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2024/05/02 

 薄布で寒くないか、と馬鹿なことを聞いた。つい遠い記憶による肉体があったころの癖で、片割れを心配してしまうことがある。
 ん、とルフレは本を読みながら眼鏡を下げて、裸眼でクロムを見上げた。「問題ないよ。外套はちょっと出払っててね、ソルム王国では日中見た目が暑苦しいし」
「なんで眼鏡なんだ? どこから取り出した?」
「現実に存在するものなら複製はできるからね。カゲツが『相棒になった証じゃ! くれてやろうぞ!』って。一応断ったんだけど、『マンネリはよくない。よくないぞ』って」
「……確実に誤解してるな」
「さあね」
「誤解だと説明を――」
 それでこの間どうなったかもう忘れたのかい、と叱責される。クロムはぐっ、と息を詰めた。
 ひとつの腕輪にふたりというのは、何も自分たちだけに限ったことではない。エイリークとエフラムは指輪の中から片方しか出られないらしいが、三級長の生徒は三人ぎゅうぎゅう詰めのはずだ。着替えはどうしているんだと馬鹿な話をこっそり聞いたことがあるが――厳密にいえば精神体である以上必要ないのだが、肉体があるときとないときで異なる生活をするのは精神衛生上よくないと指輪の英傑たちに諭されていた――、男ふたりは完全に真逆の反応だった。
 詳細は省くが、そんな話はできないと赤くなりながら怒りだしたディミトリをなだめつつ、クロードが『興味津々だねぇ』と逆にこちらのことを聞き出そうとしてくる。最終的に腕輪の中ですべてを聞いていたエーデルガルトが出現し、『そんなに私の着替えが見たいなら見せてあげるわよ!』と服に手をかけたところで、同じく困り果てたルフレが仲裁に入った。
「女の子にあそこまで言わせちゃ、僕も黙っていられない。後ろ暗いところがないのに、わざわざ弁明する必要なんてあるかい?」
「……いや。すまん。おまえのいう通りだ」
「まあ僕もあのまま止めないで見たい欲求を抑えるのは辛いものがあったけど」
「ルフレ?」
「冗談だよ。ただ、三人ともなんていうか、年が離れてるだろ」僕たちよりは、と続ける。「過酷な環境のせいで大人びてはいても、移した時期の精神性から考えるとまだ子供なんだよ。今回だけは多目に見よう」
 コンコン、とノックがする。俺がいこう、と現在腕輪をつけているカゲツの可能性をかんがみて、もし違う人物だったらいきなり隣に出現して驚かせてもいけない、と壁越しに顔を出した。
「聖王」まさかのセネリオだった。「ルフレはいますか」
「……」
「聖王?」
 なぜルフレはルフレで、俺はクロムじゃないんだ――と野暮なことを聞きそうになる。己がこのテのことに人一倍弱いことは理解していたが、『こいつとこいつがああなったが故にこう』みたいな図式のなかに、絶対いなかったはずの人物だ。急に現れて激しく混乱していた。
「いないなら戻ります。カゲツの伝言を伝えにきただけなので」
「待て。カゲツ?」クロムは気安く触りかけた自分の手に、鋭い視線を投げかけたセネリオを見る。「あ……あ……ああ? あー! あーー! うん、よし。理解した。ルフレ。セネリオ。カゲツ。なるほどな! あいつ天才か!」
「何がなるほどなんですか。意味がわかりま……」
「いやあ、あはははは。俺はやんどころない事情のとてつもなく早急に済まさねばならないアルティメット忙しく時間のすんっっっごいかかる用事を思い出したようだ。今夜は一人寂しく腕輪にもぐる」クロムは今期一番のよい笑顔になった。「ルフレなら、中にいるぞ!」
「――もう出てきてるよ。ならさっさともぐれ」
 ルフレをばっ、と振り返って、眼鏡はどうした? といいかけ口を閉じる。「う、うん。こういうのは最初の驚きが大事だからな。新鮮さというものは時間と共に喪われていく儚く尊い宝物のようなものだ」
「聖王は誰かさんの影響を受けすぎですね」セネリオがいちいち赤らめて魚のように口をパクパクさせるだけの生き物を視野に入れず言いきった。「気を遣ってくださるのはありがたいですが、しばらく個室でふたりきりはやめてもらえませんか」
 クロムは魔道士を交互に見比べて、「あ、ああ。そうだな。気がつかなくてすまん!」と音もなく一瞬で去った。
「そういうことではないです。おふたりのいらぬ噂がこのままだったら、全体の士気に関わりますので」
「もういないよ。セネリオ、中に入って」
「……全体の、士気に」
 ルフレは意地悪く笑って、壁越しに引き寄せた。地面を介すと意外と身長のあるセネリオを、どうしても見上げる形になる。「いらっしゃい。面白い本が手に入ったんだ。あとさ」
「カゲツの伝言は聞かなくていいんですか」セネリオは外に出ようとして、背を向けた。強硬手段としてルフレが残していた、帯の部分を引っ張るという策略は取り出した魔道書で軽く叩いて防いだ。「読みたいのは山々なんですが、次の戦略を任されているので忙しいんです。明日に――」
