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2024/05/08 

 自分とは離れたところで話が進む怖さを、ルフレはよく知っているつもりだった。急流の音がうるさいほどの洞窟で、腕輪をしているパンドロが「どうかしたか?」と声をかけてくる。
「何か遠くから音がするんだ」野外鍛練中の休憩場だったので数名で固まっている。「ちょっと見てきていいかな、クロム」
 俺が行こうか、というのを遮ってすいっと道を逸れた。
 雷でも鳴るのかな……と宙をあおぐが、風がそよぐだけの丘は静かだ。頂上まで飛びきったところで、気のせいだったかもしれないと腰を回す。
「なにしてんだ? こんなところで」
「クロード。さっき、弓の音がしたように思って」
「ああ。やっぱり気のせいじゃなかったか。セアダスと話してたんだが」前回の件で反省した踊り子にはしばらく三体制の監視をつけておくことにした。クロードは綺麗な褐色の肌を掻く。「よし。俺はあっちを見てくるから。ルフレは反対側を」
「わかった。クロードは今日……」
「オルテンシアには二人をつけてっから、大丈夫だ。とりあえず一緒にくまなく探そう」
 級長組との行動は指示を受けるだけでいいほど素早くことが解決する。いざとなれば三人いるというのはやはり強い。自分とクロムも戦術の手数と力押しでは圧倒していたが、頭打ちになりやすい悩みの解決に関してはクロードを頼る他なかった。
 周辺を彷徨くがどこにもそれらしき怪異は見当たらず、弓も落ちてはいない。鍛練のために持ってきたのは槍と弓だけで、それぞれがどれの重さにどこまで堪えられるかの訓練になりかけていた。
「わかったか?」
「いや――そっちは」
「てんで駄目だ。向こうにまわろう」
 互いに参謀部屋以外で肩を擦り合わすほど近くで飛ぶのは、これが初めてだった。普段はあまり接点がないということもあるが、セネリオとの話を聞かれると困る――となぜか身構えてしまっていた。
 実際にはクロードはバランスの取れた人間で、セネリオと口を利くときは若干前のめりな気もするが、ルフレとは挨拶程度の会話である。理由でもあるのかと気にしていたが、よく聞けば腕輪の件でプライバシーに踏み込んじまったろ――と反省をしていたらしい。こちらが忘れていたようなことさえ掘り下げてくるので、「意外と繊細なんだな」と返してしまった。なぜか無神経なイメージがつきまとうのは、生来持った好奇心をおさえるすべを知らなかったからかもしれない。
「お。滝の下があやしそうじゃないか?」と覗きこんだまま道を逸れた。それが最後だった。


「単独行動しないでよねって、あれだけ言ったのに!」オルテンシアは特徴的なピンク頭を振り回しながら、怒っていた。「クロードはまだわかるわ。ルフレ。あんた最近たるんでんじゃないの? 私いったわよね。お姉さまと弓も練習したいから、向こうにいってくるって」
「ご、ごめん。てっきり反対側の崖方面かと」
「崖は落石が危険だから近づくなって、セネリオが言ってたじゃない。もう! ほんっと信じらんない!」
「オルテンシア。そう怒らないで」低く艶めいたアイビーの声が遮った。「私の怪我はたいしたこともないし、紋章士たちがある程度は個別で力が出せること、知れてよかったと思っているわ」
 滝の下でアイビーの手当てをしながら、セアダスが顔を上げた。「でもよかったよ。一矢掠めただけで、級長三人が一度に出てきたときには絶望の深淵を見たけど――うん? パンドロ、なに祈ってるの?」
「神竜様のお導きのような気がしてな。あんなに恐ろしい気持ちを味わったのは初めてだ。滝に堕ちていく三色の光の速さときたら」
 パンドロが高い位置を仰ぎ見て、霧のようにかかる滝の流れを目で追う。ルフレは本当に申し訳ない、と謝った。気にするな、とこちらも姿を見せずに半身が返してくる。
「三人で来てよかったのはこちらも同じですね」今日はアイビーの手元にあるセネリオが隣でいった。「ぽんこつがふたりですが」
「まったくよ!」というオルテンシアと、「誰のことだ? ん?」というクロードの声が重なった。ディミトリとエーデルガルトが離れたところで言い争っているのを、オルテンシアを担当しているロイが必死になだめている。誰も間に入ろうとしないのに。面倒見もよく優しい彼は、怪我が治りきってないオルテンシアのことも根気強く守っていた。
「姉妹で足を引っ張ってしまっているわね。イルシオン王家の名にまた恥を上塗りしているようで、本当に悪いと思っているの。ごめんなさい」
「お姉さま……」
 オルテンシアはハッとなって視線を逸らした。行き当たりばったりで我が強く、言うことを利かない己を恥じるように片手で守る。セネリオのほうをちらりと見れば、遠く視線をはずして、暮れゆく空を見ていた。
「このままだと日暮れに間に合いませんね」
「夜営できるだけの食料や道具は揃ってますよ。天涯もやりようがあるし、ソルムの砂漠で迷っちまったときよりはましだ。設営してきましょう」パンドロが提案すると、「わ、私も手伝うわ!」とオルテンシアが立ち上がった。ふらつく彼女を、サッと支える。
「いいんですよ。座っててください」
「でも……」
「いざとなったら俺とセアダスが二人とも担いで帰りますから」パンドロはうなずくセアダスと目を合わせ気負いなく笑った。「みんな、そんなに困った顔をしないで。ほら、俺にしたら両手に華どころか、綺麗な男の代表セアダスまでついてくる夜営キャンプなんて、ウェイウェイ叫びたくて仕方ないんですよ!」
「綺麗は嬉しいけど、俺も入ってるの複雑だな……」セアダスはほんのり頬を赤らめて、目を細めた。パンドロは気にもとめずアハハと大きく笑った。
「荷物取ってきますね」
「俺も行こう」消耗を防ぐため姿を消していたクロムがいった。「露払いにもならないが、背中を護るくらいはできそうだ。ルフレ」
「わかった」一声で意志が通じる状態であるため、思念波のほうを切断する。電波障害のような、おかしな雑音が途切れた。「腕輪のほうは余力を残しておくから。遠くまで行くと強制的に戻されてしまうから、パンドロは腕輪をつけたままにしておいてくれ」
「僕も行きましょう」セネリオがクロムにいった。「級長二名とルフレ、ロイであれば問題ありません。クロードはできれば裏で休んでてください」
「ようするに引っ込んでろってことだな。オッケー、わかった」特に反論することなく消えてしまう。
「言い方があるだろう……」
「他意は、ありませんでした」
 知ってるよ、早く行ってこいって! と腕輪から声が返る。言い争いを終えたディミトリとエーデルガルトが「私たちも何か手伝える?」と聞いてきたが、ルフレが「間に合ってるから。やりたいだけ痴話喧嘩でもなんでもしてくれ」と手を振った。
 エーデルガルトはムッとして、イルシオン姉妹と話すセネリオを見た。「……あなたたちよりはマシよ」とぼそりと返す。どうして女性は聡いのかとルフレはうなった。男が口にする頃には、もう事は済んでることが多い。


