【事件簿】


021)微かに愛を添えて



 押しかけた部屋の片隅で、資料整理に明け暮れている。私はため息をついた。

 馬鹿な――今夜は二人きりで過ごそうと約束したのに、論文だの随筆だのが教授の偉大なるカボチャ頭を締めているなんておかしいじゃないか。

 私はぬいぐるみに話かけた。

 ぬいぐるみといっても、熊やら兎やらではなしに、手作りのドクター・ベル人形だ。精巧なフィギュアとまでは言わない。しかしかなり特徴を捉えている。デフォルメされてはいるが、胡麻塩頭のカール具合や、高い鼻、照れたときにピンクに染まる頬などそっくりだ。若い学生がベル教授のエッセイと眼球に関する発見に感銘を受けたらしく、なぜか趣味の裁縫で勝負をかけてつくったらしい。なぜか。

 当然のように書いたが、相手は男だ。学期ごとに代わりゆく助手の席を二年連続でこなし、現在の教授の関心と寵愛を一心に引き受けている。頭の回転がいいからだ。

 正直に言って、私には面白くなかった。そこでこれを思いついたのは奇跡に等しい。私は床に広げていた書物や紙類を暖炉から離し、えろほむえっさいむ、えろほむえっさいむんむん、と謎の呪文を唱えた。心霊術のほとんどは馬鹿馬鹿しいが、人形の呪いは受けたくない。

 暖炉に投げ入れようと振りかぶったが、できなかった。何度やってもできない。学生の汗水精液が染み込んでいるかもしれないからではない。

 教授はこの人形をマントルピースの上に飾り、気に入りのパイプと共に大事にしている。そしてぬいぐるみはかなり可愛い。しっかりくっつけられたシルクハットとステッキだけは、石膏だろうか。ぷにぷにと腹を押すと、礼をするように付属物が動く。待ちくたびれた私には、彼が教授そのものに見えた。

 絨毯の上に寝そべる前は、「昼食は何にしますか、教授」とパン皿を人形に差し出したし、「僕はボクシングには自信があります。負けませんよ」と言って、やられたぁと遊んでいたのも事実だ。

 なかなか帰ってこないどころか、気づけば朝で別れのキスもできないままになる日もある。今日はましなほうだ。そう自分に言い聞かせながら、私の片手は胸を探っていた。

「勃ってるって? ああ……ご無沙汰ですから」

 私はゆっくりと体を起こし、脚を組んだ。妙に熱い理由も理解している。上着を脱ぐときは人形に見せつけるように後ろを向いて、普段は絶対したことがないようなポーズで脱いだ。我ながら気持ち悪いが、ぬいぐるみは文句を言わず、見開いた目で私を見ている。私だけを。

「僕をどうしたいんです。放置プレイは飽き飽きしてます」

 ではさっさと脱ぎたまえと言われた気がして、私はシャツのボタンを片手ではずしていった。もちろん気のせいだ。

「新しい愛人はどうですか。あなたに似てほっそりした彼。鋭い目と紅潮した頬で僕をにらんでいましたよ」

 首に絡んだタイがなかなか取れない。

 私はあきらめて、また魅惑のポーズ研究にいそしんだ。勃起した乳首を指先で転がすが、痺れる感覚がひどくなっただけでちっとも満足しなかった。指を口に含んで出し入れする。ひもじいのではない。いい歳をして人形遊びに夢中になっているだけだ。もう一度同じ場所を弄ると、快楽は少し手近なものになった。

「教授。ね、見てます。ちゃんと、僕を見てます?」

 ぬいぐるみは今度は何も言わなかった。見ててください、と股間に左手を這わす。もうかなり隆起したそこは、圧迫されすぎて布地をびちびちと引っ張っていた。慌てるな、と私は唾を飲み込んだ。すぐに動くのは簡単だ。しかし教授を退屈させてしまう――教授の、人形を。

