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2024/07/22 |
「セネリオ。新しい本だよ」小さなルフレは微笑んでいった。「君が何を読むかわからなかったから、いっぱい持ってきてしまったけど」 「……」 警戒心を緩めず、小汚ない格好の幼い子供がひとつうなずく。まったく意志疎通をはかろうとしなかった子供のセネリオが見せた、ほんの少しの反応にルフレは小躍りした。 「よかったあ……! 気に入ったのかい? あ、これは結構興味深い内容が書いてあったよ。こっちはね――」 「ルフレ。こんなところで何をしているんだ?」 子供のクロムは二人より少しだけ大きかった。その姿を見つけたセネリオがさっと腰をすくめて後ずさる。草原に直置きした本に目を止めると、クロムは「ああ。勉強会だったのか。悪い。邪魔したな」と去ろうとする。 「いや。クロムこそ、君のルフレはどうしたの?」 「お、俺のじゃない。彼女はだな……!」 「ひとりで珍しいね。君たちは本当に仲がいいから。正直うらやましいよ」 顔を赤らめてしどろもどろ言い訳をする小さな聖王を目に止めると、「……あ」とだけ声を発したきり口を閉じたセネリオが、そっぽを向いた。その姿にクロムが首をかしげる。 「どうした? ルフレを見たのか?」 「……」 「ああ、すまん。口が利けないと不便だな。アイクに聞いていたのに」 アイクの名前を聞くと、セネリオの顔が少し明るくなった。クロムが、こんな表情もできるのか――とその顔を見つめていると、自分の相棒とは違う性別のルフレが袖を引く。 「言い方があるだろう」 「そうだな。セネリオ、気を悪くしたなら申し訳ない。ルフレを探してるのは本当なんだ」 「……」 つい、と指を遠くにやったセネリオの視線を追うと、森の奥から人影が手を振るのが見えた。 「ああ。あんなところに――って! あいつ、リズのお転婆がうつってるな。うわっ、スカートで木登りはやめろと、あれだけ言ったのに……!」 叫んで遠くに行ってしまう。ルフレは思わずホッと息を吐いた。その姿を目ざとく見つけて、セネリオが疑問の視線を送ってくる。 「ああ、いや。違うんだ。今日は君と話したかったから、つい――」 「……」 ふい、と横を向いた顔に、ルフレは胸を締めつけられそうになった。その感情に名前をつけたのは最近だ。同じ年頃の子供と比べれば聡いと思いこんでいた自分の心に、知らない気持ちが紛れている。セネリオといると心がざわついて、一日としてまともに話ができたことがない。 「セネリオ。ごめん、君には迷惑だったよね。なにも考えないで、誘ってしまったから……本当は嫌だったんじゃないの」 「――あ」 声を聞いただけで嬉しさで飛び上がりそうになる。自分はきっとおかしい。すがめた瞳が大きく見開かれ、柔らかく少し長めの髪が風になびく。好きだ、とその目に白状しそうになった。そこらにいる女の子をまとめた誰よりも君が可愛いと思う、と。 「あい、く」 パッと振り返ると、子供のアイクではなく大人のその人が遠くに立っている。こちらに気づいて手を上げる姿に、セネリオの顔が明るくなった。見惚れるほど綺麗だ、とルフレは思った。名づけられない感情の行く先には、穏やかな時間が待ち受けているのだろう。自分が割ってはいる隙はないように見えた。 「――行っておいでよ。僕のことはいいからさ」 「……」 「いいったら。本のことは……そりゃ重たかったけど、持ち帰るのに大した量じゃない。今度また、君のところに持っていくよ。何度でも」 るう、と聞こえた。その響きが好きだ。自分だけ特別に、彼がつけてくれたあだ名のようで。ルフレは真っ赤になった自分の頬を見られないように草原の芝生の上に並べた本をかき集めた。その手にセネリオの小さな指が絡む。 「え――」 「……」 「な、なに? セネリオ。ごめん、ムッとして見えたのかな。そこまで僕、わかりやすい?」 返事をせず、セネリオは草を掻き分けて座りこむ。寄越せと言わんばかりに差し出した手に本を渡すと、胡座をかいた膝の上で開き始めた。 