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 ドイルのような大男でも、山の斜面から見下ろすと小粒に見えた。ワトソンはなぜか背筋を走る悪寒に手元を見た。

 本が光っている。皮の表紙の部分ではなく、中身からだ。輝きは蒼白く、不吉な色に空気中の水の粒子を染めていた。

「ホ、ホームズ君!」ワトソンは慌てた。「これ、これは大丈夫なのかね」

「ホームズは僕だといってるだろう」

 ワトソンはモリアーティのことしか見ていない。デニスの指がホームズの片頬を引っ張っているために、探偵の残りの言葉は吸い込まれた。

「実はあまり大丈夫とは言えないのだ、ワトソン君。私には時間がない。言っただろう――ホームズという男が、アーサーの鍵なのだ」

 モリアーティは静かにいった。ワトソンは深呼吸をした。

「これで、最後だというのか」

「もっと以前に、終わっていたのだ」

「納得できない」

「――しなくていいのだ」

 二人の男の連帯感に、ホームズが口をはさんだ。

「邪魔をして悪いが、消えるのはおそらく彼だけではない。僕はおろか、ここにいる全員がかなり危ない状況だ。といってもすでに存在している本の世界で起こるのは、いつだってお決まりの物語なのだけどね」

 ざわめきが滝の濁音を消すほどに上がる。すでにドイルは近くまで来ている。

 使い捨てにされた悪役たちは、我先にと斜面を下って逃げようとした。しかし一瞬のちに振り返り、ホームズを凝視した。

 探偵は深いため息を吐いた。「僕を突き落とす以外に、方法がないわけではないよ」

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