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2024/06/06 

 城塞の際では東西前哨戦に備え装備の確認が行われていた。祭壇を破壊するのが一番だと提言した参謀二人を抑え、リュールは首を振っている。「取り残された村人がいないか確認するのが先です。急ぎましょう」
 燃え盛る松の匂いが紋章士たちの鼻をつき、珍しくルフレが是といわず逆らった。「気持ちはわかるが、僕たちの弱点は突かれている。もう一度見回って足踏みしているうちに本殿を制圧される可能性が非常に高い。セネリオ」
「同じ意見です」
 凍った水路の内肌を熱が溶かしているのを見据え、後方で様子を伺っていたシグルドはため息で応えた。薄暗くなる森の湿った空気と混じり合い、距離感を掴めぬほど鼻が利かなくなっている。大扉の前で騒音は響いてこなかったが、無頓着にけしかければ炎の勢いだけではなく風が行く手を阻むことは容易に想像できた。
「――私がいこう」
 作戦途中でシグルドが口を挟むことは滅多になかったため、三人の動きが止まる。ペアを組んでいるジェーデを振り返ると鎧の端で槍をカツンと当て、無言でうなずいた。セネリオはリュールに、クロムとルフレはアンバーの腕に納まっているため、騎馬戦と滞空職だけのややバランスの崩れた配置で戦場を駆け巡っていた。敵による火の魔力で西の外壁にいる仲間と意志疎通できない以上、このまま持久戦にもつれ込むのは得策ではない。
「俺は構わないけどよ。ジェーデ、ひとりで大丈夫か?」火に怯える馬をあやしていたアンバーが慌てて近づき、彼女の脇に立った。「俺を題材にした英雄譚の続きが気になって仕方ないんだ。頼むから死なないでくれよ」
「小説の騎士様ならもっと格好いい言葉をかけてほしいわね」ジェーデは表情を和らげていった。「大丈夫よ。あの話の続きはもう書き上げてあるの。アルパカは出てこないけど……」
 気の抜けたような奇声をあげながら、アンバーは頭をかきむしった。「アルパカが出てこない……だって? ジェーデ、それはちょっと俺的には許容できない。絶対無事で帰ろう。帰ったらすぐ書き直してくれ!」
「無茶を言わないで。ディアマンド様の件で時間が取れないのは私たち直属の臣下だけ。ここを切り抜けたら小説はしばらくお休みよ」
 ジェーデが織り成す半ば趣味兼副業の小説はかなりの量になっている。「帰ったら私にも読ませてくれ」というシグルドにうなずき、ジェーデは額の汗を拭った。火の粉を払うには向いていても、鎧の重さは堪えがたいのだろう。
 ルフレがクロムと交代し、崩れた瓦礫を避けながらアンバーにいった。「少し後ろからついていく話をつけた。セネリオ、構わないか」
「異論はありませんが。できれば戦闘中の会話は口でしてください。そのやり方に慣れてしまうと事故が起きないとも限りません」
「わかった」
 腕輪に二人、三人となる者の間では、精神の電波を利用すると音を発さず話し合いができる。シグルドにはその原理が説明されても全くもってピンと来なかったが、クロムが出てきたことには妙に安堵した。積極的に撃って出るとなれば、彼ほど心強い相手はいない。「手間をかけさせるが、先を急ぐ間だけでも後ろを頼む。騎馬を返して振り返る暇がない」
「了解した」
「作戦はそのままで、唐突な襲撃には僕が対応するよ。あとはリュールの動きだけだ」ルフレが静かにいった。
「私はセネリオのいうとおり動きます」リュールは焦りを感じさせない、いつもの穏やかな顔でうなずいた。「きっと大丈夫です。マルス以外の紋章士と、ペアを組むことにも慣れてきましたから」
 その声に不在の人物の影が色濃く斜を走らせる。太陽のように辺りを照らしていた竜の子は、時が進むにつれ哀しげな表情を見せるようになっていた。先鋭隊を動かす旗揚げがスッと降ろされ、扉が開かれる。
「――必ず迎えにいきます」
 逆光を浴びるその姿をかつてのルミエルと重ね合わせ、シグルドは目を細めた。



 大陸の岩肌にあるまばらな雑木林が赤く光り、夕暮れ時の明るさを伴って辺り一面を照らしていた。遠い故郷に忘れてきた時間の影が、あまりにも早い速度で心からこぼれ落ちてゆく。シグルドは紋章士として新たに生を受けた日を思い出そうとしたが、そこにはなぜか幾重にも折り重なった記憶の積み重ねが存在し、見ようとする者のいく手を阻むように立ち塞がっているのを感じていた。
