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2017/12/06 

 あたたかな風が頬を撫でたので、俺はこれまで歩いたことのなかった近隣の駅舎を振り返った。「うわあ。こんなところに竹林あったっけ。須田さん、笹舟つくろうよ」
「構わないけど。作ったってこの辺に浮かべられるような場所、ないよ」
「河川敷からそんなに走った? 話に夢中で全然気づかなかったなあ」
「君、まだ若いんだよ。ちょっと首回り見てよ、僕のほうは汗だくなんだからさ。ゆっくり歩いて」
「なまってんなあ」
 須田さんはムッと眉をひそめて俺を速足で抜いた。十本目の電信柱から次の電信柱までだけ走ろう、と言い出したのは須田さんだ。最初はほんの少しの距離だったが、十本数え、ひとつ走る。十本でひとつ走る、さらに……と繰り返すたびに、須田さんの足取りは重くなっていった。
「手を引こうか」
「いいよ。誰かに見られたらまた変な噂立つでしょ」
 じゃあタオルケットで、と端と端を持つ。道が三又に分かれた通りの三角地に、かつては雑木林だったと思われる市街の竹藪がほんの少し残っていた。
「これだけかあ。なんか採るの悪いなあ」
「下に落ちてるのは?」
「あー、カサカサだね。これは使えないや」笹の芯の部分で穴を開けただけでボロボロと崩れてしまう。「昔は竹トンボ作りたい放題作れるくらい、竹林もあったんだけどなあ。さすがにもう駄目か」
「できた。上出来じゃない?」いつの間にか笹を採っていた須田さんが、早業で舟の形に仕上げていた。「坂の向こうにさ。水の流れてる側溝があるから、あそこで流そう」
 すっかり元気を取り戻して、須田さんはさっさと先を急ぐ。俺は俺で二、三枚こっそり千切って、あまり上手とは言えない笹舟と笛をつくって吹いた。
「山田さん……! はやく……!」
 新聞配りとすれ違うくらいの早朝だ。須田さんのか細い声を山鳥の嘶きがかき消した。吹いた笹笛に返事が返ってきたような気がして、俺は嬉しくなった。
 側溝ではサラサラと生活用水だか川の水だかわからない水が流れていた。「ここらはまだタニシくらいなら採れるよ。僕の子供時代には、よく釣りのおじさんが捨てていった釣糸ひろってさ、棒なんかにくくりつけて、自作の釣竿作って池でフナ釣りしたな」
「俺もやったよ。アキちゃんのころにもまだあったって。シマちゃんの時代には、フェンスをよじ登らないと池には近づけなかったらしいよ」
「昔は池で溺れないよう、子供を見ててくれる近所の年寄りがいたもんだけど。今じゃ年寄りも家にいるのが当たり前になって。どちらも居場所がないのかもしれないね」
「昼間に出歩いたら出歩いたで変質者か認知症患者呼ばわりだろ。そりゃ誰も外なんか出ねぇよな」
 須田さんは少し考えた。「うちに来る子供たちにはさ、普通に竹トンボの飛ばしかた、教えてるよ。どんな時代でも、子供はさほど変わらないんだ」
 須田さんはそれ以上言わないで、物思いに耽ってしまった。俺はいつもの調子で笑い飛ばそうとしたが、山鳥のやつがさらに鳴き叫んだのでタイミングを失った。

「変わらないもの、あるんだろ」

 側溝に浮かべた笹舟は思ったほど早くは進まず、溝の内側の苔に掴まって、喘いでいるようだった。その姿がガードレールに掴まって苦しげに息をしていた須田さんに重なり、俺は急に時間の流れに逆らいたくなった。
「須田さん。そっちの舟はさ、バスの始発待って。隣町の河川敷で浮かべに行こうよ!」
「えっ……うちは休みだから大丈夫だけど、山田さんとこは店開けないと駄目でしょ」
「昼でいいよ、昼で。本当は明日が定休日だけどさ、繰り上げでいけるよ。向かいのばあさん以外、誰も来ねぇよ。あの人なんにも買わないで、一通り愚痴ってから花の香りだけ嗅いで帰るんだしさ」
 須田さんは迷ってから首を横にした。「でも……それが生き甲斐なのかもよ。お客さんの信頼、後回しにしたら駄目だよ」
「真面目だなあ。わかったよ」
「そのかわりさ。これ」ズボンのポケットからくしゃくしゃになったチケットを出した。「温泉だって。スーパーの福引き当てたんだ。今年中ならいつでも行けるよ」
「あそこの空クジ、蒸留水の無料サーバー契約しか当たらないので有名だけど」
「……君が断るんなら、アキちゃん誘ってもいいんだよ?」
「行くよ。行くったら! 相変わらず遠回しだなあ」

 俺は須田さんから貰った笹舟をレジの横に置いていた。葉の色が変わるころには温泉の季節は過ぎていたが、逆らった時計の針は、ふたりで歩いた距離の長さだけ、その針を止めた。





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