1(ケロ幕)

月並みのラブソング

 今日は久しぶりに日付が変わる前の帰宅ができた。とりあえず風呂に入って、缶ビールを寝酒に、さあ愛しい布団の海へダイブ、と思ったちょうどその時だったのだ。うちのチャイムがけたたましく連打されたのは。
 誰だこんな時間に。ものすごく不機嫌な顔でドアを開けると、そこにいたのは大学以来の悪友であった。帰れの一言だけ告げて閉めようとしたドアの間に、奴は足をすべりこませて入れろとさわぐ。俺は友人の酒臭さにうんざりして、無理矢理追い出す気も失せた。
 こちらのいらいらを増長させるハイテンションで、酔っぱらいは土足のまま上がってきた。リビングの床が冷たくて気持ちいいとかほざいてねっころがってしまったので、靴は脱がせて窓から放り捨て、友人が眠ったら裸足のままマンションの廊下に引きずり出してやろう、とささやかな復讐を考える。
 しかし、酔っぱらいはなかなか寝ようとしなかった。しかも延々話し続けている。俺が返事をしないのだからそれは単なる独り言なのだが、支離滅裂なその言葉を聞いているうちに、嫌でもなんとなく事の次第はわかってしまった。
 端的に言うと、こいつはとあるジャズバーの歌姫に勝手に惚れて、勝手に失恋をしたのだ。ははあ、このところやけにジャズばかり聞いていたのはそのせいか。毎週水曜はさっさといなくなっていたのもそのバーとやらへ通っていたわけだ。そして今夜、友人は彼女が舞台上で嬉しそうに婚約発表するのを聞いてしまった。事情を知れば知るほど阿呆だとしか思えない。
 恋なんて、人生のほんの一部なのだ。他に重要なことはいくらでもある。しかもまだ愛に育ってすらいなかった一方通行の気持ちが一つ心から抜け落ちたからって、何でもないじゃないか。
 だがしかし、である。わからないでもないのだ。恋というのはちっぽけな人生の一部分のくせに、している最中はそれが全てのように思えてしまうから。まるで満月でも飲みこんだみたいに、胸がぱんぱんになって自分の中から出てくる光で世界の全てが明るく見える。友人の満月は、何の前ぶれもなく壊されてしまったのだ。その光に慣れていた奴からすれば、目の前が真っ暗になったような衝撃だろう。
 いつのまにか酔っぱらいは突っ伏して動かなくなっていた。寝たのかと尋ねたら寝ていないと言うので、じゃあ泣いているのかと尋ねたらそうでもないと涙声が返ってきた。
 まったく、嘆息が出る。お前は全てが終わったと思っているかもしれないが、お前の中にはまだまだたくさん光を投げかけるものがあるんだぞ。今夜なくした一部だって、新しい恋をみつければすぐ回復する。
「なあ、おい。女なんて、一人じゃないんだぜ。」
「ああ、でもな。彼女は俺の心の一部だったんだよ、もう既に。」
 まだその声からしゅんとした響きが消えていなかったので、その彼女はお前が会う前から他の男の一部だったんだよ、もう既に、とは言わずにおいてやった。代わりに力の抜けた体を強引に起こして椅子に座らせ、わざと乱暴に奴の肩を叩く。
 まあ、飲み直そうじゃないか。すこしだけ欠けてしまったけれど、今夜の月はまだ明るい。


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