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2024/05/02 |
自室の天涯の棚奥に、約束の指輪は保管してあった。リュールは一度それを室外に持ち出したが、結局のところ決めかねて元の場所に戻してしまった。 よく考えて渡せ、か……生涯愛する人がいたのなら、迷わずその人に渡していただろう。実のところ、リュールには恋愛がよくわからなかった。戦争という非現実が心の活動を麻痺させているのか、これという人が思いつかない。いや、正確に言うとみんな相手がいるような気がするのだ。指輪を渡すまでもなく胸元のペンダントを握りしめている王女や、相手が男女問わず遊びに積極的な王子、筋肉のことしか頭にないふたりは似合いのカップルに見えるし、気づくと一番身近な男やもめさえ、年の差の恋愛をしている気さえしてくる。残りのみんなは、神竜様ブランドで持て囃してくれるが、『特別』という相手に自分自身がいる気がしてこない。偶像のそれなのだ。 「はあ……どこかにいませんかね。千年くらい昼寝につきあってくれて、夫婦でもないのに半身とか言い合えるパートナーと呼べる人は……」 「悩みごとかい。リュール」 顔をあげると、優しげに微笑む紋章士がいる。ああ、そういえばいましたね。恋愛、というのとは違う気もしますが、これ以上しっくり来る人はいません。リュールはにこにことソラネルの中央に近づいた。青色の紋章士は整った風貌をしていたが、問題発言を聞くと笑顔のままかたまった。 「マルス! お願いします。これを受け取ってください」 ソラネルの形状はそれぞれに固有の島で成り立っており、使用人と呼べる者もほとんど出入りはできない。小さく狭い箱庭で、その噂が広がるのはリンが弓矢で放つ流星群より速かった。 「指輪をもらったらしいね」シグルドは机に突っ伏したまま微動だにしない青年紋章士に声をかけた。「受け取らなかったと聞いたけど。話を聞ける適切な相手が私しかいないらしいんだ。薮蛇だとはわかっているが、詳しく教えてもらえると助かる」 「……何も話すことはないよ。そっとしておいてくれ」 「その様子だと、受け取らなかったのは本当みたいだね。それはそうと、場所を変えないかマルス。夕飯の支度をしたい者が先程から困っている。皆気を利かせて食堂に近づけないんだ」 顔を上げたマルスはげっそりとして窶れて見えた。シグルドは重症だなと呟き、「指輪にもどるかい」と尋ねた。 「……僕の指輪はリュールがはめているんだ」 「そうか。まだ相思相愛でよかった」 「あれを受け取れない理由、君はわかっているだろう」 「リュールは部屋に閉じ籠ったきりだし、ヴァンドレは顔を真っ赤にして怒っているから押さえるのが大変だったよ」 「……」 「たしか釣り堀にはスタルークしかいなかったように思う。あそこにしよう」 場所を移動する傍らで、周囲の視線は避けがたいほどマルスに突き刺さった。平静を装ってシグルドの後ろをついていくが、道中の好奇の視線と嫉妬交じりの憎悪はリュールが引き起こした問題の根深さをもの語っている。 (まさかとは思ったんだが……) 紋章士の誰かに指輪を手渡したい、と言い出さないか心配していたのは、忠実なる竜の守り人だった。たしかにカミラはリュールに限らず距離が近づきすぎるし、カムイは『嬉しいです!』と何も考えず引き受けてしまいそうな天然さがあるし、チキに至っては『だーいすき』の一言で生涯を共にしてくれそうな可愛さがある。 『紋章士の女性陣はとても魅力的だからね。そこはそれとなく僕から釘をさしておくよ』 『いいえ、マルス殿。私が心配しているのは、女性陣ではなく……』 『……男性陣かい? まあたしかに、シグルドは男の僕から見ても格好いいし、ベレトなどもああ見えて意外と包容力がありそうだよね。リュールの好みはわからないけれど、そうか。