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 勝子は自分の姿形が他人からどう見えているかについては無頓着だった。

 勝子の体は男以上に男だったがゆえに、着飾ることは最初から諦めてしまっていた。世俗でも浮かずにいられるよう、小金を持った年寄りの振る舞いもできた。半世紀以上男として生きてきた勝子にとっては、簡単な自衛の策である。生き方を改めてからの経歴は二十年に満たないため、女の振る舞いのほうが板についていなかった。

 そんな勝子でさえ廣政は認めてくれる。時には今日のように、コイツは俺の女だぞ、と手当たり次第に言いふらすのだ。勝子はそれが何より嬉しい――。

 ここでひとつ話を戻して、掃除機のことである。最初にあの掃除機を勝子の店で使い始めたのは、十年前。還暦を目前に控えて男としての人生にケリをつけたばかりの頃だった。もちろん廣政と知り合うより前である。

「かっちゃん。それなら私の店で働きませんか」

 相良統一郎という男はドングリ眼をギョロリ、細長いが節張った指をギクシャクさせて、勝子の返事を待っていた。開店祝いの掃除機を片手に、勝子はアルマーニのスーツで立ちすくんだ。似合わない自覚はあったが、勝子の前世のなごりがそれを着させていた。それ以外の服は家で着るパジャマがわりの甚平しか持っていなかった。

「――どうして」
「女はそんな喋りかたをしない!」

 ドスの利いた勝子の声に眉根を寄せて、相良は一喝した。「どうして? なぜ? 可愛く、品よく。はい、もういっぺん!」

「なん、なんで――?」勝子は気圧されながら裏声を使った。

 笑顔! と口をパクパクさせる相良の姿を見て、勝子は早くも後悔しかけた。自分が選んだ道の険しさに、ようやく気がついたのだ。勝子は相良の店で働くことになった。それから三年後に相良が隠居を決めて店の名義を勝子に譲るまで、相良によるヒギンズ教授ばりのレッスンは続いた。しかしこの話は今はよそう。勝子がオカマになることを決意したのは、それより更に話を遡ることになる。

 ――学生時代の不動産売買から始めた勝子の会社は、社員六千人、年商五十億の大企業になっていた。

 よん所ない事情により子供は出来なかったが、国内中探しても二人といないような美人の嫁が居た。養子にもらった甥二人を合わせた慎ましやかな家族は、忙しい勝子の心を唯一癒してくれる何にも替えがたい財産だった。昨年末、長男の子供、勝子にとって初めての孫もできた。それが失敗だった。

 初孫を抱いた勝子の中で、青春期にはとうに気づいていたが、圧し殺してきた感情が溢れた。孫が悪いのではない。可愛いピンクの、桃色の、フリフリの前掛けが勝子の魂を揺さぶったのだ。孫の名前は麻雀子と書いてパイコと読ませる時代の最先端ぷりだった。パイコが俺を変えたのだ、と勝子は後にハッキリ語った。

「麻雀子――パイ子?」
「麻や雀のように洗い晒しの君でいてほしいという願いをこめた名前なんだ。親父」
「麻雀牌とは関係ないんですけど、お養父さま。『勝ちに行く』にもかかっていますわ」

 嫁の華子は、往年の美人女優も裸足で逃げ出すような美声で囁いた。「いい名前ね――」華子の隠れた趣味が賭け麻雀だと知ったのは、それよりずっと後だった。

 受理されるわけがないとタカをくくっていたせいで、初孫の名前はパイ子に決まった。

「パイ子だって」ははは、と勝子は乾いた笑いを発し、泣き濡れた頬をぬぐいながら取引先の老人の前で語った。「パイ子なんですよ。孫の名前。パイ子!」

「陰茎でチンコよりマシだろう」相良は鼻で笑った。「女で良かったじゃないの」

 女の子なのは産まれる前からわかっていた。せめて男なら、勝子の心にそこまで深い傷を負わせることはできなかったに違いない。嫁の華子は世をはかなんで崖から身を投げたかもしれないが、孫の名前がチンコなら、勝子は勝子にならずに済んだのだ。

「パイ子は女の子ですよ」勝子は店のカウンターにひじをついて、頭を抱えた。「パイ子は女の子なんですよ? 望んでそう生まれてきたかは知らないが、女の子なんだよ! いくら時代が変わったからって、なんの冗談だよ。パイ子はないだろうパイ子は!」



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