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 乗っていた馬車が駅馬をつぎかえた所にて、ホームズの姿を捉えたのは偶然だった。「――ホームズ!」

 さすがに上の名前で呼ぶわけにはいかぬ。二人は兄弟にはとても見えなかったし、田舎のことだ。どこでどうおかしな噂がたつやらわからない。

 ホームズは不満そうだった。ものも言わずに帽子を脱ぎ、遠くで振り回す。

「すまない、あっちへ寄せてくれ」

 歩いて行けぬわけではないのだが、すでに背を向けて歩き出しているのだ、あの馬鹿は。ドイルはイライラと杖で床を鳴らし、馬車がホームズの近くに来ると、御者に行った。

「平行して進められるか」

 ホームズは横目でドイルを捉え、低い位置から彼を見上げた。「僕は乗らないぞ」

「――何を拗ねているのだ」

「よく尋ねてくれた。君が二時間と少し前に起きるまで、僕は街の教会を訪ねていたわけだ。そこでは神父の説教など誰も聞いておらず、二軒隣に建てられたばかりの牧師との仲を疑う嫌な目だけがあってね」

「その話は俺も知ってます」御者は馬から身を乗り出した。「針のむしろとはあのことですな。なんでまたよりによって、あの二人なんだか」

 ドイルは杖の柄で前を叩いた。御者は咳払いをして正面を向いた。

「そこでだ。ドイル君」ホームズは考え深げにいった。「街の人目が気になって外で食事ができない君のために、いささか強引な手ではあるが、僕は神父と仲良くなった」

「仲良く?」ドイルは思わず大きな声を出したが、ホームズが一瞬だけ嬉しそうに肉付きの薄い頬を持ち上げたので黙った。「うむ。それで」

「たまには外で誰かと食事をするのも、田舎暮らしの楽しみだ。ねぇ、ビリー」

 かつて少年だったころ、ホームズに雇われていた御者はいった。「もちろんですよ。ホームズさん。うちのカミさんは料理上手ですからね。今度はぜひドクター・ドイルも」

「私はけっこう」ドイルはいいかけて首を振った。「いや、あなたの奥さんの手料理はぜひご馳走になりたいのだが、しかしお邪魔でしょう」

「それで神父と懇意になって、ほどこしがわりの紅茶でも飲んで帰るつもりだった」ホームズは聞いていなかった。「――ところがどっこい、牧師のやつが現れたのだよ」

「やっぱり! やっぱりあれなんですな、つまり、彼らはそういう趣味の――いや、俺は別にそんな偏見やなんかは、ましてや警察にたれこもうなんざ考えてませんが」

 ドイルはガンガンと柄を使い、巨体でもって馬車を揺らした。

「や、やめてくださいよ。壊れるでしょうが」

「降りる。余計なことは言うなよ」ドイルは御者にかなり多めのチップを払った。

 石畳が綺麗に敷き詰められた街の真ん中の広場辺りまで来ていた。溜め池の周りで鳥に餌をやっている夫婦などがいるだけだ。

 ホームズはあきれたようにドイルを見つめ、やれやれとため息を吐いた。

「腕を組むな」

「君のためではない。それに誰も見てないさ」

「私は顔が知られている」

「思い上がりもいいところだ。君の弟のイネスが怒っていたよ。誰でも君とだけ知り合いになりたいわけではない」

「私が組む」ドイルは強情だった。「いいな」

 歩こう、とホームズはいった。

「……それで、牧師が来てなんだって?」

「これが熊そのものというか、熊に豚と猿を足したような醜男なんだが、彼が神父を好きだったのは間違いないようで」

「どうしてビリーの前でその話を。彼はたしかに我々のことを勘づいてはいるが」

「話を最後までききたまえ。僕にはわかっていたのだ。神父の美しい金糸のような髪の毛、白い喉を隠した服の襟ぐり、香りたつ体臭、小さく軽い足跡。すべては一つのことを示している。つまり」

「――惚れてるのか」ドイルはホームズを見た。

「ドイル君」

「今の言い方はまるで……ワトスンが女性を描写するときのような言い回しだ。ホームズ、私は」

「彼女は女だということを、だ」

 ドイルは唸って、目を丸くした。「なんだと」

「彼女は女性だ。身長も僕に並ぶほど高いが、女性なのだ。僕はそのことを知っていると伝えた。そして、君は怒るだろうが、僕には心から一緒に過ごす時間を取りたい男がいて、いつまでかはわからないがこの街で暮らしていると白状したのだ」

 ドイルは口をつぐんだ。いつの間にか足はとまっていたが、ホームズの言葉は緩やかな風と共に、はっきりとドイルの耳に届いた。

「突如現れた牧師は勘違いして僕を殴ろうとしたが、彼女は僕をかばい、牧師に事情を説明して、自分たちが愛し合っている事実に正直になったのだ」

「私に、何かしてやれることはあるのだろうか」

 ホームズは続けた。「彼らは来月には教会を後任に任せ、二人で静かに余生を過ごすといっているよ。だが僕はね、羨ましかったのだ。二人のまっすぐな目の中には、どういう深い事情を抱えていようと、互いを見つめることを恐れはしないという意思が――はっきりと見えたのだからね」

 二人は家に帰るまで、ほとんど会話もなく黙々と歩いた。途中で荷馬車に乗せてもらっても、言葉は最小限だった。

「シャーロック」ドイルは家に帰ると、ホームズの肩を掴んだ。「参ったと認めざるを得ない。今日は君の勝ちだ。私が間違っていた」

「人目を気にするのは悪いことではないさ」ホームズは静かに囁いた。「こもるのも好きだ。面白い事件がないときに限っては」

「――退屈させてるな、私とじゃ」

 ホームズは驚いたようにドイルを見返した。それはかなり珍しい反応だったため、ドイルも似たような顔をした。

「ああ。うまい表現が見つからないぞ。ワトスンに聞かなければ」

「ひどい冗談だ。日に何度彼の名前をいえば気がすむのだ。私も言えた義理ではないが」

 ホームズは答えようとはしなかった。右手を頬に寄せてくるので、ドイルは戸惑ったが手のひらの親指のつけ根に口づけた。

「塵がついてるのを取っただけだ。接触は許可してない」

「……!」







『ふたりの感情』



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