どの想定も考えておかなくては』 マルスは見た目は二十前後の若き日でとまっているが、中身はそれなりに老齢といっていい精神体であった。ゆえにリュールの父親的な目線からものを考えている節もあり、見た目も中身も年相応に老齢化している守り人には、ことを指摘するのが躊躇われた。 『あの。マルス殿。マルス殿自身は、どういった方が神竜様にふさわしいと考えておいででしょうか』 『……リュールが望むひとが一番いいんじゃないかな』マルスは深く考えずにそれを言った。『もちろん相手が応えてくれるとは限らないけれど、好きな相手と添い遂げるのが幸せというものだからね』 『むう』 『できれば寿命が長い人。そうだな……竜族は血が繋がっているし。難しいね。性質はリュールに似て穏やかで、戦闘で彼を一番に守ってくれるような心の強い人が理想かな。気が優しくて、思いやりがあって。リュールは鈍感なところがあるから、素直に愛を伝えてくれたり、時には疲れている彼の代わりにリーダーシップを取ってくれたら申し分ない』 『そう、ですな……』声は小さくなった。『しっくり来そうな人が、思いつきません』 『ははは。理想だからね。そんな人がいたら、僕も会ってみたいものだよ』 『神竜様が思いつかないことを祈ります……』 どういう意味だい、と聞いた相手はこうなることを予想していたのだろう。自分自身に当てはめて考えたわけではなかったが、自分の理想としている姿がそのまま投影されてしまっていた。 「受け取ってもよかったんだ」マルスはポツリとつぶやいた。シグルドは振り返らず先を促した。「リュールの傍に、永遠にいられる保証があるなら。寿命があったとしても、せめて肉体があったなら僕も考えた」 「マルスにも運命を誓いあった仲の人がいるだろう」 「……こうなった今では、遠い思い出の中に等しい。君もそうなのだろう。だから、ルミエルと」 シグルドは悲しげに笑った。ルミエルの約束の指輪を手にしたとき、その事実に思い至っていれば、そんな顔をさせずに済んだ。誰かに渡したことのある指輪だとして、なぜあそこにあったのかとマルスは考えもしなかった自分に腹が立ってしょうがなかった。 「肉体、か」シグルドは笑った。「懐かしい響きだ。我々がそれを忘れた存在になってから、もうかなりの時が流れている」 「ああ……心の約束だけで彼を縛りつける気はないよ。話を避けてしまった僕の責任だ」 「なぜ避けたのか、聞いても?」 「意地悪だね。自分以上にリュールが信頼している紋章士がいるとは思えなかった。それが正直なところさ」 「ふむ」シグルドは庭木に寄りかかるようにして、マルスを振り返った。「では、君が問題にしていそうな内容についての助言はできるぞ。気持ちのほうが固まっているなら、実はたいした話ではない」 マルスは思わぬ言葉に動揺を隠せず、後ずさりした。「どういう意味だい……」 つまりこういう話だろう、と続いた答えを風がさらって、木漏れ日に眠っていたソラが起き上がった。マルスを見つけると鳴き声を上げて、くるくると回る。 議題の解決は夜半までかかった。断られることを想定していなかったリュールは、その日の夕食時に姿を見せなかった。 いつもの暗闇に淡い光が差し込む。リュールは起きなくてはと思うのに動かぬ頭を枕に埋めた。どうせ誰かが起こしにくる。それまでもう一寝入り……。 「リュール。起きているかい」 聞き覚えのある優しい声が、耳をかすめた。一番近しいその人は、起こし係になぜ入っていないのか疑問に思ったことはある。一千年も声をかけ続けて起きなかったのだから、お役ごめんになったんだよ、と微笑んでくれたっけ。リュールは夢であることを祈った。 「まだ少し早いんだけど……昨日のことを謝りたくてね。君の気持ちも考えず、それはできないと否定してすまなかった。眠ったままでいいから、聞いてほしいんだ」 リュールは泣きそうな心持ちで、赤らんだ顔を隠した。考えなしに思わず言った言葉が、あそこまで波紋を呼ぶなんて。気持ちを考えなかったのは自分のほうだった。