 長い間忘れていたことが、言葉の後を追うように生まれ出ては消えていく。それは淋しさによる靄を彼の心に落とし、既に自分の手から離れてしまった世界のすべてが、妙に遠くに感じられる瞬間だった。
「ああ、ここにいたのね」淡い色の髪をなびかせ、クロエが走ってくる。「シグルド。神竜様が呼んでいたわよ。時間があれば紋章士の間にお願いしますって」
「今夜の作戦会議かな」シグルドは軽装ではあったが実体であれば汚れそうな白い服の裾を払い、隣に置いた外套を取り上げ立ち上がった。果樹園の横で園芸をしていたジェーデが顔を上げる。「行ってこよう。そのままあそこで休みたいから、指輪はクロエが手にしてくれると助かるんだが」
「私は構わないけれど。実は来週の予定があって、アイクの指輪をしているの。二重に重ねるとハレーションで気持ちが悪くなってしまうから、ポケットで問題ないかしら?」
「もちろん」
「アイク殿はどこに?」ジェーデが立ち上がりながらいった。
「セネリオと何か話してたみたい。あなたたちもソラネル内なら自由に動けるから、指輪はジェーデが持ってたほうがいい気もするけれど」
「ならば私も行きましょう」ジェーデはシグルドの横に手を差し出し、読みさしの原稿を返してもらいながらいった。原稿は現実のものであったため、魔力でふわりと浮き上がる。「アンバーに今日のお礼をまだ言ってません。彼が食事当番だったと思うので」
「そうしてもらえると助かるけれど。ごめんなさいね。手間をかけさせて」
 三人連れだって歩いていると、プールの底を洗っていた双子が声をかけてきた。「あ、お帰りだったんですね!」「今夜の食事は豪勢らしいので楽しみです!」とほぼ同時に口にする。
「フラン、クラン。悪いけど後で飼い葉桶の補充も頼めるかしら? そっちは明日、私とルイが残りを終えてしまうから」
「両方とも僕たちでやりますよ」
「きゃー! シグルド様めずらしい。そんな格好もなさるんですねっ」
 やめなよ、フランと言いつつもプールの端から身を乗り出す双子たちに、普段よりやや簡素な装いのシグルドが微笑んだ。「いつも私だけ窮屈そうだろ。別に着替えができないってわけじゃないんだ。ただ……」
「ただ? 何か他に理由があるんですね!」
「紋章士としての規則に反するとか?」
「いや。ただ面倒なんだ」ぽかんとしている周囲の視線を剥ぎ取るように、シグルドはパチンと指を弾いていつもの騎士らしい格好に戻った。「これがデフォルトだと認識するだろう? 精神の世界では書き換えを頭の中で行うんだが、私はそれが苦手でね」
「初耳です。小説の題材にしたいので、詳しく聞かせてください」
「一度出したものを再度認識させるとなると、わけがわからなくなるのさ。例えていうなら部屋の整理整頓に似ている。マルスやベレトなどは得意なんだが、私は大雑把だから」
「計算され尽くした攻撃とは行かないようですしね」ジェーデは粛々とした様子でうなずいた。「杞憂していた挟み撃ちが一切通用しないほどの威力でした。私があなたを使っているのでは、充分力を発揮できたとは思えませんが」
「守り役としてのルイとジェーデは、かなり広範囲の攻撃でも堪え忍んでくれるからね。脚力さえ確保されれば、相手方の出足も挫けるし味方の逃げ場もつくれる。私は炎の魔法が得意ではない。頼りにしているよ」
 ぞろぞろと大所帯でエントランスを抜けると、カフェテラスから飛び出してきたリュールが「あっ」といった。「すみません、シグルド。あの、先にソラのお世話をしてきていいですか? すっかり忘れてしまって」
 いっておいで、と声をかけるとまっすぐ走り去り、「すぐ戻りますから!」とすごい速度で駆け抜ける。その後をソラがゆっくり悠々とお尻を振りながらついてく。
「あんまり走ると転げますよ」
「神竜様、ゆっくりね!」
 双子が顔を見合わせ、「じゃ、僕たちは馬小屋のほうに」「またお話聞かせてください!」とじゃれあいながら消えていった。
 カフェテラスでルフレとセネリオが首をつき合わせ、同じ本を読んでいる。自分がジェーデの原稿でそうしたように、指で触らずペラペラと捲るところを見ると、現実のものなのだろう。分厚い上に文字は小さく、シグルドは思わず呻いてしまった。その声にルフレだけが顔を上げる。
「ああ。クロムならさっき部屋に……」