 薄暗闇のなかあり集めの焚き火とランタンに囲まれ、男二人は外で、女性二人はお互い抱き合うようにして眠っている。
「パンドロは気づいてなさそうだよなあ」クロードが顎に手を当てながらいった。背中から暖を取ろうと抱きつくパンドロを、セアダスが無意識に肘で追いやっている。「結構いい組み合わせ――ってこれ。ルイとクロエが小躍りして喜びそうな話だから、見なかったことにしてやるか」
「クロードにはそういう人はいなかったのかい」少し離れたところから声をかけると、「ははは。まあなあ」とはぐらかされた。ディミトリとエーデルガルト、クロムは腕輪で休んでいる。交代制を取っていたが、崖の向こうではセネリオが遠くまで見通しながらたたずんでいた。
「あいつは悪いやつじゃなかったんだが」誰のことを言っているのか、一瞬口をつぐんで首をかしげた。「女好きでさ。そういう対象には思ってもらえそうになくってね」
「――ディミトリは?」
「腕輪の中での俺の立ち位置を気遣ってくれるのはありがたいが、踏み込みすぎだぜ。軍師さん」
「すまない。軍師ね。聞こえがいい言葉だけれど」ルフレとは、んーっ、と伸びをした。「自軍に損害なく、効率よく相手を攻撃するだけの役回りさ」
 違いない、と微笑んで、浅黒い顔を寄せた。「ルフレ。ちょっと」
「ん?」
 少し高い位置から、髪が乱れていると直される。おとなしくされるがままになっていたが、クロードが笑いながら、「ほら来た。起きてしまうから、よそでやれよ」と後ろを振り返るよう言われた。
「――」
 無言のセネリオが圧力をかけてくると、シグルドほどあるその背丈とあいまり空中の浮き足でより大きく見えた。
「え、あ。見張り代わろうか?」
 ぱっと右手を握られ、手袋越しに感じる熱に、なぜ肉体を無くしても熱は感じられるのか。とふいに疑問に思って、引きずられるまま夜の平原に出た。遠くで手を振っていたクロードも、もう見えない。
「何を」セネリオが喉をつめた。「何を話していたんですか」
「ああ。クロードがかつて好きだった人の話を、ちょっとね」
「――」
「そんな顔するなよ。退屈してたから、つい」
 くちづけているように見えた、と。白状する横顔に「……わかりにくいなあ」と思わず言ってしまう。
「どういう意味ですか」
「いや、こっちの話」拳で口元を押さえたが遅い。「ははっ、ごめん。気づいた端から、からかわれてるんだよ。僕のほうでは」
「どういう――」
 腰巻きの帯端を取って吸い込むと、「不躾な」と払われたが、肩に手をやり腰に手を回すとそれ以上は抵抗してこなかった。ざわざわとうごめく草原の向こうでは、街の明かりがポツリとドームのように浮かんでいる。
「キスしようか」
「――」
「いや? いつもみたいに、はっきり言ってくれたほうが助かる」
「無駄な行いです」セネリオの声は硬かった。「なぜ僕なんです? どうして――?」
「なぜアイクなのか、聞いたら答えてくれるのかい」
 抱き合ったまま静かに答えを待っていると、「食べ物をくれた」と、それだけいった。
「じゃあ、答えをくれたから。なぜクロムかといえば、僕を起こしてくれたからだ」
「……答えになっていません」そうだろうか、とルフレが体を離そうとすると、セネリオの腕がルフレの背中をとらえた。首まで握りこむと、フードの根元で呻く声が悲しげにさすらう。「そんなもの。神竜リュールは毎日誰かから起こされてるでしょう」
「あれ大変だよなあ。なんでああなったのか、マルスに聞いてみたんだけど……」
 あなたは、と声が低い。「あなたは。誰なんだ」
「――?」
「紋章士になってから、ときどき感じませんか」セネリオは目を伏せたままいった。「何か自分とは離れた記憶が、順番もお構いなしに自分の中に入ってくるのを」
「――」
「ずっと以前から知っていたはずなのに、手を伸ばして掴んでいいかわからない。『君』を知らないはずなのに、いつからか思い出そうとしても薄れてしまう。その繰り返しでおかしくなりそうだ」
「セネリオ、」
「もう忘れてください。気の迷いということに」
 できるかそんなこと、と手首をがっちり後ろで組むが、相手の力のほうが強かった。精神体のため差し引きで押し負け、パッとその姿が消えてしまう。世界の果てまで見通せそうな大地で、ルフレは戸惑っていた。
「知らないぞ、そんな話! はじめて聞いたことで、また君に逃げられるのか? セネリオ。聞いてほしい。僕は――」振り返ったところで誰かとぶつかる。蒼い粒子が弾けとんだ。
「ルフレ」クロムだった。「すまん。ちょっともどってくれるか」
「……いつから」
「いや、いましがた」長身を前倒しにして顔に手をやる。表情をつくりそこねて、あっさりといった。「っ! 嘘だ。とにかく戻ってほしい。クロードに反対側を見張って来てくれと起こされたんだが、異形兵の残党が見えた」
「――わかった。セネリオと僕で」
「いや。そっちはセアダスが率先して周りこんでくれている。あいつも鍛えなおしてある程度の対処はできるから、アイビーとオルテンシアの場所をその間に移したい」
「うん」
 大丈夫か、と確認をしてくる声に手を振った。 


