【事件簿】


046)言葉を知らぬ夜



 抱いてくれと頼んでから気が狂いそうなほど長い時間待った。諦めて踵を返しかけたそのとき、ドイルはようやく探偵の腕を取った。

「――来い」

「……っ」

 期待するな、と探偵は自分に言い聞かせた。いつになく優しい指が自分を自室に引き入れ、暗闇のなか手探りで顔の形を探り、身体ごと壁に押しつけられる段になってもそれは同じだった。

 口づけとは呼べない位置に唇がつくのを感じた。それだけで啜り泣きでもあげるように鼻が鳴り、彼の高慢さは一瞬で屈伏した。愛してほしい。他の誰より貴方がいいとすがりつく前に、額から降りた唇が鼻の脇を下りて唇を塞いだ。

 至福の時間に頭が真っ白になった。

 百の言い訳も打ち消すような痺れが全身を襲う。震える膝を隠すために閉じようとした脚を割って、ドイルの身体が密着した。微かな喘ぎを別の角度から唇が拾い、熱い牡の形を理解しても何も信じられなかった。

 これは現実ではない。彼は自分を求めていない。軽く表面を暴いただけで滝に打ち捨てた。一時の気の迷いだと言わんばかりに自分の存在すべてを頭から消した。

 国内中の人間に求められても、この男が自分を欲するわけがない。

 抱きしめることさえ躊躇われた。神聖な彫像に対する劣情をどこか別の場所へ向けなければと、必死で顔を背けた。感情に嘘をついたとたん心は叫び、何も聴こえなくなるほど探偵の胸の痛みは増した。泣き崩れるより先に力強い腕が自分を抱き止め、首の後ろを捕らえた指先がまた引き戻す。ぞくぞくとした欲望が皮膚を伝って触れた部分から立ちのぼり、抑えきれなくなった嗚咽を乾いた唇が呑んだ。

「……っ、ん」

 性急さはない。もどかしい熱が喉元をさらに締めつける。ゆっくりと差し込まれた舌の動きを追って、薄目を開けた。微かな灯りを頼りに、初めて見る近さで探偵は男をとらえた。感情の見えない静かな目から目が離せない。応えることもできない。蹂躙することなく外へ出てしまう舌に怯えて、名前を呼んだ。彼は何も言わない。返事は返らない。


 どうしてこの男でなければ駄目なのか。


 逃げようとする身体を軽く抱かれているだけなのだが力が入らず、高まる下腹部を意識した。互いの太ももが同じ意思を持って交互に擦り上げる。膝頭の硬さを跳ね返して勃った。緩慢な疼きが徐々に大きくなるにつれ、腰の動きも強まっていく。自分から触れることはまだできず、探偵はドイルの肩に顔だけ伏せた。

 しばらく股間だけを波打たせるうちに、相手の硬さも増していく。生理的な反応にも冷静だ。口づけを望んで面を上げたが、うなじを捉えた指が逆の肩口に誘導する。乾いた唇が軽くこめかみを掠めただけで唸った。

「ぅ……い……いっ」

 たまらずねっとり打ちつけるような動きに変わった。服の下の隆起が少し涙をこぼし、直接的な愛撫がほしいと悲鳴をあげている。歓喜に奮える半身でしがみつけば、ようやく本体を引きずり出され、ペン蛸のできた太くて硬い指で、出した精を投身に塗りつけられた。

「っ……」

 荒い息を吐いて射精感の波をやり過ごす。嘲笑うように亀頭が手のひら全体に包まれ、指の蛸が先端の割れ目を行ったり来たり繰り返した。先走りを越えて汁があふれると、親指がそれを押さえた。欲しいか、と囁きが聴こえる。私が欲しいか、という言葉に叫んだ。欲しい――欲しい。貴方に触れたい……!

