42
ドイルのような大男でも、山の斜面から見下ろすと小粒に見えた。ワトソンはなぜか背筋を走る悪寒に手元を見た。
本が光っている。皮の表紙の部分ではなく、中身からだ。輝きは蒼白く、不吉な色に空気中の水の粒子を染めていた。
「ホ、ホームズ君!」ワトソンは慌てた。「これ、これは大丈夫なのかね」
「ホームズは僕だといってるだろう」
ワトソンはモリアーティのことしか見ていない。デニスの指がホームズの片頬を引っ張っているために、探偵の残りの言葉は吸い込まれた。
「実はあまり大丈夫とは言えないのだ、ワトソン君。私には時間がない。言っただろう――ホームズという男が、アーサーの鍵なのだ」
モリアーティは静かにいった。ワトソンは深呼吸をした。
「これで、最後だというのか」
「もっと以前に、終わっていたのだ」
「納得できない」
「――しなくていいのだ」
二人の男の連帯感に、ホームズが口をはさんだ。
「邪魔をして悪いが、消えるのはおそらく彼だけではない。僕はおろか、ここにいる全員がかなり危ない状況だ。といってもすでに存在している本の世界で起こるのは、いつだってお決まりの物語なのだけどね」
ざわめきが滝の濁音を消すほどに上がる。すでにドイルは近くまで来ている。
使い捨てにされた悪役たちは、我先にと斜面を下って逃げようとした。しかし一瞬のちに振り返り、ホームズを凝視した。
探偵は深いため息を吐いた。「僕を突き落とす以外に、方法がないわけではないよ」
[ 84/111 ]
[*prev] [next#]
[しおりを挟む]