 背中の温もりは幻覚のそれだ、と言い聞かせる。中枢回路のどこに残されているのか、置き忘れた遠くの体感を拾っていく感覚が確かにある。頬を寄せられるだけで、背筋をわずかに走るものを振り払うべく、ルフレに向き合った。
「いい加減に、してくだ、さ」
「似合う?」
 細身の眼鏡には見覚えがなかった。セネリオは口をポカンと開けて、魔道書を胸に抱えたままルフレに近づく。予想外の積極性に「お」とルフレが好感触を期待すると、
「――紋章士でありながら、老眼ですか?」といい放った。
「不発だったか」ちっ、と己の凡庸な顔に腹を立てる横を向いたその頬が赤い。「結構いけると思ったんだけどな。僕は他の紋章士と比べて特徴が少ないし。これで駄目なら猫耳犬耳ソラ頭もきつそうだ」
「はずしてください」
 青白い光を放った細い指に、カチャリと取られてしまうのを残念に思った。
「まあ、紋章士は残り二十人もいるんだから、誰かにあげよ、う」自分とセネリオを勘定からはずしたルフレは数秒黙ったのち、無言の相手をまじまじと見た。「あ! はずさないで! もう少し……」
「帰ります」きっぱりといって、素早くはずされてしまう。らしくないチャレンジを望まれる前にしてしまった羞恥心で、耳まで赤い。顔が真っ赤になる貴重なタイプの男と同じ腕輪にありながら、両頬をしっかり正面から捕らえたまま、「えっちだなあ」とルフレは思わずつぶやいた。
「は?」眼鏡のほうじゃない、と言い訳する前に今度は首筋まで染まる。貴重だ。色白の特権だ。こんな状態ではさすがに返せない。万が一あの偉丈夫と出くわしでもしたら――と考えると、苛立ちが強くなった。「……ッ」噛み殺した息づかいまで可愛い。
 浮いてしまえば身長差など大した意味を持たないが、セネリオの場合恥ずかしがるといちいち脇を向いてうつむくので、己が一番のベストポジションを確保していることは理解していた。
 掴んだ手首を唇に持っていくと、誘われていることにはもちろん気づいていたセネリオが抵抗した。「今日は駄目です。あ、」
「うーん……」再度、眼鏡をかけたセネリオをいろんな角度から見てみる。「あんまり、似合わないな? なんというか……学校の先生みたいな」
「――あなたは似合ってましたよ」
 ぽつりと本音の漏れた胸を、拳で軽くたたく。「君の反応を拝んだらベレトにでもあげようと考えてたけどね。お世辞はいいよ」
「かけてください。マンネリ解消なんでしょう」
 どうしてそれを、とはずしてやった眼鏡を見ながら問う。仕方がないのでかけ直すと、無遠慮にのびてきた手が「失敬」とちっとも思ってなさそうな不遜な態度で、あっち向かせこっち向かせしてくる。
「……わりと乗り気じゃないか。さてはカゲツの伝言って」
「似合ってないこともないですが、なんだか普通ですね」仕返しとばかりに冷たく鼻を鳴らす。「くちづけていいですか」
「――よくないよ。流れとか雰囲気とか、君はそういうのまで省くのか!?」
 とはいえ、高い位置から抱き込まれると自分より体格が細かろうが相手のペースだ。おとがいを指の背で撫でられるとそのまま顔を上向けられ、唇が合わさった。扇情的な仕草が似合いの男が男であるという事実を思い出す。
「邪魔ですね」
「邪魔だね」
 ほとんど同時に言ったが、受け身の魔道士にリードしたいという気にさせたなら眼鏡効果すごいな。と馬鹿なことを考えた。邪魔といいつつ、はずす気はないらしい。角度を変えるという口実を得たからか、くちづける度にいろんな方向からもてあそぶ。顎にかけられたままだった指先はルフレの喉仏をゆっくりとなぞり、開襟の裾を爪で引っ掻いた。
「ちょ、う……」ふふっとめったに聞かれない声をとらえて目を開きかけるが、片手で眼鏡ごと遮られた。離れていく舌先が爪の後を追う。
「君、その気になると手慣れてるよなあ」ベッドに半身を押し倒され、下半身を弄られながら髪を撫でた。「やっぱり、その」
「聞かないでください」
 アイクじゃないですよ、と最低限こたえれば、何も言わずにルフレはセネリオを引き寄せた。
「約束したよね。最中にお互いの名前以外は禁止だって」
「――あなただって、クロムと」上から見下ろすと人を小馬鹿にしたアイテムのせいで別人みたいだと苛立ってくる。普段のルフレより酷薄そうに見えて、セネリオはその輪郭に指を滑らした。「どうして帰る場所が僕の腕輪じゃないんですか」
「……うん?」
「どうせ気づいているんでしょう。邪竜を倒したあと、紋章士たちは……僕たちは、それだけの」
「ああ」ルフレは酷く嬉しそうな笑顔を浮かべ、自分に覆い被さるその顔に手をのばした。「誰かの強い想いがあれば、同じ世界に戻れるそうだよ。僕は前世で、そうやって乗り越えたと聞いてる」
「――あなたなんなんですか、」唇を使って眼鏡をはずしてやれば、いつもの屈託のないちょっと人をくったようなルフレの顔に戻る。「いったい、なんだっていうんだ」
 苦しげなセネリオ以上に、眉をしかめて哀しげに見えた。