「あ、アイク行っちゃうよ」 「――るう」 仕方なく向かい合って座ると、袖を引かれて横に移動させられた。読めない字を互いに教えあったりするため、画板を持ち歩いているのを思い出す。鞄の中から取り出したそれを慌てて差し出せば、セネリオの興味はもう一冊の本に移っていた。 「あ、これは……その……」 君の読むようなものじゃ、と言いかける前にパッと取り上げられてしまい、パラパラとされるだけで顔から火が出そうになった。 「その、おとぎ話なんだ。悪い魔法にかけられたみなしごの少女の口が利けるようになるまで、村の魔道士が彼女を護るんだ。うう、紛れてたか……絵柄とか子供っぽいだろ……」 「ん」 「ああ、君が男の子だってのは知ってるよ。だから困っているんじゃないか――」 「?」 「なんでもない。いいんだよ、些細なことだ。どうせ君のことはアイクが護ってくれるんだし」 「……んん!」 「ああごめん。君がアイクを護るんだっけ? もう、どっちでもいいよ。君が出会ってからこっち、アイクにしか興味を示さない朴念仁だってことはわかって……なに? 本の結末? ああ、魔道士は少女にとってお兄さんのような存在だし、話の終わりの方で傭兵が現れて彼女を拐っていっちゃう。恋をするかは知らないけれど、そんな筋だった。ちょっと気になって何度も読んだのに、本編に魔道士と少女の直接のやり取りはない」 「――」 「少女は大人になって口も利けるようになり、立派な魔道士になって育った村に一度だけ帰ってくるんだ。傭兵のほかにも仲間がいて、一緒に来ないかって魔道士を誘うけど……魔道士は病に侵されて、余命幾ばくもない。そういうことは黙ったまま、彼女を見送る。ちょっと切ない話だよ。だって魔道士は」 彼女のことが、誰よりも大好きだったんだから……と。高鳴る胸の響きと詰まる喉の渇きから気を逸らすため、遠くを見つめる。もうそこには誰もいなかったけれど、セネリオのこともアイクが連れてっちゃうんだろうな、とルフレは思った。それが自然だ。実際に、大人の自分とクロムがいるところを見ることはあっても、セネリオと接点のある自分はほとんどいない。ときおり漏れ聞こえる会話も事務的だったし、違う世界の人間と距離を取っているセネリオが、子供のルフレに声をかけてくることもない。 沈んでいくルフレと裏腹に、顎に手を当てて本を読み進めていたセネリオが、顔を上げる。「う」 「――え、なに。読みたいの? 君、本当になんでも読むなあ。この間、誰かが趣味で書いた小説が落ちていたら、それも全部読んだって聞いたけど。うーん……いいよ。気に入ったならその本、君にあげるよ。僕の精神安定にはならないし」 「……」 伸びてきた細腕が、ルフレの七分袖を掴む。閉じた本の際に滑らせた指を見つめていると、じっと黙って己の顔をうかがうようにセネリオが待っているのを不思議に思った。 「ん?」 「ああ……」 「なに。あ、そうだセネリオ。今の君は危なっかしいから、二人旅には出せないってアンナに断られたんだけど……僕も誰とも行かないことに決めたから、期間中はあけといてくれないかな。一日でいいから」 「……」 「いや? 迷惑だったらいつでも断ってくれていいよ。君と共闘できるほど僕も強くないし、君の足手まといにもなりたくない。戦闘でしか会えないときと違って、少し話も聞いてくれるようになったし――だから」 「ルフレ」 聞き逃してしまいそうな小さな声だった。さざなみのように音を立てる風に揺らいで、ルフレの耳にしっかりと届く。セネリオの動きは、自分が返事を返すより早かった。頭を抱きかかえられている、と気づくのが遅れた。 「わかった」 「……え?」 「わかった。いる」 あけとく、という声も呑まれるほどの強さで抱き締められる。夢でも見ているのかな、とルフレは爆音を立てる胸にセネリオの小さな体を抱えた。 「いる」 「――うん」 「だから」 泣くな、と抗議する声に慌てた。突然訪れる珍客たちの誰にも、醜態を見られないように隠してくれているのだろう。もう近場に人の気配はなかったし、召喚士も出払っていたけれど。 「セネリオ。約束だよ」 |