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月並みのラブソング番外5




 何度も考え直した。





 他の男とつき合えば忘れられるかもしれないと、知人から紹介された奴の家に毎日入り浸りもして。数週間で自分が情けなくなって後腐れなく別れた。

 華織は何も口にしなかったが、あれから父親が来ることはなくなった。俺はホッとすると同時に、つい扉の近くに立つ癖がついてしまった。



 今夜は来なかった。

 明日も来ない保証が欲しくて、彼女に直接話をした。



 鏡の前で華やかな口紅を塗り直し、歌姫は澄んだ声で言った。


「心配する必要ないわ。いつだって忙しいのよ――――私は別に暮らしてるから、よく知らないけど」
「娘だろう」
「住所教えましょうか。ろくな物食べてないから、手料理が効くの」


 俺は諦めて踵を返す。ひとつだけ無性に気になったことだけ聞くために、彼女が常連客から貰った鉢植えの花を嗅いだ。


「作る奴なんてたくさんいるんじゃないのか」
「たしかにパパはすごくモテる。あれでいて年上キラーなのよね」
「――――」
「この間は常務に誘われたって言ってた。休日によ」


 この花の名前が気になると答えた。持ち上げていい香りだと鼻を近づける。


「それ、クリーンフローラ」
「名前まで洒落てるな」
「作りものってこと。空気を綺麗にしてくれる」


 憮然とした俺の様子に、彼女はげらげらと笑い声をあげた。涙を流して喜んでいる。

 いつものように横をすり抜ける瞬間、名刺をベストのポケットに押し込まれた。取り出して見ると、マンションの住所が書いてある。

 顔を上げるともういない。俺は行くわけがないだろうと焦った。


 それでも電車を乗り継いで、自宅より近くの駅で降りてしまう。



 一人で暮らすには大きすぎる集合住宅で、男は一人住んでいた。以前のような真似はもうすることがない。最上階に二つのエレベーターが止まっていて、うんざりしながら階段を駆け上がる。

 息も切らさずに登った。見ると一階までエレベーターが降りたところだった。無駄な手土産が心苦しい。コンビニには店で出すより数段落ちる安い酒しかなかった。

 深呼吸して考える。押したらまず、挨拶だ。取っ手に袋ごと下げて、顔も見ずに帰る。ドアノブの形状を見て舌打ち。駄目だ、これじゃ開けた瞬間に落ちる。


「何やってるんだ?」
「あ、の」
「娘に聞いたのか」


 後ろに立っていた。まずい。

 すぐ帰りますと口にしかけて、俺とは別のコンビニの袋が目に入った。

 無言で鍵を開けて、有無を言わさず部屋に引き込まれた。男の一人暮らしでも、インテリアに凝って、殺風景な俺の部屋とまるで違う。


「クリーンフローラ」
「――――あれは本物だ。水がないと枯れてしまう」
「誰かの……」


 声が裏返る。

 娘は一度しか来たことがないと笑われた。植物を育てるのが趣味なのか?親子揃って男女が逆転している。

 俺は居心地の悪さに身を縮めたまま、キッチンに立とうとする彼の後ろ姿を追った。



 あの背中を追ってきた。ずっとだ。

 手の届く場所にある。今なら伸ばせる。



 俺は知らぬうちに男の後ろにいた。少し見おろすところに頭がある。つむじが右回りだ、とどうでもよいことを考えた。

 筋の通った首に指が引き寄せられる。華織が言ったのはどういう意味だ?男に――――抱かれるのはいけるということか?

 触れるか触れないかの位置で、彼は振り返った。


「おい。いいから」
「は」
「休みなさい。むしろ邪魔だ」


 今日は仕事帰りではない。それでも部屋の主に言われては引き下がるしかない。

 目の前でかわいい花柄のエプロンをつけた。思わず吹き出しかけて、睨まれる。


「殴られたいのか」


 すぐに退散した。似合っているなどと言ったら殺されたかもしれない。


 俺は初めてかつての上司の手料理を食べることになった。焼きそばのような何かだ。美味とは言いづらい味だった。

 次は俺が作りますと一言口に出せばよかったのだ。しかし思えばつき合ってもいないそれも男相手に包丁を使わせるのは、常識で考えておかしい。

 俺は黙って黒い上質の箸を動かし、これはこの人の口に入ったことのある箸かなといらぬ妄想に耽っていた。

 ダイニングでなく小さな机を挟んで、間近に綺麗な唇を見る。我慢できないほどに欲情して、視線をそらす。誰かとものを食べるというのはそういう行為に近い。

 人の食器で食事をとるのは苦手だった。客商売にあるまじきことだ。俺には俺専用のグラスがあり、外食さえよその店を偵察に行く目的がなければ避けてしまう。

 どうしていいかわからなかった。拒絶の怖い、唯一の相手だ。食事だけで満足できるほど子供でないのが嫌だった。



 突然来た俺に何も言わない。



 次の約束を取り付ける。それだけだ。店にもう一度きてもらうのでもいい。


「その」
「残してもいいぞ。ベランダから隣の猫にやる」


 顔を上げて、ふっと笑った。声がつまる。自分の太ももの肉を摘むことで、かろうじて頬を赤らめずに済んだ。





 俺はなんとか笑みを返すので精一杯だった。







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