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「スタンリー」男は繰り返した。本日何度目かの呼びかけだった。「私のチョッキを一揃い持ってきてくれ」

「忙しいんです。後にしてもらえませんか」

 下旬の間取りは二階に二部屋、そのひとつは物置小屋と化し、家主は近所で小料理屋を始めてしまったため、スタンリーの仕事は倍増した。

「スタンリー!」

「聞こえています。少し黙っていてください。僕は貴方の下僕ではないのだ。ホームズさん」

「口答えとは」ホームズはいった。「でも確かにそうだ。金を払って雇うから、私の専属になってはくれないか」

 スタンリーは目をぱちくりとさせた。ホームズという若い男は、スタンリーの叔父の娘の亭主の兄弟が営んでいる下宿に住んでいる。生活態度は不規則極まりなく、普段はほとんど家によりつくこともない。

 関わりを持たないようきつく言いつけられていたため、スタンリーは困った。

「なぜそんな。僕にはやることがあるんですから、もっと他の大人に頼んでください」

 スタンリーはもうすぐ十五になるのだが、寄宿学校に入る金はなく、親戚のつてをたどって都会で暮らしているのだ。この仕事を失えば、明日の生活がどうなるか、実家に置いてきた妹や弟の人生がどうなるのかわからない。

「労働階級でもつらい仕事とそうでない仕事がある」

 ホームズはスタンリーの手元を指さした。「先ほどから君が苦心している縫い物もそうだ。年寄りなら我慢できるだろうが、血の気の多さをもてあましている君のような少年には無理だ」

「なら代わってください。喜んで貴方のお役に立ちます」

「高等な仕事なら、もっと稼げる。君の能力と頭があれば」

「仕事に下賤も高等もありませんよ」

 ホームズは首をふった。

「それは下の仕事についたことがない人間の言うことだ。テムズ川のどぶさらいを経験してから口を聞いたほうがいい。釣糸の端につないだ磁石を引っ張り、拾った缶を溶かして再利用する仕事でも、指がボロボロになる」

「浮浪者は下に見てるんですね」少年は鼻を鳴らした。「ホームズさんのお仕事はさぞやご立派なんでしょう」

「定職など幻想だよ。私は研究者として大学に在籍しているが、収入源がこれだけだとしたら食いっぱぐれてしまう。そこで新しい仕事を作ろうとしているのだ。片腕がいれば心強い」

「お役には立てませんね」

「白状するが、そのことだけではない」ホームズはスタンリーから布地を取り上げた。「――僕は君に恋をしているのだ」

 スタンリーの反応は顕著だった。彼は呆然として、脇に立つホームズを見上げた。そのときほとんど初めて、その容姿を間近に確認した。

 黒い髪、特徴のある鼻、落ちくぼんだ鋭利な目、がっしりした顎、身長は飛び抜けて高い上に、食べているのかも怪しいような細身である。お世辞にもハンサムとは言えず、煙草を吸う者に特有の不健康な顔色をしていた。女好きのする顔ではないが、何人もの女性が下宿から出入りしてきた事実を知っている。

「まさかと思いますが、勘違いなさっているのでは――僕は男ですよ」

「たしかに女性には見えない。君の顔立ちがいくら整っていようと」

 スタンリーは他に問題があるだろうと思ったが口にはしなかった。法律違反はこの際脇に置いても――事実上見てみぬふりをされているのが実態である。我が国は長年無法地帯だったのだから――、なぜホームズのような男に好かれる要素が自分にあるのか、まったく理解できない。

「考えさせてください」

 もちろん、とホームズは踵を返した。そして下を向きつつ勢いよく歩いたために、横木の張り出しに頭をぶつけた。


 あの観察力の鬼が。

 あの気取った嫌みな若い男が。

 あの生活力不完全弱者が。


 スタンリーはホームズという男を、自分もすっかり気に入ってしまったと認めぬわけにはいかなかった。







『モンタギュー街の下宿人1』



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