【事件簿】


015)ニヒリズムの現在



 ホームズ一家がフランスに滞在している期間はいつも長かった。母方の従兄弟二人はシャーロックのよき遊び相手となった。しかし喧嘩もたえなかった。

 家族は昼頃、一同揃って食事をとった。姉妹に会って機嫌のよい母が、自分の自慢話をするのが少々照れくさかった。

 おかげで二人きりになると、従兄弟のセドリックが対抗心を剥き出しにしてくる。笑いたくもないのに無理やり唇を持ちあげる独特の笑い方が不快で、シャーロックはときどき黙った。

 下を向かないために気取って見えたのだろう。そうするとますます相手も増長して、からかいにみせた嫌みを何度もぶつけてくる。

 幸いなことにセドリックは誰に対してもその調子だったので、見る人間がいればたしなめられるのは必ず彼のほうだった。自分の口は何の問題もないと思い込んでいる証拠に、無駄に騒ぐので手をやいてしまう。陽気に見せて他人を傷つけるのだ。

 翌日も身近な競争相手はシャーロック一人だったので、セドリックは犬を引き連れて散歩にいこうと言い出した。手には首輪と玩具の猟銃を持って。

 シャーロックは相手をすることを諦めた。我慢も限界である。

「僕は家でじっとしているのが好きなんだ。よほど愉しい遊びでも君が見つけてくれるとしたら、その首輪を君につけて遊んでやらなくもないんだけどね」

 その言葉は思わぬ効果をもたらした。セドリックはシャーロックの期待通り首まで真っ赤に染まったのだが、「シャール。君、そういう遊びをしたことがあるのか?」と興味津々で近づいてくる。

「さあ。したことはないけど」見たことはあった。「場所を選ばないとまずいと思うよ。特に君のお母さんは心臓も悪いから」

 いい場所がある、と案内される廊下の途中で、ダニエルと出会った。彼はまだ四歳にもならない。十も年上のセドリックを神様か何かのごとく崇めている。シャーロックにとってのマイクロフトがそうであったように、背中を見つけたらべったり離れない可能性が高い。

 セドリックもダニエルの前では高圧的な面を抑えているのだが、そのときは違った。

「ダニエル。駄目だ。ついてくるな」

「セディ。シャーと何するの。シャーが来るとシャーばっかり。シャー返して。ダニエルのお兄ちゃん返して」

「シャー君は今度休暇でやってくるマイクロフトをおまえにあげるって! よかったな!」

 そんなことはいってない。シャーロックは泣きそうになっているダニエルに、内ポケットに入れていた飲み込めないサイズの拡大鏡をあげた。

「ダニエル、僕の宝物だ。セドリックは必ず返すから、代わりにこれを持ってて」

 ダニエルは理解していないようだった。彼が鏡の縁を指先ですくっているうちに、シャーロックの手首は強引に引っ張られた。

「――セドリック」

「なんでうちの乳母は役たたずなんだ? どいつもこいつも……」

「君が僕に首輪をつけるかい。これじゃ立場が逆だなんだが」

 セドリックは振り返って、握った手を見つめると唸った。小間使いが扉から出てくるのに鉢合わせ、「あら坊っちゃんたち仲直りしたんですか」という声にパッと離す。

 角の部屋にある細長い階段を上がった所に、埃っぽい屋根裏部屋があった。もっと幼いときに閉じ込められた覚えがあるが、シャーロックは五分とかからず錠前を開けてしまった。それ以来ずっと目の敵にされてきたのだ。

「ここだと僕は中腰が精一杯だ」シャーロックはいった。セドリックのほうが年上だが、背は少しだけ自分のほうが高い。

 セドリックは首輪を見つめて、頭を下げているシャーロックにかけた。シャーロックは困ったなと内心思ったが、特にこだわりもなく大人しく膝を折った。

 どちらが犬になるかということより、領家の坊っちゃん然としているセドリックの、少しはませた面のほうに興味をそそられた。さすがフランス人の血を色濃く受け継いでいる。

「僕の……犬に……」

 だがそれ以上が続かない。シャーロックのほうが焦れて、自分から革の首輪をしゅっと絞めた。試しに「ワン」と一声あげたが、相手は真っ赤になってしゃがみこんでしまう。

「君、意味がわかっているのか? シャール。シャーリー。ああ……シャーロック!」

 シャーロックは少し残念な気持ちを隠した。セドリックには期待していたのだ。しかし所詮は一つの差しかない。傲慢さと自己中心的な態度が、内気さを覆うためのポーズであることはかなり以前に気づいていた。

