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室内の調度品はホームズとしては珍しく整然と並んでいた。しかし探偵の本能は細かな表現にかまけている暇はなかった。
妹は長椅子に座らせ、自分は隣の部屋で手早く着替えてヒゲを剃り、寂しくなった髪にはカツラをかぶして、くしを通してできあがり。
「――エリザベス」
ホームズはよそゆきの声と顔をした。壁に手をつき、パジェットの挿し絵そっくりとなった。
ヴィクトリア朝の女たちがすっかり騙されこぞってストランド誌を買い込んだ例の姿である。
顔の悪さを化粧でごまかし、靴の中には実は六フィートに全然足らない背を靴下や馬蹄などつめこんで足して、老若男女をたらしこんできた技術の結晶である。
「お兄ちゃん」
これは説明が必要だが、英語圏の人間は兄弟をたいてい名前のほうで呼ぶからして、実際にはシャーロックといったのだ。
ものも言わずに顔を近づけた。
「何をするの?」
「いや、ベス。事件の匂いがするよ」クンクンと髪の匂いをかぐ。「さては今朝がたオレンジを食べたね」
「すごいわ! なんでわかったの!」
つかんだ髪の毛をぺろぺろと舐められているとも知らず、妹は喜んだ。
ホームズはその反応を脳内の備忘録に書き入れた。
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