 ぴたりと動きが止まる。幻聴だったか、と不安になるほどの沈黙が漂った。息も絶え絶えに名前と懇願を小さく繰り返した。

 屹立に少し触れただけで火傷をしたような痛みを感じる。重ね合わせてしごかれる快感に、もっとと口から漏れた。額を押さえられ上向けられた。たわむれではない深い口づけに気をやったが、はがゆい心地が増すばかりだ。眉根を寄せた表情を暗闇に慣れた目でしっかり見ようとした。涙と自分の吐く息でぼんやりしている。苦しいのが気持ちいい。

 絨毯の上で服をすべて脱がされた。その間も湿り気を帯びた前で指が何度も行き来する。断続的な痙攣が襲うが、射精にまではいたらない。指がほぐし始めるのに合わせ、緊張を解くため深呼吸した。背中を抱きしめられると、感覚を無くしたはずの足先がきゅっと閉じた。強くなる股間への扱きに加え、後ろにあてがわれた熱の怒張が表面をなでさする感覚に喘いだ。

 男の胸の弾力に猛る自分を赦した。

 屈辱より欲望が勝る。自分から迎えるように腰を突き出したが、侵入する質量に体を反らせた。腹部を圧迫する重みに叫ぶ。予想以上の大きさを跳ね返そうと、思わず逃げた。首に回された片腕にしがみつくが、丸めた身体を広げられ、押さえこまれる。格闘技としか思えぬ長いやり取りの間には、もう声も出せずにただ喘いだ。

「ドイル……ッ、吐く」

「最初は我慢しろ」

 つれない言葉とは裏腹に頭を優しく撫でさすられ、質量の増した穿ちが自分の内部でドクドク言うのを聞いた。息を小さく繰り返し、首の後ろにしゃぶりつかれる感覚だけに集中した。握りこまれた自身を見下ろす。情欲を示した牡が赤黒く照り返し、先端を少し触られただけであまりのよさに泡を吹き出し始めた。

「……まだ触るな……ッ」

 後ろで逝きたいのか、と耳に口づけられる。繋がりが深まり嗚咽した。痛いだけのものでも嬲られることを望んでいた。締まりのきつい外壁で己もさぞや痛いのだろうに、ドイルは何も言わなかった。呼吸に寄り添うような抜き差しを始める。つっかえれば前を握りさすられることで、探偵の身体も徐々に慣れていった。

「ひ……ぁ!」

 快楽は唐突に訪れた。ある一点の集中した突きに全身を硬直させると、そこばかり狙い撃ちだ。貪欲に未知の官能を味わおうとする腰が、探偵の意思とは無関係に動いた。挿入される度に下半身がはしたない音で応えた。腹の前で屹立を軽く弾かれれば、体中の筋肉が溶ける。うわ言をつぶやくのを止められなかった。

「いい……っ」

「これがか」

「ぁ……ぅんん……!」

 小刻みに揺すられれば思考が混乱するほどの激しい波が襲った。否定の言葉を裏切るように下の口が牡を呑み込む。腹いっぱいにくわえた肉棒を味わい尽くすまで奥へと迎え入れた。飛び散る白濁に勢いはない。空撃ちの痛みが更なる渇望を引き起こし、中を削りとる緩やかな刺激だけが後に残った。

 一向にやむ気配のしない淡い責めに堪えかね、無意識に軽く自身を握った手を取られる。「そっちは駄目だ。自分だけ先に愉しんだ罰だ」

 掲げた脚を軸にして繋がったまま、横抱きに向きを変えられた。敏感な場所を擦りあげた隆起が大きさを増す。かすれた悲鳴も途切れ途切れだった。逝くにいけない心地が膚の上を走り、突かれると武者震いで応えた。射精を伴わない長い解放感に宙を掻くが、終わることがない。ぎりぎりまで抜かれて挿入る動きに吸い寄せられて、臀が幾度も形を変えた。

 ドイルの射精は礼儀正しく外で行われた。飛沫の刺激に堪えきれず半分勃起したが、息を整える前に口内の粘膜に捕らえられ、焦れることなく精を吐き出した。


 余韻などない。吹きかけられる息だけを頼りに、目を閉じた。


End.


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