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月並みのラブソング番外4



 なぜここにいるんだ。





 疑問を投げかけようにも、唇が震えて言葉にならない。俺は動悸というものをこのとき初めて経験した。

 血の気の引く思いと裏腹に、今まで感じたことがないほどの胸苦しさをごまかす。

 熱さに目眩がしそうで、唾を飲み込もうにも喉が急に狭くなったように感じ、もう一秒もここに居たくないと全身が叫んでいる。

 押し殺していた熱情が溢れて、自分がどんな出で立ちか考えると恥ずかしくなった。追い打ちをかけるかのように、歌姫の歌声が微かにきこえてくる。


「案内をしてくれると言うから、何かと思った」
「――――俺の店なんです」


 階段下へと促す。そこから先はほとんど覚えていない。

 姫さんの歌が終わって、客がいなくなり、店を閉めるまで、俺は何を話したんだろうか。

 馬鹿みたいに口を開いて、明るく振る舞えばよかった。実際何度かそうしようと考えたのだが。

 華奢な眼鏡の奥から覗く、疲れたような目に声がかけられない。

 姫さんを前に、素敵だったとこめかみに口づける。やることなすこと欧米風だ。笑ってやれよ、いまだ、仕返すんだ、と昔の俺が言った。



 俺がどうして仕事を辞めたと思うんだ。

 どうしてアンタの娘と結婚しようと考えたか、知っているのか。

 なぜ離婚したんだ。絵に描いたような理想の家族を眺めていて。

 俺がどう感じていたか、わかっていたのか。



 初めはその一員になりたくて……そのうち別の感情で頭がいっぱいになった。

 陳腐な表現できれいごとを並べられはしない。独占とか、所有欲に似ていたのだ。子供じみたおままごとに付き合って、ただ居心地の良い場所を誰にも渡したくなかった。





 ――――この人が抱き寄せるのは、なぜ俺であってはいけないんだ?





 男に生まれたからか。相手に家庭があるからか。娘と交際していたからか。ただ想うことすら赦されないのか。


「いい店だな――――今度は部下を連れて来てもいいかね」


 ズキリと痛い言葉ばかり投げかける。愛想のよい仮面のような顔を戻そうとするのに、ただ立っているので精一杯だ。

 俺一人が辞めても代わりがいる。この人が育て、大事にして、気に入ったら娘に紹介するような男が。他にも。


「今夜は先に上がるわね」
「なんだ。歌ってくれないのか。サービスが悪いな」


 彼女は笑いながら強く叩いて、行こうとする。

 その手を引っ張って、声の届かぬ場所へと引き寄せた。


「どういうつもりだ」


 彼女は真っすぐに俺を見て、目線で父親を指した。

 あなたを訪ねてきたのよ。
 だからどうして……!
 それを私に聞くの。

 とっさに手を離したが、歌姫は腕を組んで俺をにらんだ。甘くみると怖いと言ったのを思い出す。





 まさか。
 すべて知っていたのか。
 知っていてそれでも、
 俺の所で働いてくれるのか。





 聞いてもおそらく答えない。

 解放した彼女の手が、突っ立っている俺の背中を向こうへ押し出した。男はそっと煙草に火をつけ、カウンターに伏せられた灰皿をひとつ取っている。そのままそこへ陣取った。

 何分も躊躇っているうちに、支度を終えて彼女は出てきた。俺の横を素通りし、父親の背中に抱き着いて、裏から出る。

 二人きりになってもまだ、俺は所在なく立っていた。男が振り返り、手招きする。どっちが客かわからない。

 ゆっくりと近くに寄り、眼鏡越しにまた顔を合わせた。


「まだ、娘とつきあっているのか?」
「いいえ」


 即座に答えた。はっきりさせておかなくてはと、順序立てて説明する。俺は経営者で、彼女の才能に惚れてはいるが手は今後も出さないと……男は静かに頷いた。

 勢いに乗って、ゲイだと告白しようか。そんな卑怯な真似はできない、と思い直す。

 表向きは俺が捨てられたような話になっていたが、実際は逆だった。事実を口にすれば、華織のイメージに打撃がある。人はなぜかフラれた方に対する中傷も好むものなのだ。優越感を持続させるためかもしれない。

 ひとつ話せば、すべてなし崩しに話をしなくてはならない。俺はそれが怖かった。


「座りたまえ」
「――――何か作りましょうか」
「酒はいい。君の話が聞きたい」


 煙草の煙を前に深く吐いた。君もやるかと聞かれて、自分のキャビンを出した。

 オイルがもうない、こっちだ、と顔を近づけてくる。日常によくやる仕草も、相手が違うとまともに吸えなかった。当たっている先が揺れて、なかなか火が点かない。

 そのうち顔を押さえられて、煙草が揺れ動かないように固定する。間近で目を細めて男が吹いたのと、俺が吸ったタイミングで先が赤くなった。


「ジッポーは補充が面倒だな」
「――――俺も持っていました」


 ようやく普通に声が出た。だが、今度は顔が見られない。おい、お前いくつだ。しっかりしろと激を入れる。

 隣で幾度か、カチ、カチ、とする音に聞き覚えがあった。横目にして見ると、俺のだった。


「どうして、それを」


 俺が目を見開いていても、男は手を緩めなかった。

 兵士の胸を銃弾が射貫こうと狙っても、盾になって尚、点火できるほど丈夫なライター。

 何度も擦るうちに火が点いた。オイル切れを起こしてもまだ、熱くなるのだ。

 小さな明かりに照らされて、男がこの上ない笑みを浮かべた。





「娘がくれたんだ。やらんぞ」







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