【企画】


『ドイリアンとシャーロキアーナ』


 ドクター・ドイリアンはその日も穏やかに過ごしていた。

 年をとってからは田舎に引きこもり、日課の書き物などして余生をおくるつもりであった。

 実際それは叶った。このドイリアンは名前をスタークというのだが、これはあまり重要ではない。重要なのは彼が長年行ってきた、地下アイドル活動である。

 新曲『恋するフェアリーテイル』をヴァイキングのコスプレで歌い上げ、感極まって握手会など開催したが、観客が六人しかいない上にそのすべてがシャーロッキアンの称号を有し、石を投げられたために、誰とも握手は叶わなかった。

 ドイリアンとはドリアンのことではない。地下組織ACD48を始めとする、サー・アーサー・コナン・ドイルを愛する会の人間である。

 コナン・ドイルという男のどこに魅了されているかなどとドイリアン自身わからないのだが、たとえば女性の総攻撃に合いそうなジーン・レッキーとの不倫の恋だ。

 これは病に犯された家族を持ったことのない人間には説明しずらいのだが、死ぬことのわかっている伴侶の弱りゆく姿を横目に、支えてくれた人間を愛することはよくある話だ。

 恋は相手のすべてを独占したいという自己中心的な感情によるものだが、愛とは共存できるものである。第三者がいることにより、ドイルの妻と夫の関係はより深まったとも言えるのだ。

 そして見返りを期待せず支えきったジーンという女性もなかなかやるではないか。知り合った当時二十四歳だった彼女は、ようやく結婚できたころには三十三歳になっていた。トゥーイの病気は十年以上に及んだからである。

 周囲からの反発は現在社会の比ではない。離婚が実質できない時代に、引く手あまたのうら若き美しい女性が、熊のような大男を選んだというのだ。

 しかもそのとき、シャーロック・ホームズは滝壺で永遠の眠りについていた。ドイル自身は二度とホームズを復活させる気はなかったのだし、ドイルの社会的な名声や今後の見通しどころか、二人揃って石を投げられる可能性もあったのである。

 ドイリアンは自らの忍耐と日々戦っていた。これはドイリアンへの道を選んだ人間である限り避けられない苦難なのだが、主張すればするほど世界中のシャーロッキアンの目はなぜか冷たくなるのだ。

 たとえば今、目の前にいるウィリアム・シャーロキアーナなどがその筆頭だ。

「どうかされましたか、サー」

 彼は少年の頃、ドイリアンの付き人をしていた。身寄りがないゆえに引き取り、あわよくばドイリアンとしての称号を授けてACDの会長としての座を譲るつもりだったのだ。

 シャーロキアーナは幼いときから、知性も容姿もずば抜けていたため、年一回行われる総選挙で圧勝するのは間違いなかった。

 実際ドイリアンの総人数は公式記録だと221人、イギリス国内だと48人を越えることがなかったため、スターク・ドイリアンは慎重に策を練った。

「――その結果がこれとはな。大誤算だった」

「誰と話しているんですか、サー」

 こちらの話だ、と応じる。ドイリアンは紅茶をすすった。

「おまえに山ほどドイル関連の書籍を買い与えて知識を詰め込んだのに、ガッツリ・ホールズ――ではなく、シャーロック・ホームズの吸引力が強すぎて、結局シャーロキアーナになってしまったことを嘆いているのだよ」

「ドイルももちろん好きですよ」シャーロキアーナはにっこり笑った。「盲信していないだけで」

「……おまえ、ちゃんと友達はいるんだろうな」その性格で、という言葉は飲んだ。

「ご心配なく。最近は新しい友人にシャーロキアンが増えましてね。ウブで可愛くてたまに虐めてしまいますが」

「エリックは元気にしてるのか」

「相変わらず。体はかなり丈夫になりましたがね」

 彼もまたホームジアンになってしまった。ホームジアンというのはある意味シャーロキアーナより悪く、ドイルの存在自体を認めていない。彼らはホームズとワトスン博士だけで足りるのだ。一生その二人だけを見ながら暮らしていけるわけだ。

 ドイリアンは頭を抱え込んだ。

「ああああ! このままではドイリアンは絶滅してしまうぞ。そしてシャーロッキアンたちの数だけが倍増していくのだ。どこかに人材はいないのかっ?」

「枕営業という手もありますが」

 シャーロキアーナは笑いを噛み殺した。父にも等しいこの人は、からかうのには最適だ。

「卑怯にもほどがある」ドイリアンは顔をあげてシャーロキアーナをねめつけた。「そんなことをしてサー・アーサーが喜ぶはずもない。彼は男の中の男だ。私は諦めないぞ。生誕祭の主役はホームズではない。ドイルが最高傑作と信じきって歓喜のあまりペンを投げたナイジェル卿だ!」

「まさかまだ降霊術を試しているんですか」さすがのシャーロキアーナもあきれた。「懲りないなぁ」

 ドイリアンはがっくりとした。息子にまで相手にされないとは。

 血は繋がっていないが、シャーロキアーナの研究心はドイリアンも感服している。願わくはただドイルの存在を忘れないでやってほしい。ただそれだけなのだが。

「別にシャーロックを毛嫌いしているわけではないのだ。私も探偵を君たちの情熱ほどではないにせよ、愛しているからな」ドイリアンは続けた。「ただ、こうも正当に評価されないと自分の仮説にも自信がなくなってくるのが正直なところだ」

「道理ですね。まあ偉人など神聖視するか貶すかの二択しか楽しみかたもありませんので」

「慰めにきたんじゃないのか」

「慰めてるじゃないですか。僕は感謝してますからね。お父さん」

 ドイリアンは少し持ち直した。ウィリアムの整った顔を見上げる。「……本当に?」

「まあ少しは」シャーロキアーナは天を仰いだ。「さて、ワトソニアンの猛烈アピールからも逃げられたことだし、そろそろ帰るかな」

 ドイリアンはしょぼんとした。「もっといてもいいのだよ」

「シェアしている友人ふたりが、待っていますから」シャーロキアーナはにっこりした。「また来ますよ。今後は頻繁に――」

 一人になったドイリアンは、心暖まるひとときを胸に、長椅子に寝転んだ。部屋着の色は茶色のチェック柄である。

 そして彼は、久しぶりにホームズの本を開いた。シャーロキアーナが彼を気づかって、新説も旧説の議論もしなかったからだ。

 ホームズの復活第一作。これがドイルの第二夫人、ジーン・レッキーによるプロットだということを、いずれのシャーロッキアンも知っておくべきである――。


End.


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