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「なんだって? ホームズ」ワトソンは詰め寄った。「君は犯罪者が増えればいいというのか」

「そんな風にはいってない。彼らもこっちの世界に来たとたん、かなりの常識人に変わってしまったしね。ただ静かに余生を送りたいだけの者もいれば、自ら犯した事件の重さに後悔して真っ当に生きたがっている者もいる」

 ホームズは続けた。「僕にはそんな欺瞞が堪えられないだけなのだ。悪人のいない世の中など、存在価値を無くしてしまう」

「ホームズ……」モリアーティは拳を握った。「私は犯罪組織の大ボスとして突如祭り上げられ、ろくに人物描写もされないままライヘンバッハの滝壺で闘わされる羽目になった。滝の描写のほうが鮮明だったほどだ。この虚しさがわかるか!」

 ワトソンは心打たれた。しかしホームズは肩をすくめただけだった。

「残念だが、わかりあえそうにないな。僕をもう一度殺すほうが早いんじゃないかね」

 モリアーティは一瞬掴みかかろうとした。しかしホームズに抱かれたままのデニスを見て、息をつめた。

「そら、僕らの父親がこちらに登ってくるようじゃないか。話をつけよう――もっとも」ホームズはたんたんと言った。「僕と出会ったドイルの脳に、どのような影響があるかわからないが」

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