「いつも彼の挙動を追ってるわけじゃないさ」
「――僕が表にいるのは珍しいだろ。てっきりそれで」
「君が相手をしてくれるなら、そのほうが面白いときもある」シグルドはセネリオの顔を見て続きを飲んだ。「二人でそんなに熱心に、何を読んでいるのかな」
「大したことでは」すっと立ち上がって行ってしまいそうなセネリオの袖を、ルフレがしっかりと握りしめた。「離してください。アイクのところに戻ります」
「僕じゃ頼りにならないってのかい」
 ルフレの低い声にクロエとジェーデが顔を見合わせ、手を叩いた。「そうだわ、ジェーデ! アンバーにお礼を言うんだったんじゃなくて?」
 ついでにお料理の味見もさせてもらいましょ、と手をつないで行ってしまう。後ろで座っていたルイが「素晴らしい組み合わせだ……」と目を光らせていたが、ルフレとセネリオの言い合いはおさまらなかった。
「伝承恵宝については一度忘れよう。紋章についてはベレトが何か知ってるようだったから、何かヒントになるかもしれない。まずはこっちだ」
「アイクは後衛で怪我をしたミスティラのことでずっと悔やんでいるんです。放っておけないでしょう」
「次の作戦で僕が別の誰かを怪我をさせたら、ここにいてくれるのかい」
「……! 馬鹿も休み休みいってください」セネリオがシグルドを振り返った。「見世物じゃないので。紋章関連で少し気になる点があるのです。後で読むというなら渡しますから……」
「いや。仲がよくて微笑ましいな、と」視線を受けてシグルドは手を振った。「本は結構だ。あまり得意ではない」
「クロムと同じことを言うんだね。異世界の総合知識を長年合わせた書物で、図案も載ってるから面白いよ」
「だから言ったんですよ。僕は一度部屋に……」
「詮索されたくないのなら、ルフレのやり方が正しい」シグルドは机に身を屈めて、そっといった。「一緒にいるのが当たり前になってしまえば、誰も意識しないさ。後方で特等席を陣取っているルイ以外は」
「――」
「――」
「いい」ルイは薄目をカッと見開き胸に拳を当てていた。「とても、いいですよ。支援値最大になかなかいたらず、揺れ動く男二人……悪くない……出歯亀はお気になさらず」
 セネリオはひとつため息を吐くと黙ってルフレの脇に浮いた。「明日の予定を先に済ましてしまいましょう。紋章は後回しです」
「そこは僕の部屋で続きをしましょうじゃ駄目なのか」
 頬杖をついて様子を伺っているが、なかなか下手な誘い文句だなーーとシグルドは思った。しかしセネリオには効いているようだ。泳いだ目線がふらふらとして立ちすくみ、唸り声を押し殺して椅子に座り直した。ストレートなほうが好みなのかもしれない。勉強になるなと思った。
「半時もしたら、夕食ですから」その後で……と。
「よし。一本取った気分だ。あ、シグルド。クロムは体よく追い出すからよろしく」
 何がよろしくなのかと聞きたくなるが、大抵のわがままは聞いてきたつもりだ。これも子守りの一貫かなと思い、「善処しよう」と返す。やるせなしの魔道士のほうはルフレを視野にいれないまま、むっつり押し黙って口元に手の甲を押しつけている。先に進んだり後に戻ったり忙しいな、と笑いを堪えて机を離れると、戻ってきたリュールが息を切らせながら「お待たせしました!」と笑った。
 事務机の際に絆石を大量に置くと、紋章部屋へと促してくる。精神体である自分に自然と扉を開け放ち、先を待ってくれるその姿にかつてのその人を一瞬重ね、シグルドは歩みを止めた。
「どうしました?」
「いや――」
 うまく言葉にできないほど、近頃のリュールはルミエルに似てきた。母親としての時間はほんの僅かで、彼はまだ知らぬ血の契りを持たない親子だというのに。その身を賭して我が子と決めたリュールを護り、一滴残らず分け与えた青い髪のひとしずくまで、映し絵のように彼女を思わせる。
 扉を開けた紋章の間は、ほのかに薄暗く周囲を照らしていた。すがるよすがの竜の子は、怪訝そうにシグルドを見つめて手を伸ばした。
「シグルド……?」


 ああ、と応じる声が震えて、肩口で噛み締める。次に目を開けたときには、いつもの穏やかな紋章士の顔で、白い騎士の心に凝る記憶は口にされなかった。





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