たしかマルスには婚約者がいたはずだ。それがいつのことなのか、その後の人生を経て指輪に精神が取り込まれたのか、詳しく聞いたことはなかったが……。 「リュール」信じられないほど甘やかな囁きが、耳のすぐ近くでそれを言った。「僕も君が好きだ。君は深く考えて約束の指輪をくれようとしたわけじゃないんだろうけど……君が考えている以上に、僕は君のことを深く愛している。だから断るしかなかった」 「……マルス……卑怯です」 「振り返らないで。今のこの調子では、肉体がないことを忘れて気を抜くとベッドから落ちてしまう。みっともない姿を見られたくないんだ」 「浮いてるんじゃないんですか?」 寝返りをうつと、すぐ傍に端正な顔があった。リュールと肩口に手をかけ、バランスをとっていたのだろう。驚いてするっと上下し、リュールの向こう側に手をつく姿勢になる。 朝焼けに綺麗な青い粒子が、きらりと音を立てて散った。押し倒されているみたいだ、と不思議に思って手を伸ばす。幼さを残した頬や、自分より僅かに低い背丈を間近にすると、困らせた理由がひとつだけではないことがよくわかった。 「マルス。パートナーという言葉で、あなた以外の人を私が考えられるわけないでしょう」 「……ヴァンドレはものすごく怒っているらしいじゃないか」 「彼の怒りなど怖くはありません。あなたの拒絶のほうがずっとつらかった」 「それでも賢明かもしれない。リュール。紋章士に子は成せないし、僕たちも永遠の存在ではないんだ。引き返すならいまだ」 なぜそんなに切なげにそれを話すんですか、と問いたかった。リュールの指をその場にない頬で味わうように、小首をかしげる。マルスはなぜか自分の頭にある宝冠に手をかけた。サラリとまっすぐな髪が雪崩落ちるように影を作る。よく見るとマントもはずしているし、いつもよりラフな姿だ。初めて見るな、と見とれていると、覆い被さってきた顔が首のすぐ横で呻く。 「……あのね。諸々の事情は置いて一緒になったとして、この状況にどう対処する気なんだ? 君は」 よく考えるとキスはおろか、抱きしめることもできやしない。リュールは愕然とした。「ああ! だから紋章士は誰も苦言しに来なかったんですね……?」 「ヴァンドレ以外にも苦言されたのかい。いや、そうじゃなくて」 マルス頭を抱えながら、はあああと深いため息を吐いて体を起こした。あきれたようにこちらを見る目元が、いつもより赤いのに気づく。 「マルス。ひょっとして、意識してくれているんですか!」 「この状況下で、意識するなというのは難しいだろう。ああ、してるさ! 君は千年過ぎてかなり無鉄砲になってやしないかい? 何十人もいる候補者からなぜ僕を――その後のことなんて、なんにも考えてなかったって顔をしているよ」 「……そういえば、まったく考えていませんでした。マルスは私と今までどおり過ごしてくれるものだと」 「それでもいいけどね。もっとほかにいるだろう。紋章士でも、綺麗どころとか美人さんとか優しく愛を囁いてくれる人とか」 「一番の綺麗どころの美人さんが愛を囁いてくれた上で傍にいたもので……正直、後から何人わいて出てこられても目の保養も声の響きもマルスの存在で足りてたんですよ」 マルスは今度ははっきりと赤面して唸り声を上げた。「やっぱり考えてさせてくれ」とベッドから降りようとする。リュールはその腕を掴もうとしたが、すり抜けてしまった。 「ああ……」 「こんな簡単なことさえ、僕たちの間では難しいよ」 「でも、ちょっと嬉しいです」リュールはめげなかった。「昨夜は天地がひっくり返った以上の絶望感でしたが、見込みはありそうなことがわかったので」 「……僕の話、ちゃんと聞いてたかい?」 「もちろん。家族として愛してくれているのは知っていましたし、私もそうです」リュールも体を起こした。寝間着で向き合うのは照れくさいような話をしている。「それでも、ここから始められるなら考えてほしい。