 明け方。場所を移しながらも異形兵を片づけて、ゲートを通じてソラネルまで戻ろうとすると、双子を連れたリュールが慌てて「大丈夫でしたか?」と皆の安否を気遣った。セネリオは何事もなかったようにルフレと接していたが、ルフレのほうでは滞りができてしまい、その空気は周囲にそれとなく知られていった。
 一度ふたりを見かねたマルスが来て「僕にできることはあるかい」と聞かれたが、ルフレは「時間がほしいんだ」と微笑んでその助けを断った。もとより人とのトラブルは多いが避けようというセネリオの意思と引きこもりやすい己の体質では、流れに身を任せるしかない。
 焚きつけ役のクロードは級長二人からもクロムからも責められたが、ルフレはなぜか感謝していた。時間が解決するだろう、とため息を吐いてソラネルの離れをまわりこんだとき、ディアマンドについていたセネリオが顔を上げた。
「――席をはずそう」
「構いません。それより先日の戦略会議で、単独行動していたアンバーですが」
「セネリオ。話したがってる相手を無視して、自分の言いたいことだけで去ればその態度は戦場で我々の命を脅かす」
 わかるな――と低音の響きが、風の音を煽るように吹き抜けた。
「……では。夕食後にしましょう」
「ああ。ルフレ、悪いが後で執務室にこれを届けておいてくれ」ディアマンドは踵を返しかけたルフレを通りすぎ、彼の目前でいった。「皆、君たちのことを信頼している。仲違いは許容するが、すれ違いは見過ごせん」
 普段の装いと違いトレーニングの最中であったのか、ディアマンドの服装は簡素だった。それでも漂う王者の優しさが妙な気迫を持ってルフレをその場にとどめさせ、「しっかりな」という声と共に彼は去った。
 誰にも見とがめられる場所ではないが、さりとて人の流れは自分たちをまた引き離すだろう。ルフレは脇を向いたままのセネリオにいった。
「すきだ」
 それは聞きました、と苛立ちを帯びた声が痛い。
「なぜ君がと聞かれたら、答えなんてないんだ。あるはずのないその場所に立って、君が存在しているなら傍らにいるのは僕であってほしい。それでは駄目かな」
「問答には疲れました」
 本を持つ腕に腕を絡めると、小さく笑うので唇を指で触る。くちづけると時がとまったように、もう何の考えも浮かばなかった。



 未知のものと既知のもの、その両方を携え声がする。
 記憶を揺らしたかの地では、間違いなく息づいた羽根が蒼い風を包み込んでいるようだった。





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