「では後ろを向いてひざまずくんだ。僕がお手本を見せてやるから」

 セドリックはほっとしたように首輪から伸びた紐を手放した。シャーロックは立ち上がると、首だけ曲げて、セドリックの顎を掴み、はっきりといった。

「そこに転がっている椅子を持ってこい。可愛いセディ坊や」

 背中を向けた瞬間に腕を掴み、抜き取った自分のタイで手首を縛る。鴨居に両手をかけ、脚で尻を蹴った。

「なっ……シャー」はからず四つん這いとなった顔が、羞恥以外のもので染まる。

「犬は手を使わない。セディ。返事はワンだ」

「首輪はまだ君がしているじゃないか!」

 シャーロックはため息を吐いた。動物は嫌いではないし、特に犬は好きなほうだ。それでも調教する手間が面倒で、馬とは違って手元に置く気はなかった。

「犬に犯される主人を見たことはある。そっちがお好みなら」

「ワ……ワン」

「首輪はご褒美にもらうものだ。芸がうまくできたらつけてあげよう」

「ワン!」

 時間はかかったが、椅子に座ることはできた。第一段階は終了だ。まずは主従関係を受け入れさせることだ。

「セドリック。さっきはすまなかった」シャーロックは相手の頬を包んだ。「よくできた。さあキスだ。フランス式のを頼むよ」

 唇を寄せるとペロリと舐められる。目を瞑ってがくがくと震えているので、自分と同じ色の髪を撫でつけてやった。顔もよく似ている。お互い不本意なことに双子に間違えられることもある。

 お手軽な性教育の相手としては、これ以上のパートナーは見つけようもないだろう。セドリックは真っ赤に熟れて、なかなか扇情的だった。シャーロックは、自分もこう見えるのかと不思議な気分に浸った。

「うん。まあ、犬だからな。ところでヴィクトリアという女性のことだけど」

「えっ」

「ワン!」

「ワ、ワン。ワワン!」

「君が渡しそびれている手紙がポケットの端から出ているんだ。綴りが……男ならヴィクターかい? どちらでもいいが。もし手紙さえ受け取ってもらえないなら、こういう面をもっと出したらいいんじゃないか」

 セドリックは首を激しく横に振った。涙目に近い。

「そうか。ああそうだ。手のことを忘れていたよ。もう一度背中を――もう蹴らないさ。そう。きつく縛りすぎたな。ほどいても赤くなってる。向き直って手を後ろに。股をひろげて、両膝は」

「シャール。シャール……!」

「わからないと思っていたのかい。そんなに膨らませて。君がこの段階を乗り越えてくれないと、僕のほうは全く興奮しないんだよ。君も僕がやっている側もやれる素質があるってことを、僕はちゃんと知っているんだ」

 セドリックは望まれた格好をやりとげた。シャーロックは椅子から降りて膝をつき、盛り上がりの形を生地の上からなぞると、感嘆の息を吐いた。きちんと育っている。

 幾度か手のひらで上下させると、びくびくと反応を返した。

「ぅ……あっ。シャーロック」

「返事は」

「そんな、こと。言ったっ、て」

 締めつけの釦をはずすと、ひとつが弾け飛んでシャーロックの指先を掠める。

「痛い」

「ぼ、僕だってな!」

「舐めて」

 セドリックは高鳴る胸の鼓動を聞かれる不安をよそに、シャーロックの指を口に含んだ。無傷の二、三本もまとめて濡らし、シャーロックはそのままゆっくりと唾液に濡れた指をおろした。

「下ではなく僕の目を見るんだ」

 灰の色だった。英国の曇った空の色だ。

 掴んでしごかれる間にいたっては、その冷めた目を見続けないことには釦と同じ運命を辿りそうだった。

「あっ……はぁ」

「僕も脱がせてくれ」

「シャーロッ……」

 ほとんど抱き締めた状態で、犬は主人の服を剥いだ。垂れ下がったままの成長しきっていないものを扱こうとするが、そっちはいいと、自らの手で後ろをほぐし始める。シャーロックの息も、それで少し上がった。

「何をしているんだ?」セドリックは聞いた。

「冗談だろう……。わからないなら、この先はやめておくか」

「わからないと、できないものなのかい」

 シャーロックはふき出した。「――大丈夫だよ。さっき言ったじゃないか。犬が主人の上にまたがっているところを想像すればできる」

「君が、じゃ。駄目なのか」セドリックは更にいった。

 どうやってもそうなるのかという顔で、シャーロックも最終的には承諾した。時間はとてつもなくかかったうえに、どちらも初めての側で、痛みで嘔吐、悶絶するはめになったのだが。

 シャーロックのフランス人の従兄弟の弟のほうは、後年女性と結婚した。――年上女性で英国女王と同じ名前だったが、さすがに手紙の彼女ではないと探偵も信じたかった。そちらは子供も成したが、もう一人のほうは独身を貫いた。

 例の探偵本など読むと条件反射で吐き気がするらしいが、英国人の従兄弟は新作が出ると構わず送ってくるので、枕元に飾って寝るようだ。


End.




prev | next


data main top
×