17(永香)

月並みのラブソング17

店、出るか。と聞いたら、奴はマネージャーと上司が出て行った扉を見た。
なんだよ、やっぱりあの人が好きなのか疑ってるのかと聞く。奴が、いや、俺じゃなく、あの人たちが――その、どうなったか……と歯切れが悪い。
勘の悪い俺にも瞬時にわかった。えっ?あの二人デキていたのか!でも、ハニー?あの体格でまさかダーリンなのか上司?
俺が複雑な気持ちで黙りこくっていると奴が、見てきてほしい、と可愛い目をして言う。おまえあの人と会社でキスしたろう。マネージャーはそれも知ってるかもしれないのに、さっき……かなり顔が近かったじゃないか、気にしてるかもと。
俺が、おまえもヤキモチ妬いてくれたの!と喜ぶと、凄みのある目を向けられた。また投げ飛ばされたら敵わない。わかった、任せろと席を立つ。
心配いらないですよ、とバーテンダーが言ったが、構わず裏手のドアに向かった。会計は済ましておくぞと奴が言う。
外は少し冷えていた。路地裏に繋がる扉は、滅多に誰も出入りがないようで、ひっそりとしている。上司もマネージャーもいなかった。こっちか?あっちか?と迷って、大通りとは逆に向かう。痴話喧嘩なら人目につかない方でやるだろう。
まったく、あの人痴話喧嘩に巻き込むなと人には言ってた癖に……路地の端を横切り、やっぱりこっちじゃなかったと踵を返しかける。

ビルの階段裏で、上司がマネージャーを壁に押し付け、キスをしていた。

シテ、早くキてくれ、とマネージャーが長い足で上司の腰にしがみついている。上司の右手はマネージャーの股間でうごめき、卑猥な水音で何が起きているのかすぐ理解できた。
左手が尻を支えているのは見えるが、マネージャーは上司より頭一つ分体一回りは大きいのだ。上司の指が下ろした服のどこをどう探って、あっああっ早くッとマネージャーに声を上げさせていたのか、気づいたのはもっと後だった。
分かっているだろう、まだ早いからと上司が汗を浮かべていた。上着もシャツもほとんど剥がれ、解けたネクタイが垂れ下がっていた。
マネージャーの猛烈なキスのせいで、互いの眼鏡がガチャガチャと音を鳴らす。糸を引いた唾液に構わず、曇ってアンタの目が見えないと狂暴な歯で上司の眼鏡を奪った。
ずっとだ、ずっと何年も待ったんだ、もう楽にしてとマネージャーが言い、ポロッと目から流したものを見たのは一瞬だった。上司の横顔が彼に重なる。

どこが奴に似てると言うのだろう。

造りは近いかもしれないが、こちらを睨んだ上司の目は男の目だった。愛する男を守って、全力で闘ってきたのだ。線の細さでは奴の上をいくかもしれないが、全く別のものだ。
顎をしゃくって、俺に行けと合図した。好きだ、好きだから壊して!と言うマネージャーの唇を噛み、帰ったら今日こそ君を最後まで味わおう、と諭すように言った。ン、あああッと言う声の響きが終わらぬうちに、俺はその場を立ち去った。


ぼうっとしたまま店の外に出る。周囲の店もすっかり閉まり、明かりはバーに続く階段だけだった。少し先の閉店した店の前に奴がいた。
どうした、何かあったのか……顔が赤い。まさかお前、またキスでもされたかと、景色ばんで店に戻ろうとする。
その腕を取り、あの人たちは大丈夫だ、とかろうじて掠れた声で言った。互いに身を硬くした。久しぶりに面と向かったのだ。
あの、と言うと、ああ、と囁く。何となく可愛い顔になっている。
イケ。ヤレ。と勇気を振り絞り、キスがしたいんだ、と言った。一拍置いて、はあ?と言われた。
ムードもへったくれもない。
おまえ。まさかと思うが、筆下ろしも済んでないのか……俺がそういう雰囲気作ったか?今。と聞かれて、ファーストキスもセカンドキスも済ませたぞ!と返した。奴は溜め息で返して、どうしよう、コイツ純情すぎる、心配だとブツブツ言った。
奴は考え込んで、とんでもないことを言い出した。今から二人で風俗に遊びに行くかと。えっ。嫌だ、初めては好きな人とでなきゃっと叫んで頭を叩かれる。
キス、キスだけでいいんだ、頼む!と思いたってその場に土下座した。奴が息を飲む声。しばらく無言だった。
アスファルトが冷たい。もういいかな、と顔を上げると、奴がじーっとこちらを見下ろしている。膝を立てたら、待てお座り!と言われた。反射的にその場で正座する。
頬に手が添えられ、奴の顔が目の前に降りて。唇と唇が触れ合った。
ぽかんと口を開けていると、そっぽを向いて何かもごもごと言っている。熱を持ったように耳が熱くて、聞こえない。首の後ろに手を当て、奴が、あ、もうしたろと言った言葉は聞こえたのに、再度唇を合わせる。
渇いて仕方ないというように相手を貪り尽くすキスは、俺たちにはまだ早い。何度も触れ合うだけのキスをしていると、それでも次第に奴の息も上がって、鼻でふうんと声を出した。
ああ、腕力は負けだが肺活量は俺の勝ち、と笑う。奴はキッとして膝をつき、俺のうるさい口を奪った。
好きだと合間に言ったけど、好きだと声が返らない。
おまえ、わかってるのか本当に、と奴が言った。バーの客はホモの喧嘩見たさに総立ちだったんだぞ。マネージャーが上司にしがみつきそうになるのを、俺が片手で抑えてたんだ、と眉を寄せた。
奴は俺の髪の毛を撫でるようにした。
上司がバーに来ないのは、マネージャーの性癖がバレないようにするためだろう、と。後ろ指刺される覚悟がおまえにはあるか、と。
俺は、怖いなあと言った。
だけどおまえといると俺の胸は苦しくって、これを抱えたまま友達でいようなんて俺にはもう言えないぜ。
刺される覚悟はないが、おまえを庇う覚悟なら持ってるよ。隠れるのも隠すのも得意だ、おまえはずっと――

俺の気持ちに気づかなかったんだから。

そうゆっくりと、言い聞かせるように囁いた。
奴が俺の頭を抱えこみ、口づけてくる。あっ、おい逆だろ、と焦るが、奴はキスがうまかった。少なくとも俺より経験があるのかもしれない、と思う。
どっちでもいいんじゃないのかと耳に吹き込まれた。一瞬上司に襲われたときを思い出し、まあいいかと考えかけたが、奴の可愛い小さなパンツを思い出す。
中身はもっと可愛いんだろうな……と思った途端、ムクムクと。欲しいと言ったら、奴はかあっと暗がりで耳まで赤くなり、あ。その、まだ早い。あの人たちは時間かけたんだぞ、と囁いたその口をふさぐ。あっちはあっち、こっちはこっちの事情があるのだ。
奴はおとなしく目を瞑り、俺にリードを任せてくれた。ハァと息をはいた正面の顔は誰にも似ていなかった。
家に来るかと言うと、少し迷って、何も答えず唇の端にキスをしてくる。いつかの夜、俺が彼にそうしたように。真夜中の路上で、恥ずかしそうに。
こんな空気の濁った都会でも、月は綺麗に輝くものだということを、俺は思い知らされた。


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