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2024/06/14 

 自分から手放したもので落ち込んでいると、今だけは一番会いたくない人物がエントランスでたたずんでいるのを見つけた。「クロム。君がそんなに肩を落としているのは、珍しいね」
「マルス……」
 自分は代わりだったのか、となぜかそう思ってしまった。直系の先祖である青年の姿は、鍛え上げた肉体というよりはどちらかといえば華奢な部類で、自分ではなく女性にしては大柄なルキナに似ている。しかしその顔立ちの至るところに、自分が鏡で見るものを映したような痕跡を探すことは容易だった。意思の強いまっすぐな蒼い瞳を受け止めると、もうそこには自分より繊細な美しさの造形だけが残っているように思う。
 この美しい青年なら、みっともない姿など見せずに済むのかもしれない。大きくて武骨な自分とは何もかも違っている。声の高さも、肌の滑らかさも、優しい眼差しの何もかも。
「いや。なんでもない」
「――シグルドなら食堂のほうにいたけど」
「ああ。ありがとう」クロムは踵を返して、空中を漂った。言葉とは裏腹に、小道を逸れて反対側に行こうとする。その動きを後ろから見ていたマルスは一瞬で消えて、彼の行く手を遮った。
「なんでもないようには見えない。僕で駄目なら、他の誰かに……」
「……いや、大丈夫だ」
「クロム」
 手袋だけをつけた自分の右腕に長い指がそっと添えられると、振りほどこうという意志まで吸いとられるかのように端正な顔が眉根を寄せて囁いた。「――そういう顔をしているときの貴方たちは、いつだって一人にしてはいけないんだ。僕は何度もそれで後悔をしてきているように思う」
 なぜかその言葉はクロムの心に優しく満ちた。
 すれ違いの異世界に囚われていたというだけでなく、クロムはマルス自身について詳しく話を聞いたことがない事実に気づいた。ほんの僅かではあるが、向こうの世界で交わしたリュールとの暮らしを一瞬思い出す。囚われて壊れた世界の人物たちについて、腕輪の紋章士たちは何も言わない。積極的に人間と関わろうとしないセネリオでさえ、その身を預けていたオルテンシアの最期について、後悔している素振りを見せることもあるというのに。
「マルス――どうやって、この長い紋章士としての命を終えるつもりなんだ」
 思わずと言った風に口をついて出たクロムの言葉に、マルスは目を見開いた。クロムは掴んだ腕を離した彼の手を逆に握った。
「俺は、聞いていいのかさえわからない。お前がいなければあの大陸は統一されることはなかったし、俺の世界そのものが存在しなかった。紋章士としての時間以上に、肉体があった頃の俺たちに縛られている気さえする」
「それは、当たり前だよ。人間として生きて経験した時間の重さに比べれば、紋章士としての我々の存在は儚いものだから。君が生きて培った時の流れに逆らってまで、存在の重さを知覚できないのは当然さ」
「――」
 マルスは唇を再度開きかけたが、階段の小脇から出てきたルフレと目が合って口を閉じた。ルフレが黙ったままクロムを見つめると、掴んでいた互いの手はようやく離れた。
「……邪魔したね」
「いや。すまない――僕が先に詰め寄ったんだ」
「君のせいじゃない。いずれの理由があっても、僕はそれを知ってる。覚えておいてくれ」ルフレの声にマルスがなぜか一瞬、表情を硬くした。クロムの前に立ったルフレが腕を組んでため息を吐いた。「クロム。話せと言ったのはシグルドのほうだ。物事には順序ってものが……」
 クロム! と叫ぶ声も聞かずに、彼は去った。マルスが何か言いかけて口を開くのに「待った」とルフレが制止する。マルスは目線を逸らさずに、特定の意味を持って発せられた言葉に返事を返そうとした。
「――ルフレ」
「たぶん君もだ、マルス。僕は怒ってないし、その理由を話せばむしろ君が僕を罵倒することになる」
「……なんとなく、気づいてはいたんだ。異世界のリュールは僕のことを一切話さなかったし、おそらく相手が違ったのだろうなと」
 なぜかルフレは笑いを堪えるように、マルスを見つめた。その態度は思わぬものだったので、マルスは目に見えて動揺した。ルフレは構わずいった。
「その結果、非常にややこしいことになっている。君たちが解消できたというなら、それでいいんだ。僕は聞かない。君も聞かない。それでいいね?」
 どうして互いに覚えてなかったのだろうと首を傾けるマルスに、――君がセネリオと相討ちで消滅したことがあるからだよ――とは告げられず、ルフレはマルスを引き寄せた。
「……! ルフレ、」
「時の流れが早すぎて、すれ違うなら出会わない方が幸せなのかもしれないな」
「――そうだね。僕こそ寛容な君たちに甘えているから」マルスはいいさして、自分の肩にいっそうかじりつくその体を抱きしめ返した。「ルフレ。苦しいよ」


 いいんだ、どちらも生きててくれるなら――と低い声で嗚咽を隠すので、その参謀の身の内の哀しみは誰にも見せないように、異界のことを遠くに追いやった英雄たちは静かにたたずんでいた。







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