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2024/07/22 

 小さなセネリオがその世界に召喚されてから、いくつかわかることがあった。大人のセネリオは自分のことをさほど気にかけてはいない。一人でいるときが一番安心することを知っているし、セネリオ自身が戦闘で使い物になるまでには相当な時間がいるからだ。
 自分の世界の子供たちに出会ったとき、セネリオは安堵の気持ちと恐れがあった。彼らは口の利けない自分にも優しく接してくれようとしていたし、確かなコミュニケーションが取れるよう話をしに来てくれたりもした。
 はじめこそ戸惑って忌避したその時間を、楽しみに思うようになっていったのも事実だ。大人の自分を見れば、明るい幼少期など送ったことがないのは明白だった。ああなりたくないと思ったわけではない。むしろ毅然として、自分ではまだ太刀打ちできそうにない難しそうな魔道書を常に抱えて、一人で立っている姿に見惚れた。戦術の協議をこっそり覗いてみれば、的確に隙なく指示を与える理想とした参謀の姿がそこにあった。
「また来たのですか」あきれて声をかけられるのにも慣れた頃だった。「ここはあなたの遊び場ではありません。気が散るのでよそでやりなさいと、何度言ったら……」
「……」
「――仕方ないですね。ついてきてください」
 部屋の隅ではセネリオが名前だけ知っている国、イーリス聖王国の軍師ルフレがいて、穏やかに微笑んでいる。「おや。よく来たね。セネリオ、ちょっとこれ見てくれる?」
 大人の自分を仰ぎ見るが、ため息を吐いて「どちらのことを言っているのか、わかりやすいようにした方がいいですね」と言ったきり、別室に行ってしまった。仕方がないのでルフレの傍に寄ると、大きな地図が机に広げられているのがかろうじて見えた。
「子供の僕のことをルウって呼んでるだろ。じゃあセオって呼ぶから」
「……」
「いや? あ、ごめん。机が高すぎるね――触ってもいいかい」
「あ」
「それ、どっちかなあ」苦笑しながら小脇を抱えられる。不満は顔に出さないよう努めたが、「あ、嫌だったんだな。本当にごめん。ルウは君の言ってることが半分くらいはわかるらしいんだけど、僕はまだ修行が足りないや」と足で引き寄せた背の高い椅子の上に座らされた。
 子供のルフレには自分の意志がそこまで伝わっているのか。セネリオは気持ちが落ち着かなくなった。いつから一緒に行動し始めたのか、もう覚えていない。最初は子供たちの群れから離れて、一人で本を読む少年が気になっただけだった。同じような場所で本を読むので、むしろ特別な自分だけの秘密の居場所を盗られたように感じていた。
 そのうち、ルフレの子供時代が召喚されたのだと人伝に聞き、はじめは近寄らないようにしていた。というのもルフレは召喚された時代や異世界によって性格や性別までバラバラで、大人の自分たちでさえ態度をもてあましてあしらっているのを何度か見かけたからである。
 セネリオの中で要注意人物だった『ルフレ』という存在を払拭したのは、目の前のルフレだ。聖王国の軍師ルフレは大人びていて落ち着きがあり、ときおりセネリオ自身が戸惑うほどに優しく微笑みかけてくることがあった。理由もなく笑いかけてくる、そういう大人をセネリオ自身は人一倍に警戒していたはずなのに。その垣根をあっさり乗り越えて、気づけばその腕に今も椅子の上で抱えられている。
「ここがこの間、制圧したところだね。それでこっちが次に行くところだ」
 指でひとつひとつ示される度に、覚えていく地名が増える。返事もろくに返さず、見るからに人を拒絶した雰囲気のセネリオの面倒をそこまで見たがるのは、ルフレのほかにはアイクくらいだった。
 大人のアイクは幼いセネリオにとって、見上げるほどに大きく立派な体格をしていた。それに比べると参謀のルフレは中肉中背で、『貧弱ではないが服に着られている』という表現がしっくりくる。実際に聖王国参謀の衣装は普段着には適さないのだろう。今朝も外套をはずして、妙にすっきりとしていた。
「それで明日は、こっちに行こうと戦略を立てている。もうじき第一連隊が帰ってくるだろうから、その戦果にもよるんだけど。セオ、君はどう思う?」
 大人のセネリオが奥の部屋から戦術書を持って現れ、首を振るのが見えた。
「その子供は話せませんから。聞いても無駄と思いますよ」
「……う」
「抗議しているよ。これくらいなら僕にもわかる」
「通訳が必要ですね。僕にはほとんど彼の気持ちはわからない。残念ですが、人間何十年も経つと別人と同じですから」
「――不本意だけど、アイクのほうがわかるみたいなんだよな。セオ、僕にも君の言ってることがわかるよう、訓練してくれないかい?」
「……」
「嫌そうですよ」
「んん!」
「嫌じゃないそうです。ほら、厄介なのがこれですよ。僕はここまでひねくれていません。子供の僕は気持ちを隠そうとするので、読み取るのは困難を極めます」
 セネリオはカチンと頭にきて、大人の自分を睨みつけた。気持ちを隠そうとするのはそっちも同じではないか。現に今も自分の腹に回されているルフレの腕をじっと見つめて、そこに納まっているのがセネリオ自身であっても気に入らない証拠に、眉を寄せている。
「……るふ」
「お。嬉しいけど、その先は子供の僕に取っておいてあげてくれ。ルウでいいよ。ルでもフでもレでもいい。三つ合わせて呼ぶときは彼のために」
「ん」
 実際にはすでに呼んだことはあるのだが、素直にうなずくと、いつの間にほだされているんだとばかりに大人のセネリオがイライラとしているのが自分にはわかる。大人は子供には戻れないが、子供は大人にはなれるので理解できるのだろうと結論づけた。
 地図上の別の場所をトントンと叩き、傍らにあった文鎮をそこに置くと大人の自分がうめく。ルフレのほうは純粋に驚きの声を上げた。
「え、ここ?」
「……検討には入れていました。どうしてそこから?」
「あう」文鎮を移動させて山の方面で倒す。盤上遊戯の駒に弓矢を持っているのがちょうどいたため、それを山の方面に待機させて理解を乞うた。
「待ち伏せか。増援は来ないって話だったけど」
「急斜面になっているので、あり得ますね。今回の編成だと飛竜と弓兵を使われたら全滅です」
 文鎮を逆方向から廻らせて、後ろに待機させている騎兵を前に出した。平地であれば役に立つ馬も、山があると不利である。用意してこないだろうという裏を欠いて叩くには、人の目の手薄なそこしか選択肢はないように思えた。
「さすがに君だな――恐れ入ったよ。明日はこの作戦でいこう」
「う!」
「自分の手柄だそうですよ。まったく」そういいながらもセネリオは、満足げに地図を眺めて自分と視線を交わした。「今日は完敗です。さてはルフレに戦術指南を受けていますね。……立ち聞きの件は大目に見ましょう。ただし次からは会議が終わってからにしてください。この世界にはあなたのことを知らない者もいるので、説明する度に好奇の視線に晒されています」
「……あ」
「僕は別に気にしませんが、あなたは嫌でしょう。次からはルフレにも声をかけてあげてください。彼はあなたがときどきここに来ることを知っていますが、見つかるリスクが増えることを考えて言い出せないでいるはずだ。わかりましたか」
「――」
 黙って首を縦にすると、ルフレの手が優しく肩を叩いた。父親のように頭を撫でるのはアイクがよくやってくれるが、彼はなぜかそうしない。初めから紛れ込んでいた戦友のように、対等な存在として見守ってくれているという気がしてくる。穏やかな声音が低くセネリオの耳を擽った。
「子供の僕と、仲良くしてくれてありがとう。君にはどう見えているか知らないけれど、僕も最初からそこまで人好きというわけではなかったんだ。今はなに食わぬ顔で仏頂面の同僚ともうまくやって見えるだろうけどね」
「誰のことですか」
「妙になつかれて鬱陶しがられているんじゃないかと、彼も気にしていたよ。その心配はないってことでいいのかな」
 はじめはそういう態度を取ったこともあるかもしれない。何度も同じ場所で遭遇するうちに、今日はいないのかとガッカリしている自分を先に見つけることもあった。
 あの柔らかな白糸のような髪が、太陽に反射して暖かな銀色に変わるのを夕陽と共に見つめたことがある。本を読むのにも遊びをするのにも疲れ果て、決してつきあいやすいとは言えない己の傍らで満足そうに寝息を立てるのを、太陽が地平線に隠れるまでいつまでも見ていた。
 自分とは真逆のように見える彼の中に、同種の陰りを抱えている気がいつもしている。居場所を探してさ迷って、時代も世界も飛び越えている匂いを纏わせて、孤独の中にはまだ立ち入らせてくれない。
 同じ目線で隣に立っている自分には、その意味がわかっているのだろうかと仰いでみたが。セネリオ自身は遠く窓の外を見ていて、沈黙の中では同じ疑問符を彼にぶつけられずにいるのだろうとなぜか思った。
「いく」
 はっきりと言葉で意思表示をすることは珍しかったので、大人ふたりが目を丸くする。自力で降りられないこともない高さの椅子であったが、ルフレに手を伸ばすとハッとしたように抱き締められる。床に降り立つとやはり自分は酷く不機嫌そうだった。しかし「これをどうぞ。僕たちは食べませんので」とキャンディの包みを懐付近に差し出してくれた。


