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2024/05/02 

 大陸に連なる山の頂が恋しい。ほの暗くはぜ散る焔の音だけに耳を乗せていると、風と一緒に帰れるのでは、と思う。溶いた水をシリンダー容器に移し替えると、色が艶やかに変わった。これをやっている時だけが単調だが落ち着く時間で、剣を振るう時間はなにか別の者であるように最初から感じていた。
 仲間が増えるにつれひとつ先まで渡るのが怖くなる。真実と思ったものは端から溢れ落ち、二度と我が身に返ってこない。腕を喪っても恐れはしなかった。我々は肉体の船に乗った魂の連なりであると、知っていたからである。
 ポツ、ポツと雨音が地面に打ちつける。優しい音だ。シュルクは雨が好きだった。雷雨の日に生まれたのかもしれない。自分の親という人を思い出そうにも要として知れなかったので、背中に背負っていつまでも歩いてくれた長い髪を想う。下手くそな詩だったな。編み方を教えてもらうのだった。
 おめぇさんをコロニーに運んだのは、降り積もる雪の日だったよ――と彼はいった。集落の端でがらくただらけの狭い部屋で、子供の自分には理解し得ない機械に囲まれていた。赤い剣には触っちゃ駄目だぞ――どこまでが本当で、どこまでが嘘だったのだろう。踵も返さず斬り込んだ相手は、いまどこにいるのだろう。こちらの世界で再生されて、あちらの世界でまた生きて、気がついたら霧散してるのだろうか。
 暗闇は恐ろしかった。生きた肉を縛る何かが、喉の底から覗いているようだ。一瞬震えた手で、――割れる。と思った。実際に指は食い込んでいる。割ってしまおうか。いっそ、一度壊したあの世界のように、出来ることなら。
「あほ!」頭をぱしんと叩かれて、首がもげそうに前のめりに仰け反る。は、寝てたんじゃないのか、と抗議をあげかけ振り返った口を野太い指で取られ、シリンダーを割りそうになっていた生身の手も後ろから取られる。
 どちらも動かなかった。テントを張れるほどのスペースを確保できなかったので、天涯の下では多くの兵士が鼾をかいて眠っている。両手を上げたまま繋いだまま、彼の娘が身じろぎして「うう……ん」と呻くのを待った。すぐに眠りに堕ちる。
「出るぞ――」義手の右手をゆっくりとおろし、左手は繋いだまま橋まで行こうと。抵抗する余力はなかった。
 足並みが合わない。疲れきっていることは自覚があった。世界の端まで行ったところで、今さら何があるんだ? また壊すのか。壊して、くっつけて、混ぜて、はぜ散ったのだ。どれだけの言い訳を重ねても、己の決断したことだった。
「この有り様だよ」歩みを止めない男の腕は、すがりつきたくても遠ざかる。また亡くすのだ。「この惨状さ、レックス。嗤えよ」
「いいから」苛立ちも憐れみも噛み殺して、啼いているような声音だった。「もういいから。俺、わかっているから」
 いいだろ――頃合いだろ――あのときと同じさ、わかってるから、と。初めてあった少年のころのように、しゃくりあげる音だけ響いて、聞いていられなかった。
「あの子たちは死ぬのかな。ねぇ。その行方を知ってるのかい――」懐かしいラグエル大橋の蓮のような湖を見下ろした。「君が、知ってると云ってくれたら」
「しらねぇよ」雨で濡れているのか、違うなにかなのかわからないほどだった。「知らねぇ……知ってんなら、俺にも教えてくれよ。シュルク」
 握りこんでいる指が痛い。痛みが嬉しい。
 橋の麓まで歩いても、まだ先を行こうとするので止めた。「悪かった。こちらの手は大事にすると、君に約束したのに」
 雨足が強まる。ずぶ濡れになった手を見やると、その体があるだけでよかったとさえ想う。
「世界の再生がどうたらこうたら。いい加減にしろよ」レックスはそんな年になるまで抱えた胸の内を少しだけ見せた。「お遊戯で壊されちゃたまんねぇよ……」
「……うん」
「なんだよ。おんなじか」
 うん、と震えながら我が身を抱きしめ、膝を抱えるのはさすがに馬鹿らしくなって、笑ってしまった。「同じだよ。きみ風にいうなら、やってらんねぇ。かな」
 鼻を啜ると、同じく両手でごしごしとやった隻眼の男が、「信じらんねぇ。四十五十になって、素面であほだろ」と唇を上げる。
 ほら、と両腕を広げたが、抱きついたりはしてくれない。「あー……そっか。うん」
「一人で納得すんなって! おまえ……ッ」
 じゃあ、と薄着のタートルネックの前襟をくっと持ち上げ、ほら。と頬を差し出す。
「ちゅーは間に合ってんの。殺すぞ」
「馬鹿は君だ。殴りあって慰めるんだろ。取っ組み合いしたことないの」
 はああああ? と妙に甲高く懐かしい声をあげる。「俺はおまえと違って、拠点も話し相手も、じっちゃんだけだったからな! なんだよ羨ましい。殴りあいとか生産性ねぇ糞みてぇな遊びで、不良ぶってんじゃねえわッ」
「……其処まで云われると、傷つくな」胸の前で拳を握り、か細い演出を試みる。相手には通じず、少しだけ低めに「ガラでもねぇこというなよ」と無理をした。
「――」
「そんなにおかしいかな」不安になってくる。「口調だけは移らなかったんだ。なんでだろう? ディクソンさんは」
 もういいよ、と子供に戻ったようにぷいとしゃくる。「先、戻れよ。お手て繋いで帰ったら、またおかしな噂のネタにされんぞ」
「それはいい提案だ。頃合いだよね。例のあの本は君の知らない性癖を覗き見た気がして――あの、指摘していいかわからないけど」
 あー、はいはい! と帰ろうとする背中を追った。死ぬのが怖いわけじゃない。永遠にはきっと遠い。武器も捨てさり見よう見まねで走り込んだ日々が帰ってくる気がしている。
 次死ぬときは一緒だからな、と声がしたので、腕をつかんで引き留めた。「あのさ、ちょっと提案が」
「わかったから」振り返って両腕を広げてくる。「まあ、こうだろ。わかってんだよ。別に……願望とかそういう視点じゃ書けねぇんだって。わかれよ。書いたらわかるって。なあ!」
 おとがいを握りこんだら、ちょっと高すぎる。耳まで赤く染まったのを見て、ああ、駄目だなこれは――と直感的にわかった。「きみ、すごいな。今まで僕も騙してたのか――」
「……」
 なるほどね、と腕をクロスさせて、懐に入る。投げられると思ったのか身をすくませるので野暮だなと感じた。「ま、まあ? 悪くはねぇよ」と肩を寄せあって拠点へ帰ると、誰も彼もが信じかけていたあの創作物への好奇心からか数十名起き上がっていて、どうにもこうにも収まりがつかなかった。





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