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2024/06/14 |
「それで……私のところに来てくれたんですか」 「ルフレともシグルドともしばらく顔を合わせたくない。腕輪に戻らず過ごそうと思えば三日が限界だが、助けてくれないか」 「私の方は、いくらでもいてくれて構いませんが」自室のベッド端に腰かけたリュールは、マルスが不在の間、気づけば結構な回数でペアを組み続けていたセネリオを見上げた。「やっぱり駄目――ですかね。セネリオ」 「当たり前でしょう」苛立ちを隠さず腕を組んだ魔道士は、すがめた両目でクロムを見上げた。「周辺地域での異形兵の数は以前とは比べ物になりません。腕輪を介してのルフレと聖王は文字通り半身です。こちらの出足が遅れる原因になりたいんですか」 「腕輪を分ける方法はないのか、探ってくれ」 「――」 「ルフレとは話をつけられると思うんです。でも、シグルドに関しては……ここ数日、二人の様子がおかしいことには、気づいていました。何があったんですか?」 呻いたクロムの顔が紅潮すると、あきれたようにセネリオが額に手を当てた。「あまり鈍感に周囲を掻き回すなら、神竜呼びに戻しますよ。リュール」 「あ! それは嫌です。私が本当はその名前に相応しくなかったことを知った今では、なるべく名前で呼んでほしいから」 「あなたは」セネリオはそれを囁くようにぽつりといった。「もう、神竜ですよ。私たちの世界のその人よりも」 「――あ」 「――」 「二人してなんです。そんな風にじろじろ見られると、見られるほうは気まずい。何か言いたいことがあるなら、はっきりしてください」 「いえ、その」リュールはあははと照れ隠しのように笑って、耳を掻いた。「嬉しいです。誰にそれを言われるよりも。セネリオはまっすぐですね!」 「――あなたの能天気が移ったんでしょう。ルフレには僕が話をつけてみますが、シグルドは無理です。クロム。好きなら好き。嫌いなら嫌い。遊びなら遊びで覚悟を決めてから、体の関係に至るべきでした。あなたは彼を傷つけた」 「……ッ、」 「人間の時とは違い、我々の魂は深いところで直結している。子供の戯れでは済まされません」 事情に気づいたリュールが息を呑む音と、喉を詰めたクロムの音だけが響き、吹き抜けの風が天涯の端を揺らした。セネリオは明け暮れて何色にも交わった紫色の空を見つめると、遠くをさすらって一度だけ振り返った。「ルフレと話してきます。結論は急ぎませんが、つきあいを断つというなら二度と口を利かないつもりで、彼と接してください」 セネリオが去った室内で垂れ下がる沈黙の中、リュールは穏やかな表情でクロムが口を開くまで待っていた。 「俺は、子供のような恋をしてきたんだ」 「……なんとなく、知っていました。口を滑らせてしまい、すみません」 「いや。――どうしてわかったんだ? 俺は、そんなに態度がわかりやすいか?」 「うーん、そうですねぇ」リュールは浮かんだままのクロムに隣に座るようベッドを叩いた。「クロムは最初、シグルドと話をしているときに前のめりになっていたんです。それがだんだんと、離れていって。そのうち口も利かないくらい遠くに行ってしまいそうだったので、『あ、これはそういうことかな』って」 「どういうことだ……」 「セネリオもわかりやすいですね。アイクといるときはずっと穏やかで、普段の彼からは考えられないほど、声に出して笑っていたりもします。それがルフレといるときだけは、二度と近づくなと言わんばかりに挙動不審に陥っているので」 「――それがどうして、そういうことだってわかるんだ」 リュールは少し言葉に詰まって、下を向いた。「それが恋の場合であれば、本心と言葉は自分でコントロールできるものではないから」 「……」 「無償の愛であっても、傍にいられればただそれだけでいいとはならない。相手も態度で示してほしいし、言葉も欲するものでしょう? 与えたら与えっぱなしというのは家族の情愛に近いもので、理想としては美しいですが恋愛の本質ではないと思うんです」 クロムはルフレに、すべてを望みますか――と。どういう意味で聞かれているかを考えず、クロムは素直に首を横に振った。 「いや。何もいらん。態度も言葉も、そこにあるだけでいい。それ以上には何も」 「私も、マルスについてはそこにいてくれるだけでいいと思っていたんです」リュールはさらりとそれを口にした。約束の指輪を見つけたが、リュールがまだそれを誰にも渡していないことも、クロムは知っていた。「傍らで立って話をして……私が母さんとやりたくってもそうできなかった、そういう時間を彼が作ってくれているようでした。穏やかで楽しい時間だったけど、ときどき思うんです。その垣根を越えたいと私が口にしたら、彼は去ってしまうかもしれないって」 「――」 「二度と出会えないくらいなら、呑み込んでしまったほうが優しい思い出にできますからね。竜族の寿命は長すぎるので、本当は慎重にならないといけないのに。思わず感情に流されて、ふとした瞬間に言ってしまいそうになる。傍らにあっての別離は、身のうちが離れようとも繋がっている感情よりは遠いから」 「……シグルドは、愛する人をたくさん持っているんだ」クロムは蓋をしてきた心の内を、少しだけ開いた。「求めてもすがっても、敵いようもないほどの激情で命を賭けて愛した人たちの影を感じることがある。最初はその思い出話と、過ぎ去りゆく時の流れを表現する彼の言葉に、強く惹かれるものがあった」 「――クロムも、そういうところがありますよ」 「マルスもだ。一緒にいる時間が長すぎて意識したことはないが、おそらくルフレも」クロムは頬を緩めていった。「ルフレがセネリオに惹かれる理由は何となくわかるが、逆はどうかと思っていたんだ。たぶん、二人の間でもそういった繋がりがあるのかもしれない」 「いいですね。知らないところで、巡りあって別れて。ルフレは、本当に優しいですから。クロムやセネリオが羨ましいです」 ふ、と笑った横顔に自分の世界のリュールを思い出したが、なぜか口にはしなかった。クロムはその関係を疑ったことが一度もなかったが、ソラネルでのルフレは今の彼とは違い、腕輪の中に引きこもらずリュールの面倒をよく見ていたように思う。 「俺は――シグルドと、どうなりたいのか一度も考えてこなかった」 「はい」 「流されたわけじゃない。ただ、振り回しているだけのように思えるんだ。一緒にいても、俺の事情や感情を押しつけているように感じる」 「……それの何がいけないんでしょうか?」リュールはクロムの表情を見て、首を傾げた。「端から見て、どうこう言われるのが怖いなら話は別ですが。そうじゃないんでしょう」 「正直なところ、それも怖い。お前が口にする前から、皆には気づかれていたと思ったら。いろいろ堪えられなかった」 「すみません」 「それでもまだ、誰かに詮索されようと傍にいたいと思ってしまうのも事実だ」 「――はい」 クロムは胸のうちに燻る声を掴みながら、あの夜を境に何度も問い直した自分の声に、耳を澄ました。次に顔を上げたとき、その姿は彼の先祖と同じくらいに力強く、優雅で暖かな色をしていた。リュールは目を細めて、彼の姿を静かに見つめた。 「すまん。俺が今夜いるべきところは、ここじゃない」 「いつでもどうぞ。待ってます」 「……マルス以外を選んでは駄目だ。相手が気の毒だ。リュール」 「そうするつもりは」リュールは夜の戸張もすっかり降りきった月光の明かりを受け、それを口にした。「――最初からなかったんです。英雄王には内緒ですよ」 |