私にはマルスが必要で、それはあなたが紋章士だからではありません」 「……」 「マルス」 「まだ返事を決めかねているんだ……」マルスは体を僅かに浮かせて、リュールの手を遮った。「君に話しておかないといけない」 「別離についてですか」リュールはマルスの視線をとらえた。「さっき永遠にいられるわけではない、と言ったから」 「リュール」 「なおさらあなたが欲しくなりました。いけませんか」 「……どこでそんな口説き文句を覚えてきたんだい」 リュールはつたなくも真っ直ぐに言葉を繋いだ。「昨日までは永遠がすぐそこにあると思っていたから、決断を迫るのは更に千年後でもいいなと思って眠りについたんです。幸い、私も一度死んだことで同じ紋章士になれましたので」 「次は千年も待てないよ」マルスは答えた。「指輪の中にいるだけじゃ我慢ならなくて、ルミエルに頼んで何度も顕現してもらった。君の横に並んでその寝顔を眺めて何年も過ごした日もあった。それにも疲れて何百年も指輪の中に引きこもったり、君以外の手に指輪が渡るならもう二度と目覚めることのないよう、シグルドに頼んだことさえあったんだ……」 「え……?」 「世界の命運だとか、そういう話にさえ興味はなくなっていた。君さえ目覚めてくれれば、もう役割なんてものからは逃げ出してもよかった。軽蔑しただろう。指輪のことから離れれば、僕だってただの人間なんだ」マルスはリュールの乱れた髪を撫でるような仕草で触った。「君が覚えていないことを幸いに思うけど、それだけの絆と出来事が僕らの間にはあったからだ。……一足とびに続きを求められるのは予想してなかったけど」 「な、なぜ何も覚えてないんでしょうか」 「……忘れたままでいてほしい。僕も今の僕ではなかったから、君に酷いことをしたんだ」 「肉体がないのに?」 「再現できるとは思えないけれど」マルスはゆっくりと立ち上がり、扉を指し示した。「君に諦めてもらう唯一の手段かもしれないから、シグルドに方法がないのか聞いてきた。試してみたいなら、鍵を閉めてくれ」 「マルス……」 「これが最後になるかもしれないから、後悔したくないんだ。すぐに終わるよ」 指輪は手に嵌めておいてくれ、と左手をとられる。すり抜けた手のひらを互いに確かめ合うように、気づけば指先だけ絡み合っていた。「紋章士としてエンゲージするときの感覚はわかるかい」 「ええ……まだほとんど試してないですが」 「詠唱してしまうと、僕と一体化するほうが僅かばかり早いんだ。君自身は肉体があるから」マルスはふっと微笑みを浮かべた。「僕に任せて呼吸と動きを真似してくれるかい」 「……剣の訓練と同じように、ですか」 「うん。まあ似たようなものかも」離れた淡い輝きが、リュールの体に重なるように動く。「緊張しなくていい。怖いことはしないから」 呼吸というのはわかりやすかった。マルスが耳の傍で艶かしい声を発し始めたからだ。鼻から抜けるような小さな声に呼応するうち、リュールの頭は微かにぼんやりしてきた。それと同時に、これまで意識してこなかった刺激に喉を震わせる。 「マ、マルス……?」 「ん……上手だよ。続けて」 動きのほうは真似をしろと言われてすぐに従えるほど、簡単ではなかった。握りあうようにしていた手がリュールの体を這うように滑らかに動き、輪郭をなぞって服の上から暴いていく。恥ずかしい場所を探られたわけでもないのに、自分で同じようにするのは羞恥を伴った。はあっ、ふうっ、と喘ぐ意味が変わってくる。 「マ、ルス!」 「早起きの友が様子を見に来るかもしれないだろう」 その声にはいたずらめいた響きも含まれていた。からかわれているのかとカッとしたが、真剣な表情でいつになく熱い視線を向けてくるマルスの姿に、リュールは先をつなげなかった。 「好きだ。これが最後になったっていい」 開けた口に、唇が降りてくる。吸ったのは空気だけだったが、互いにずくんと疼いた箇所が自然と合わさった。首筋をなぞるように顎先がかすめる。