「……っ」

 膝立ちになって盛り上がりをまさぐり、右手で逆の胸元をつまんだ。じっくりと動けば、天を仰いだ口から吐息が漏れる。

 私は脚に力をこめ、細い糸のような悦びに集中した。挟まれた怒張が悲鳴をあげる。痛みが引き起こす波のせいで、額から汗がいく筋も垂れた。少し解放しようと前屈みになる。服を下ろして、すべてを自分の両手に委ねた。

「……くっ……ぁ」

 緩慢な指で行った自慰は、もどかしさを増やすばかりに終わった。弛緩したのは脚だけだ。立てないほどの欲望が血流を滞らせている。私は喘いだ。しかし行き場を失ったままの勃起は収まらない。

 しごくのをやめて、ぬいぐるみに目をもどした。やっぱり似ている。

「好き……」

 自分の声とは信じられない。私は肘をついて半裸の尻を振り返った。何度か挑戦したものの、どうしても絶頂まではたどり着けない後孔を探る。我慢汁さえろくに出ていない前のせいで、後ろも硬く閉じたままだった。

 私は記憶にある教授の愛撫を真似ようと、二本の手をフルに使って、自分を慰めた。難しい。ときどきいいところまで来るのだが、掴もうとすればするほど、なぜか快楽は離れた。

「……ふ」

 私は満たされない想いに体を丸め、やがて服を着直し始めた。シャツを取り上げようとかがんだ瞬間、強い力で引っ張られ、壁に押しつけられる。教授の怒りに満ちた目が間近に映り、私は息をつめた。

 叱責を受けると思ったが、振り上げた腕は私の肩に回り、くずおれそうになる体をもう一方の手が支えた。合わさる唇と絡まる舌に気を遠くしながらも、薄目を開けて教授の顔を見つめていた。手で包み込んだ顔が、苦しそうに赤黒く染まっている。

「っ……教授……、いつから」

 息が上がって、潤んだ瞳が蠱惑的に輝いている。二度目のキスは更に熱かった。唇が離れても、互いにしばらく話せなかった。

 乱暴にベッドへ連れていかれ、あっさりと全裸にもどされた。教授は外套と上着を脱いだが、ベストはあきめて私に覆い被さった。

「あんな、ものを見せられて。私が正気でいられると、思うかっ」

 抱きしめあった体から伝わる熱に、私は溺れた。脚を肩に抱えあげると、引き出したものが穴の周囲に先走りを塗りつけ、何も言わずに侵略してくる。私はその大きさに制止しようとしたが、教授は容赦せず先を急いだ。

「あっ……やあ! いい、いい……っ!」

「ドイル。ドイル、ばか、締めたら動けんだろう」

 締めるのをやめられない。圧倒的な快楽が、私から理性を奪っていた。これが欲しかった。どうしても緩まない。教授が私自身を握り、軽くしごいた。追いつめようとはやる指に敏感に反応して、もっとと願ってしまう。握りしめた拳で声を殺した。

「ん、……んん!」

「こらえなくていいぞ。夜はまだこれからだ」

 私は啼きたかったが、周囲を気にした。駄目だ。でも気持ちがいい。びくんびくんと体を揺らして一度弾けると、恥じらいが戻る程度に、ようやく和らいだ。質量の抜ける感じに寂しさを覚える。教授も満足げな息を吐いた。

「もっと……」

「人形遊びを始めたきっかけを聞くまでは駄目だ」

 私は躊躇したが、最終的には口を割るはめに陥った。教授はぬいぐるみと違い、黙ってない上にじっともしていない。私が嫉妬心について隠そうとすればするほど、やり口は酷くなった。

 楽になってから眠りにつく前、助手についての見解を私が言えば、何がおかしいのか笑ってこう言ったのだが。「私に取り入ろうとする半数の者は、君に憧れて学科を取るのだ。その証拠に、ほら」

 ベッド脇の引き出しから取り出したのは、私に似せたぬいぐるみだった。二体を隣合わせに置くことはさすがにできないが、と教授は囁いた。


「おかげで私は、一人寝がさみしくないというものだ」


End.


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