 ――あいつに聞かないでやってくれ。
 ――おまえの知らないあいつじゃなく、今のあいつを信じてやってくれ。


 言われなくとも、と身を屈めたセネリオに、形容の意味でない己の半身を起こして、ルフレはその奉仕を受けとめた。暗く波打つその髪が、まだ短かったころ。受けた仕打ちの数々を、身を焦がすほど愛しい男に知られたくはない。
「セネリオ、逆を向いてくれたら僕も返せるけど」
 舐めほどいて含んだもので、話せない風を装った。互いの匂いもわからず、意味もなく繰り返すだけの逢瀬の記憶が、残るわけないだろうと理屈で考えてしまう。でも。もしかしたら。いつか。なにか。どこかで。
 セネリオ、と。「僕は――本当は」
 聞きたくない。どうせ全部忘れてしまうのだから。全部忘れて、最初から何も知らないまま、一生を終える自分がいるはずだ。
「か、はっ。……ッ!」
「……味がしなくても、飲まないって約束も追加だよ」
 咳き込んだ背中を、苦笑まじりに擦ってくる。口からこぼれ落ちた粒子はしばらくシーツに染みたように見えたが、指でなぞると蒼い光となって消えてしまう。
「いれてみるかい? 弄ったことないから、時間かかると思うけど」
「――気軽にいうんですね。最初は頑として譲らなかったくせに」
「こだわりがあったわけじゃないんだ。対抗心――かな」思わず、といった具合に吐き出した言葉に目を見張ると、体だけ、心だけってこともあるだろ! と妙なところで純朴さを発揮してくる。
「忠誠心はまた別です」
「よくいうよ。今夜はやけに素直だから可愛いと思ったのに」
「僕はあなたと違って、あなたよりも、狡いんです」セネリオは下から順に髪をほどいて、小指で掴んだままだった眼鏡の弦を弾いた。口元に入れると、優しい体だけ、心だけの恋しい人が制止してくる。粒子となって消えていく唾液で腹を滑らせ、とうに勃ちあがっているものを避けて体内に受け入れた。「痛! ……ッ! てぇな! もう!」
「もう、じゃない馬鹿」ぱしんと手をはたかれる。すっ飛んでいった眼鏡は幻想の産物だったため、床につく前にルフレの意思によって空中に消えた。「くっ、そ。カゲツのせいだ」
「カゲツ関係ないでしょう! 真面目に選んでるの見ましたよ。あんただけ似合うの、腹立、つ
――」
 互いの泣き顔を見たことはなかった。想像もできない。魔法と剣の二段撃ちで冷酷に命を契り捨てていく軍師の涙なんて、誰も拝めやしないだろう。聖王の前でだけ。深い話を聞かずとも。

 なぜかそう思っていた。

「セネリオ、限界だ」
 雰囲気づくりとやらに健闘したら萎えしぼんでいたのに、ろくに先も当たってないような幻覚小物で大きくしていることにあきれる。口腔の間にうまく事を運んでいたため、求められるまま応じれば、わりとあっさりと繋がった。
 見たものを瞬時に打ち消す。なぜ。どうしてと疑問が沸き上がった。

 いつもよりずっと、醜態を晒している。

 つい口癖で、早く済ませろと暗に命じた。急速に快楽を探ろうと背中をそらす。上からだとうまく当たらない。全然いいところを探ってこない男に焦れて、前屈みになって、怒りに満ちた目とかち合った。何も言わない。思えば軽い行為だ。つまらない、退屈な、気の迷いがそうさせた
――だけの。

「泣くなよ」

 震える背中にまわされる腕は、確かに男のものだ。先に果てたのがどちらだったか、気にする余裕はなかった。事が済んでからは、背を向けて眠った。微睡みといったほうが正確だ。どちらもなぜか、腕輪にもどろうとはしなかった。

 その日を境に、ルフレと話すのをやめた。



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