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2024/06/21 

 美しい紋章士の蒼い瞳には、近づいて触っても触れることはかなわない。ルフレは焦点の合わない自分と同じくらいの年格好の青年を椅子に座らせ、自分も近くのカウチソファで寝そべりながら「やってられないな」といった。
「ヴェロニカの腕輪は異界のブロディアに送ったけれど。本当は君とお別れしたかったんだ」
「――」
「リュールも難儀だね。世界の果てでは君とだってきっとうまくいってるに違いないのに、女性として生まれたばかりに。竜の血族を絶やさないことは、そんなに大事かい」
 あれも所詮は僕と同じ邪竜だよ、とこちらを向かせる。指輪の支配に遠く及ばない力で、それでもマルスは確かにルフレのほうを向いた。
 感情を映さない蒼い粒子がわずかに揺らぐのを見定めて、ルフレはため息を吐いた。「セネリオに慰めてもらっているだろう」
「――」
「おや、気に入らなかった? 女の子の紋章士は誰ひとりとして抱こうとしないから、気に入るかと思ったのに。彼はどっちもできるはずだ。僕と同じで、生きるために子供の頃からいろんな人間の相手をしてきているからね」
 ああ、すまない。人間の皮を被った獣の話だった、と感情を見せない声で淡々という。
「紋章士マルス。話し相手になってくれるのは今のところ君だけなんだ。僕を憐れんでくれるなら、相づちくらい欲しいものだけど」
「――」
「飽きたらいってくれよ。男がいいなら何体でも連れてきてやる。僕には顕現も時空の干渉もできないが、リュールは違う。今度こそ、君の欲しいものを与えてやれる」
 触れられない指で蒼い服装に包まれた胸の辺りをさ迷わせると、微動だにしなかったマルスが一瞬だけ震えた。
「君の、欲しいものを。なんだって」
「……」
「リュールがそうだと言うなら、彼女でもいい。セネリオは怒るだろうが、あいつもちょっとおかしくなってるんだ。笑えるだろう? アイクのいない世界の果てから連れてきた紋章士なんだが、最初の巡業で足手まといになった自分が悪いんだ。生前の記憶があるうちは皆まともだけど、中途半端に思い出してしまうと紋章士の禁忌に触れたみたいに暴れまわるから」
 両手を実体のない胸の奥に差し入れると、心臓を掴まれたように苦悶の表情を浮かべる。ルフレはその顔に満足したように唇を寄せた。
「とてもいいな。ちょっとそそるよ」
 消えもしなければ逃げようともしない蒼い色を目に焼きつけ、ルフレは椅子ごと空気を抱えた。しがない軍師の思惑は潰えた世界の、小さな希望がそこにまだあるように思える。
「マルス」ルフレはそのまぶたの上に隠す必要もないままの邪痕を晒して、僕を見るんだと嗤った。「リュールは僕の子供を産むだろう。君の望み通り血族は絶えない。最期まで一緒にいてくれよ」



