9(永香)

月並みのラブソング9

パンツお届けに参りましたと馬鹿なことを言うので、覗き窓から覗き、奴の姿を捕らえてうんざりした。
笑っているのだ。ご機嫌に。奴がこんなに楽しそうにしてるのは、久しぶりだった。俺は扉を躊躇せずに開けて、入って来ようとした奴の胸に傘の先を押し当てる。入れるわけがない。
出せと言うと、ごくりと唾を飲み込む音。妙に可愛い少女趣味な紙袋を出す。中からいい香りがした。傘の先で取り上げると、唸って見せた。
き、綺麗に洗ったぜ……!
一瞬突っ返して、二度と来れぬよう、廊下の向こう側――つまり下のコンクリだが――に突き落とすか悩んだ。
変態。変態だ。こいつ変態だったのか。長くつきあっているが、友人のパンツを洗う奴だなんて考えたこともなかった。奴は大声でテンション高く叫んだ。
お前綺麗好きだろう、だから念入りに洗ったんだ。いや、もちろん毛羽立たないようにゴムも伸びないように、ほどほどにだが。いいなグンゼ。あのさ、そんなに尻小さいって知らなかったから、ほら中身はしっかりしてるだろ?銭湯とか海水浴とか旅行で見たし。だから、俺のお下がりっていうか新品だけど、使ってないパンツ代わりに持ってこようかななんて思っ……
バン、ガチャリ。
締め切ってしまえば、外から聞こえる謎の雄叫びも、向かいのマンションの住人がカーテンを閉めて電気を切り、いないふりを決め込むのも気にはならなかった。さして大きくもない集合住宅で、噂が広まるのは異常なくらい早いものだ。
奴のせいで、俺の日常はめちゃくちゃだった。
仕事では上の空。帰ると人の好奇の目が待っている。間違えるはずのなかった書類のやり直しを嫌いな上司から任され、今週の俺には休みがなかった。日曜の今日も午前中は出勤だったのだ。
こんな理不尽な話があるか。
気の毒な友人の相談に親身にのってやったら、急に危ない話になったのだから。人のことをなんだと考えてるんだ?俺の気持ちを。寝られないのだ。疲れているのに。
俺は外が静かになったのを見計らい、時計を見て、まだ早いと思った。あのバーに飲みに行こう。
いや、あんなに酔うのは二度とごめんだ。酒は飲まずに、美しい女を見に行こう。自分では見られない横顔が似ている、あの歌姫に。
俺は間違っても男に感じたりはしない。小さな紙袋に入ってる自分のパンツが、なぜあんなに綺麗に畳まれているのか、取り出して確かめたりするわけがない。あの変態の慌てた様子や、聞いたことのない熱く濡れた声と息使いを思い起こしたり、決してするはずが……
いい香りに誘われて、パンツを履いてみようと思ったがやめた。奴があの日解いたネクタイも、二度と見たくないとベッド下に投げたのだが、先っぽを見つけて出してきてしまう。埃にまみれて皺くちゃで、とてもじゃないが洗っても戻ると思えない。
考えるのがひどく億劫で、鏡の前でネクタイを締める。まだ普段着で行くほどには、自分を出せる店ではないのだ。



電車を乗り継いで店を訪れると、早めの閉店らしく札がかかっていた。そろっと覗くと、こりゃよくお出ましでとマネージャーが飛んで来る。ふざけた男だ。接客を何だと思っているのか。まだ二回目なのに、客として扱われた覚えがない。
俺が奴の友人だからか。奴から話を聞いてるのか?
姫さんの喉が不調で歌はないが、飲むならいけるぜと店内に案内される。若いバーテンダーが黙々とグラスを拭き、俺を見て会釈した。
次はただ淡々とシェイカーを振り始める。マネージャーはてっきり見てないと思ったが、バーテンダーがカクテルを作るその間だけは、黙って俺の隣に立っていた。
座れよ尻が寒いだろ、と声をかけた。マネージャーが頷き、座っている俺の尻を触って、うん、いいケツだと口走る。思わずぞわっとして、君はゲイなのかと聞いた。
彼は悪びれることなく、俺には愛しのダーリンが居るが、そいつは一晩中俺のお尻を撫で回して、可愛いと言ってくれるだけだと言った。
可愛い尻?マネージャーはどちらかといえばガッチリしていて、おかまには見えなかった。バーテンダーを見ても知らぬ顔でカウンターを拭き始めている。どんなごつい男が相手なんだ。
正直にそのまま言うと、彼は笑い転げた。だろ?本物はそんなもんだと俺の背中を叩く。安心してくれ、抱かれる側の男に興味ないんだ、と。
誰のことを言ってるんだ、と尋ねた。まさか俺かと聞いても答えず、バーテンダーにグラスを要求し、自分も酒を注いで飲んだ。
どんな相手かと質問を変えてみる。駄目だ。目が回る。俺は缶ビール一、二杯が限界なのだ。これだけにしようと口に含んだ瞬間。
堅気でネクタイを締めていたころの上司だ、姫さんの父親だと言ったので、思わず飲まずに酒を吹いた。マネージャーは気にもせず続ける。
元ノンケの相手は大変だぞ。でもいいんだ。俺の尻を撫でながら、自分でイッてくれるから、いつかは最後までしてくれるだろうってなあ。それ以上何か望んでるわけじゃないさ、と。
おっ、姫さんだ。キスしようぜと言われ、驚く暇もなく軽く唇に口づけられそうになり、辛うじて顔を背け頬にキスを受けた。嫌がる間も与えないほど、優しく爽やかだった。
今夜はステージ衣装でない歌姫が、パパに言いつけるわと笑う。それにしても噂通りにいい男ね貴方、彼には負けるけどと言い。
カウンター越しに、若いバーテンダーの唇にキスをした。俺はその横顔を見て、やはりあいつは俺と彼女を重ねて見ていたのだなと感じた。
バーテンダーは特別嬉しそうにもせず、仕事中ですからとグラスを磨き続ける。俺のほうを見て、すみませんと頭を下げた。ごゆっくりと言う優しい歌姫の声を後に、俺はちょっとまたこのバーを見直してしまう。奴が俺より先に常連であるのが、少し気に障るほどだ。

明るい月に見守られ、俺はその週一番楽しい夜を過ごした。


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