は混乱している。浮き足だってまともに喋れなくなる前に、とニコルは走って逃げた。
「あ、ちょっと! ……もう。そんなにお腹すいてたんなら、飴のひとつくらい持ってたのに」
 何も気づかず大人になりかけている少年の背中を追って、カギロイは画板を見つめた。ここには何が書かれているのだろう。絵だろうか、物語の断片だろうか。まだ創られていない明日への、切り札となる何かだということはわかっていた。
「――うん」



 壊れたすべてを救うような、世界の鍵をひとつ取り戻したように思った。





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