『箸休めに白玉を<前編>』
珍しく呼び付けられて。事件か使い走りか探偵の相手をしろ、ということか――――どれかなのだろうと予想していたが。
京極堂は本を座卓の上に閉じたまま、改まった様子で腕を組んでいる。表情は痩せぎすの仁王であり、恐れ慄いて私は無口になった。
浮気のばれた亭主の気分である。本の上の四角い包みが気になるが、聴いてもいいやら判断がつかない。
真逆と思うが手切れ金だろうか。薄紙でくるんだ箱に見えるが、格式張ることを好む男だ。有り得ぬことではない。
「関口君」
あ、ああと何時も以上に歯切れ悪く応えた。京極堂がとって食いやしないよと苦笑する。
そうだな。とって食うのは私の方だ。
「…………口君。関口君。聴いているのか」
「えっ。あ、ああ」
「先刻からそればかりじゃないかね。で、どうする。要るのか、要らないのか」
何を、と聴き返すと睨まれた。百年髪の伸び続ける市松人形なら可能かもしれぬ目つき。
これを見て背筋に悪寒以外のものが走るのは、私だけだろう。慣れてくると上目遣いが愛らしく感じられる。
「君が要らぬと云うのなら、これは榎木津にやってしまおう」
京極堂は箱を袖の下に隠した。なんだい其れはと私が腰を上げると、やれやれと首を振る。
「夫婦箸だ。顧客がうちの創業記念日に気を利かせてくれたのだが。生憎、箸なら腐る程ある。君の所で使って貰った方が有益だ。文士の収入じゃわざわざ買おうとはしない品だからな」
余計な一言に眉を潜める。幾らだと聴くと、大方このくらいだと掌に向け指を立てる。確かに手は出ない代物だった。
箱ごと差し出されると、つい受け取ってしまう。輪島だか若狭だかの塗り箸だ。京極堂が蘊蓄を語り出すのを待った。
而して次の言葉は、一向に吐き出されなかった。私を見るでもなく、着流しの袖に手を入れてそっぽを向いている。
黒塗りの箸を触る。一膳は太く長く、もう一組は其れより若干短い方が女用である。だがこれはどちらも同じ長さだ。
私が首を傾げていると、京極堂は無言のまま和綴じの本を手にした。我関せず。用は済んだから帰るなり何なりせよという風情だ。
事の次第が読めてきて、うううと声が漏れた。箸を持って動かす。京極堂がびくりとして本を掲げた。
「何だね、その笑みは。気持ち悪いぜ。関口君」
「別に」
これが喜ばずにはいられようか。贈り物に高級夫婦箸。間違いない。
勘の鈍い私にも判る。箸の先だけ赤と青で色が違った。赤い方は彼の細君の物ではない。勿論私の女房の物でもない。
京極堂と私の箸なのだ。
率直に尋ねたところで、教えてはくれまい。私はない頭を捻って、ボソッと呟いた。
「何かここで食べたいなあ」
「…………蕎麦を取るかね」
ほら見ろ。暗黙の了解でこの箸を使うことは決まっているのだ。私は上機嫌で声を張り上げた。「軽い物はないのか」
「注文の多い奴だな。甘味の類なら千鶴子が用意してる。匙の方が食べやすいが」
それでよいと頷いて、立ち上がる手に二膳の箸を握らせた。怪訝そうな風すら装わない。無言でさっさと座敷を後にする。
これは。例の物体の出番ではないのか?もっちりとして歯ごたえがあって、ぬるぬるとして甘くて。股下に熱が集まった。真逆なあ。季節外れも良いとこだ。そう年中幾ら何でも。
京極堂が盆を抱えて現れた。出涸らしに違いない茶もついてきたが、私の目線は一点に集まる。「有り合わせだ。善哉にしたが、よかったかい」
――――白玉だ。
碗が一ツしかない。綺麗に洗った箸は一膳余っている。自分はいいのかと聴いたら、腹は空いてないと云った。
「食べきれないさ。君も食べろよ」
「口は頼んだ物を平らげるために使い賜え」
「そうはいかないな」ゆっくり距離を縮めて、箸を向ける。「これは君が買ってきたものだろう」
京極堂は虚をつかれたように身体をのけ反らせた。私をまじまじと眺める。
「どうしたらそういう発想になるんだね。僕の話を聴いてたのか?」
「話らしいことは何もしてないじゃないか。隠しごとがあるとき、君は黙り込む」
「気に入ったのなら其れを持って早く」
帰れ、と云った口に団子を入れると静かになった。不器用な私の箸使いでは無理なので、指先で押し込む。汚い、と呟く唇を唇で塞いだ。
気に入った。大層気に入ったから、これを使って好きな物を食べたいのだ。
抵抗して喘ぐ京極堂の着流しを剥いだ。蹴り上げたり腕を振り回したり自棄に暴れる。裾から手を入れ膨れ上がった先端を握るとすでに濡れていた。背中に覆いかぶさり畳に押し付ける。
強く扱くと鼻息で応えた。顔は見えないが耳だけ赤い。腰を撫で下ろすとふぅんと低い声を出す。私は彼の耳元に鼻先を擦りつけた。
「厭がってないじゃないか――――」
「君を完封なきまでに叩きのめす言葉もあるが、今は使わないだけだ」
それ以上したら本気を出す、と警告の眼差しを髪の毛越しに受け、身体を退けた。
京極堂は衿の乱れをそのままに、煙草を取って火を点ける。頭に手を沿え横たわり、暫く眉を寄せていた。
所在無く座っている私を眺め、呆れたように囁いた。
「何故僕が君の夫婦生活を支援する必要がある」
「じゃあこれは、君と僕の夫婦箸じゃ」
「千鶴子が云うから渡したのだ。大体な関…………何だって?」起き上がって煙を吐き出した。「長さの均一な夫婦箸も近頃じゃ売ってるぜ。そんな風に取られるとは流石の僕だって考えないさ。てっきり」
京極堂は私の云った意味に一瞬遅れて気づき、私も逆に気づいた。
雪絵に上等の贈り物をできるから、私が喜んでいると思っていたのだ。
肩を剥き出した半裸の男と、座卓に並べた箸を比べる。京極堂は憮然として煙草を揉み消した。
「何をそんなに嬉しそうにしてるんだ。碌でもないことにしか君の頭は働かないのかね」
「何も云ってない」
「そう何時もいつも付き合って居られないのだよ。後始末が大変なんだ。そういう妄想ばかり」
「何も云ってないぞ」
ならいいと顎をしゃくり、箸を掴んで木箱に戻そうとする。抱き寄せると今度は素直に胸の中に納まり、諦めたように体重を預けた。
痛くしないでくれと云うので、頭が沸騰して箸を奪い取る。震える箸先で上半身を脱がせた。白い身体が出てくると、まだ口もつけてない甘味の存在など忘れてしまう。
京極堂、と箸で乳首を摘んだ。アアとのけ反らせる顎を捕らえて囁いた。
「箸休めに美味しく頂くよ」