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 見覚えのある懐かしい緑のトンネルを抜けると、噴水が出迎えてくれる。素敵な場所だ。ベンチは近代的になったわね、と勝子は思った。若者の頭の色も金髪や茶髪から黒髪に変わったけど、胸に秘めている鬱屈の量は同じ。ひとたび北に進路をとれば田舎臭さに溢れる大阪の街並みを、勝子はとても気に入っていた。西の方面は新世紀に入ってなお時間を止めている――。

「俺はホモやぞ!」
「ホモにオカマの何がわかる!」

 廣政のドスの効いた声が閑静な公園内に響いた。木陰で息を殺しているカップルの気配はあるものの、誰も手助けするつもりはないようだ。かれこれ十分以上にわたり喧嘩をしている中高年の間になど入ったら、刺されても文句は言えないからだ。

 勝子はため息を吐いた。「もういいのよ、いいったら廣さん。向こう行きましょ」

 廣政は勝子より頭一つ小さな小男である。一方、相手のほうは何を食べたらそこまで足が長くなるのか、勝子の店に新設した掃除機のようなナリをしていた。勝子の愛しいプレーリードッグが、短い足で蹴りあげては怪我をする点でも同じだ。

 勝子はオカマとしては比較的おとなしいタイプであったため、こういう場合の対処の仕方を知らなかった。

 むしろここは正直に言うべきだろう。自分を挟んで男二人が取り合いをしてくれるなんて、夢に見たことはあっても現実になるとは想像したこともなかった。勝子は優先席を譲られても差し支えない年だ。数年前に大病をしてからはすっかり痩せたが、若い頃はフットボールをやっていた。お仲間にはモテるがタチの意味でだ。そちらは卒業してから何年も経つ。

「オカマだってなあ。オカマにだってなあ!」廣政のいななきが響いた。「矜持ってもんがあるんだ。矜持だバカ。プライドだよ! 俺たちゃ普通の人間だ。なんでそんなわけのわからない奴らのプライドを守るのに、いつまでも下に見られなきゃなんねぇんだ!」

「愛してるわ。行きましょう」勝子は自分より頭二つほど小さな背中にへばりついた。「愛してる。あんた」

「キモい」通りすがりの若いカップルが囁いた。勝子は自分のガタイの良さを神に感謝した。くれてやった流し目に、義務教育も終えてないような男のほうが急にびびって向きを変えたからだ。

 女のほうは勝子の美意識では理解できないメイクをしていた。あれが「可愛い」ですって? いつの時代だって女は同じだ。化粧を変えても男の扮装をしても、そう生まれついたからには女の顔をしている。彼氏の目を盗み、小さな指をヒラヒラさせて、無言のエールを送ってくる勇気まである。

 勝子は悔しさを隠し、はにかんだ笑顔で応えた。高とびし損ねたヤクザの親分も震え上がりそうなその笑顔を、偶然目にした廣政が一瞬シラフに戻った。

「なんだっての――」
「行きましょう」
「大阪はこれだから!」
「わたしたちが悪い。場所を間違えたんだわ。ごめんね、お兄さん」

 廣政に掴みかかろうとしていた男が、グッと呑み込んだ。「あんたらヨソから来たんか。ここは観光地ちゃうんや――下になんぞ見てへん。フラれて悲しいだけや」

「うちのひと、ちょっと酔ってるの」勝子は下を向いてブツブツ言っている廣政を抱え、歩きだした。「ごめんね。いいひと見つかるといいわね!」

「酔っちゃいないよ」廣政は足元をぐらぐらさせながら、腕を引っ張る勝子の肩に頭をのせた。

「そう。酔ってる」
「酔っちゃいねぇよお!」
「わたしの名前は?」
「かつこ。かっちゃん。俺の勝子」
「廣さん。廣さんの名前は?」
「ヒロマサ。あるいはマサオ。俺は昔、政夫っていったんだ。マアチャンって呼ばれてた」
「マアチャン。ホテル帰ろう。タクシー拾うから」

 廣政は勝子が買い与えた革のジャンパーを半分はだけて言った。

「野外で『いたす』約束じゃなかったのかよぉ」
「『いたして』もいいけど、廣さん、痔の具合よろしくないんじゃないの」
「……うふ」
「よしなさいよ。しなつくって、気持ち悪い」
「冷たいのね」
「使わないほうが傷めてるって、洒落にもなんない」
「機嫌直せよ。勝子」
「知らないわよ」

 当初の予定を変更して路上に出たとたん、裏声を使わない勝子の女言葉にもめげず夜の女が目配せを寄越した。三つ揃いのオカマは腐っても東京に三つの店を持つ経営者そのものの格好をしていたため、革ジャンの小男より目立った。罠のほうでは女が嫌いだが、女のほうでは罠が嫌いではない。

 勝子はタクシーを探して廣政を左右に振り回した。

「愛の言葉を聞いた気がする」
「酔ってるのよ。廣さん」
「卑怯なり。勝子」

 廣政はクスクスと笑い声をあげた。

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