 クロムの屍兵は肉の塊になりかけていた。ルフレは構えた居城の奥深くにしまいこんだ半身に一瞥をくれ、紋章士マルスを伴ったまま徘徊している屍兵と数々を眺めた。
「可哀想だなあ。見た目がグロテスクだから、姿形を保てるように細工をしたのに……僕の意思に反するように、彼らは醜くなっていく。頼んでもいないのに護ってくれるのはありがたいと思っているが」
 ベランダのテラスを抜けると、遠くのほうを指差して誰にともなく囁いた。「見渡す限り地平線だ。焼け野原なんてものじゃなく潰してしまったし、もうここの世界に用はないはずなんだけどな」
「――」
「そうだ。あちらの方に緑がまだあったね。とりあえず燃やしてから次の異界に移動するとしようか……」
「ルフレ」
 マルスの穏やかな声が、ルフレの背中を覆った。なにもできやしないとわかっているため、ルフレは静かに振り返る。
 目を瞑ったままマルスはそれ以上なにも言わなかった。
「ずるいな。英雄王」
 責めさいなんで暴れてくれたらよかったのに、とルフレは思った。端整な面立ちと魅惑的な声に哀しみが加わると、邪竜の血の支配から逃れようともしなかった己の愚行が思い出される。
 文字通り何もなくなった大地を背にして、紅らんだ瞳に手をやった。両目をくり貫こうと意地になった自分もいたかもしれない。邪痕ごと腕を切り落としてみたり、相討ちを志してギムレーと消滅できた世界線の自分と一体化できるよう、心優しいルフレ自身を探してみた時代もあった。
「僕は君と一緒だ。離れたりしない」
「――マルス?」
「君をひとりにはしない。約束しよう」
 最期まで共に――と口にしたきり、紋章士は自らの意思で指輪から出てこなくなった。リュールを使って無理やり顕現することもできたが、ルフレはそうはしなかった。他にも数名の紋章士が手元にいたし、遊びの駒にするには精神を病んだセネリオもとても優秀だったため、いくつかの異界を渡りきって壊してまわった後には、マルスを所有していたことさえ忘れるくらいだった。
 どのようにしても、なぜかリュールとは子供ができなかった。ルフレ自身はその血の轍を絶ちきることをどこかで望んでいたし、子供を産むためだけの道具のように彼女を扱うことはできなかったため、あまり問題に感じていなかった。リュールはどのようにその体や心を汚してもリュールのままだったが、蒼かった髪色は徐々に紅く染まりきり、時間が経つにつれ元の血族の色を取り戻すかのように、その身を預けてルフレの相手をした。飽くことなくその柔かな身の内を掻き抱いていると、ルフレの孤独は少しばかり癒された。
 何千年も過ぎ去った後に、マルスが一度きり姿を現した。屍兵の大群を引き連れたセネリオが嬉しそうに奇声を上げて、紋章士としての尊厳も彼自身の冷たく気高い精神も、何処かに置き去りにしてしまった後だった。

「紋章士マルス……! もう一度、貴方と」

 竜鱗族の人間離れした力で緑の風を吹き起こしたその身の懐に、マルスは飛びこんだ。ルフレは止めることをしなかった。刺し貫いても実体のないセネリオの存在を壊すことは紋章士の力をもってしてもできないと、そう信じていたから。
 しかしセネリオはマルスの剣によって刺し貫かれた。ルフレは何が起こったか理解ができず、マルスが姿を現さなくなった何千年もの間、その場に彼を留めた自分を呪った。セネリオは驚きもせず、苦しみから解放されたかのようにマルスの頬に手を伸ばした。
 マルスがその手のひらに口づけると、蒼い粒子と混じり合い、緑の風が灰のようにセネリオであった存在を消し飛ばした。ルフレの手元にあった腕輪も消えてしまう。呆然と立ちすくんで、かろうじて疑問を口にした。
「なぜ……」
「精神は滅びても心が存在する限り魂は失われない」蒼い粒子を大きく纏ったマルスが背中越しに少し振り返った。「私たちはそういう存在であると。いつか必ず、君も知る日がくる」
 ルフレのために望まぬ戦を先導していたリュールが手を伸ばす。マルスはつらそうに剣を構えたが、リュールを殺すことはしなかった。紅い髪をした美しい邪竜の巫女は、マルスの指輪を口元に持っていくと、そのままごくりと飲み込んでしまう。
「リュール――!」
 手元にあった剣で自ら刺し貫いて、一度だけルフレを振り返った。彼女は誰かの名前を呼んだが、それが自分であったか彼女が望んでも触れることさえ赦されなかった紋章士であったか、ルフレには判別できなかった。


 後には沈黙だけが残った。砂塵と死体の山を見つめて、ルフレの手元には顕現する者のいなくなった蒼い石の指輪だけが残った。







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