「あ、ありがとう。君がこういうものを持っているの、珍しいね?」子供のルフレは無邪気に喜んでいるため、(毒入りかもしれませんよ)とは伝えなかった。画板で文字を書くのも手慣れてきていたため、言葉以外での意志の疎通も可能ではあったのだが。
 しかしルフレはセネリオの態度から素早く読み取って、「これ、さては誰かに貰ったんだな。大丈夫な人かい」と心配そうに包みを持ち上げている。
「あい」
「うん。まあ食べればわかるだろうし。口開けて」
 自分はいらない、と言うより前に指が伸びてくる。いつも腹を空かせていたあの頃とは違い、この世界で空腹に喘いだことはない。それなのに丸みを帯びた子供特有の指をみていると、美味しそうだなと思った。欲望のまま咥えると甘くて蕩けそうな心地がした。
「……ッ! あ、え? セネリオ!」
「?」
 キャンディのほうはいたって普通だった。真っ赤になりながら自分の指を抱えて慌てふためくルフレの様子がよくわからない。ああ、汚れた指で摘まみたくないのか、とキャンディを差し出すと、その指を両手でわし掴んだまま離してくれそうになかった。
「る、う」
「君がその気なら頑張って早く大人になるよ。僕らはここで成長するのかな? って疑問はあるけど。任せてくれよ大事にするから!」
「――」
「大人の僕にも、もちろんアイクにも負けないような強い男になって見せるよ……」



 何か自分はとんでもない行いをしたのであろうなと空を仰いで、強く抱きついてくるその姿に、誰よりも大きく護ってくれそうな背中をみた気がした。



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