また大きく息を吐くと、何か感じたことのない感覚が沸き上がった。 胸の中心で何かが光った。赤い顔をしたマルスがそこに手を翳す。「ああ、この指輪もつけていたんだね」シャツの間を割って入るような手の甲が、リュールの体に埋まるようにしてそれをすくった。 「何か」 「ここもね」マルスの長い指がリュールの腰と辺りを示した。「集中して。解き放つんだ」 「はい?」 「……そういうことじゃないよ」そうであってもいいけど、と言う声が遠くなる。「ああ、でも上手だ。すごいよ。あとひと押しだ。リュール。もし互いに触れあえるとしたら、どこを一番にさわってほしい?」 「どこ」リュールは変な想像をしてかあああと茹で上がった。「ああ。もうっ……全部です! マルス、私はあなたが……」 わかった、と抱きすくめられる。おかしな声を押し殺すと同時に、隣人とエンゲージするときの感覚が体を駆け巡った。リュールの体は一瞬感覚を失い、ベッドの底に落ちるようにして空を舞った。 ソラネルから落ちてる、と気づいたのはマルスの驚く顔を目にした後だった。なぜ、どうしてと体を探して、自分が肉体から抜けて青い精神体になっていることがわかる。しかし落下は止められなかった。 リュール! と叱咤の声が手首を掴む。「ああ。まさか部屋をすり抜けて落ちるとは」 愛しいひとの手の感触があった。透けていた色が鮮やかに感じられた。もう迷いは消え失せていた。浮けることを思い出すより早く、目の前の青年を抱き締めていた。 「く、苦しいよ……」マルスは苦笑した。「やり方はわかったかい? 紋章士同士なら触れ合えるからね。エンゲージと違って幽体離脱と同じ原理だから、君の体は寝ているけれど……」 「マルス――」 「うん……あたたかいね」 「な、なんで。なぜ今まで教えてくれなかったんですか? 触れるようになっていたんだと」 「……それを僕に聞くかい。うん、まあ。離れがたくなってしまうから、正直考えないようにしてたよ。シグルドに指摘されるまで、可能性さえ忘れていたくらいだ」 きっかけはポン、と肩を叩かれたことだ。『まず君が気にしている肉体云々についてだが……』とシグルドは続けた。『リュールはすでに紋章士だ。我々は精神体ではあるが、互いのちょっとした不便を解消するために、触れることは可能じゃないか』と。チキのほどけたリボンを直してあげましょうか? とカミラとカムイがこぞって撫でさすっていた事実を思い出す。ポカンと口を開けたマルスに『お礼はキスひとつでもいいんだよ?』とからかうシグルドの言葉を思い出す。 「だって……諦めてもらう手段とか言ったでしょう!」 「いや。触れないと慕情がつのってしまうものじゃないか」マルスはリュールを抱き締め返した。「気持ちが本物かどうか、確かめようがないから……」 「触れなくたって、そんなこと……だって私は……」 「知ってるよ。昔はそうして、話せもしない触れもしない、僕を求めてくれたんだもの」 「……っ!」 「君はそういう人だ。だから、僕のほうではずっと……約束なんてなくても、そばにいたかったんだよ」 虚空を舞っている風がゆっくりと漂い、二人の間をわずかに引き裂いた。リュール、といつになく低い声が問うてくる。 「本当にいいんだね。僕は……君が思っているほど優しくないし、君以上に無鉄砲なときもある。誰かを導けるほどの強さはないくせに、君の隣を誰にも譲りたくないと思ってしまった。そんな僕がまだ欲しいと思ってくれるなら。返せないほどのすべてを君に捧げたい」 「もうずっと……貰ってばかりだと感じています」リュールはマルスの両頬を挟んだ。「あなたのすべてがほしい、マルス。指輪も、約束も、永遠もいらない。あなただけが、ほしいんです」 剣を握るために鍛えた腕が、リュールの腕をとらえて引き寄せる。確かに合わさった唇からは、嬉しそうな互いの吐息が漏れた。永遠に感じるほどのとても長い時間、青い紋章士は空中でむつみあっていた。 |