【企画】


『シャーロキアンとホームジアン』


 シャーロキアーナは珍しくイライラしていた。電報を受け取った朝からずっとだ。

 シャーロキアンが声をかけようとすると、黙れとばかりに指を一本突きだす。外套を手に取り、そのまま部屋を出てしまった。シャーロキアンは長椅子に横たわり、新聞を顔に伏せているホームジアンに疑問をぶつけた。

「彼は一体どうしたんだい? 僕は何か気にさわることをしただろうか」

「シャーロキアン。俺は聖典の一節を覚え込むのに忙しい。黙って拡大鏡の玩具やインク壺や手製のスクラップ帳で遊んでろ」

 シャーロキアンはううむと唸った。ホームジアンにかなり下に見られている自覚はあったが、拡大鏡やその他の小道具をコレクションしていることを、何故知っているのだろう? シャーロキアーナにさえ秘密にしていたのだが。

「簡単なことだ」ホームジアンは新聞をめくると、髪を掻きあげて不敵に笑った。「拡大鏡は日の光で壁を焼いてしまい焦げが残ってる。インク壺は液漏れの痕が机に。スクラップ帳はノリのついた指と切り抜かれた大量の新聞が証拠さ」

 シャーロキアンは感激した。

「ホームジアン……君ってときどき、すごくかっこいいな。探偵知識に関しては饒舌すぎて厨二病としか思えないときもあるが。出し惜しみしない豊富な知識と、観察力と名のついた揚げ足とりは探偵そのものだ。本当に素晴らしいよ! ところでシャーロキアーナの不機嫌の理由は?」

「それも簡単な――ゴホン。おだてたって、その手にはのらないぞ。だいたい揚げ足をとってるわけではない。俺はつまり、単にその……好きなのだ。探偵、あの人に一歩でも近づきたいがゆえの……その。つまりだな!」

 ポッと頬を染めてホームジアンがデレた。シャーロキアンはその感情をからかわないように気をつけた。ホームジアンは恋をしたばかりの子供のように、好きな相手に噛みつくことがあるのだ。あるいは恋のライバルである自分やシャーロキアーナにも。

「ッ、なんでもない」

 沈黙に堪えきれなくなったのか、人との交流があまり得意でないホームジアンは、また新聞を顔に乗せた。シャーロキアンは熱い気持ちを伝えたくなった。

「それは自然な感情だよ、ホームジアン。好きなものに素直になっている君はとても――とても」

 むらむらする。シャーロキアンは欲望に正直な自分を賞賛した。グッボーイ。データデータデータ。エレメンタリー・マイディア・シャーロッキアン!

「シ、シャーロキアン。なにを」

 痩身に抱きつくと、ホームジアンは身を堅くした。ちらりと新聞の間だから顔をのぞかせる。

 異常な可愛さだ。

「シャーロキアーナほどに君を満足させられることはできないのだろうが、僕は以前から君のことをひそかに」

「や、めっ……、ぅん!」

 合わせた唇から吐く息が、淫猥な熱を持つまでにそう時間はかからなかった。嫌だ嫌だと抵抗しているのは彼特有のポーズだからだ。ん、んっ、と悩ましく体をくねらせる。

「理想の探偵像は捨てなくていい――黙って感じるんだよ。ほら、わだかまりも解けて、すぐ楽になる」

「お、俺が下なのかっ? おかしいだろう。どう考えてもおかしいだろう! 昨日今日生まれてきた小僧め。貴様の、語る、探偵は、だな!」

 はぁっ、はぁっ、とつぐ息がどんどん荒くなり、次第に力の抜けていく下半身をシャーロキアンに与えながら、ホームジアンは拳を口に当てて悶えた。「ずいぶん大きな牡蠣だね。ごきげんよう」ととんでもないことを囁かれるに至っては、抵抗する気力もなくした。

 何も考えられない。コピーからコピーしたような出来の悪い探偵しか知らぬシャーロキアンに、自分の神聖な愛が汚され翻弄されていく。到底受け入れられるものではない。

 だがこいつは、こいつらは違うのだ。人間だろうが無機物だろうが、古代設定だろうが近未来設定であろうが――名前がペ・ニスとア・ヌスだろうが、二人の相棒が手に手をとって冒険に走るだけで、恐るべき脳内変換を使い『ホームズとワトスン』の関係に熱くなることができる。

 シャーロキアンというのは、どこまで即物的なのだ!

 単純で、馬鹿で、ホームズという名前がなければ原型をとどめぬようなものでも、すぐ喜んで体を差し出す。そもそも『シャーロッキアン』という言葉自体が、アメリカ人が好んで使うまがい物であるのだ。探偵はイギリス人なのだから正しくは『ホームジアン』だ。

 シャーロキアーナは自分を知っている。ホームジアンのエベレスト並みのプライドを理解し、尊重し、元の探偵イメージを犯すことなく新解釈を産み出してくれる。それがパスティーシュという本来の探偵物語にそった愛すべき子供たちや、大量の注釈つき聖典になるのだ。

 だがシャーロキアンはホームジアンの許可を待つことなく、はむかう力もむなしくなるような欲望を外側に放射する存在だ。パロディとも呼べないような、探偵と助手の性格を入れ換えたり、どちらかを異性にしてみたり、舞台を大きく置き換えてまで探偵の全体像をむさぼりつくす。

 哀れみではなく、下に見てるのでもなく――ただ、ただ羨ましかった。そしてたまには溺れてみたくなる。深く考えず、彼のいう通り、ただ感じて。

 たくさんの探偵が共存しているその頭の中に、ホームジアン自身の探偵もいるというのなら――。

「……ッん」

「ホームジアン、腰を上げて。はしたなく口を開けてるまだらの紐にもミルクをあげる時間だ。杖で打たれたくないなら、脚を大きく広げ――秘密の洞穴で僕のパイプを呑み込むのだ」

 ――ホームジアンは言うことを聞いた。





 シャーロキアンは、揺さぶられてハッとした。夢だったのか、と横を見れば、ベッドの中でホームジアンが気だるそうに身を起こしている。

「ほら、シャーロキアーナの不機嫌の原因がお出ましだ。俺も留守だといってくれ」

 ドタドタとかけ上がる足音に構わず、ホームジアンはシーツの中に埋もれた。シャーロキアンの精力は、上でも下でも馬なみだとシャーロキアーナに聞いてはいたが、確かに体力も限界だ。ただし階段の数を数える癖だけはやめられなかった。

 シャーロキアンも頑張って数えたが、あいにく突然の来訪者は二段飛ばしで階段を登ってきた。バンッと扉が開け放たれる。

「シャーロキアーナ! シャーロキアーナ? 愛しのシャーロキアーナはどこだね。ま、まさかそこかい? ああ、なんたることだ。私にはいつだって、つれない態度をとるくせに」

 シャーロキアンはビクリと身を縮めた。口髭を蓄えた紳士の顔に見覚えはない。かなり恰幅がよく、身長も低かった。

「シャーロキアーナは外出中ですよ。ホームジアンも留守だと言えと言われました――ええと、貴殿は?」

 ホームジアンはベッドの中でうめいた。紳士の髭は、とたんにショボーンと垂れ下がった。

「さては君が噂のシャーロキアンだね。君とは仲良くなれそうな気がしていたのに、そこで寝ているのはホームジアンか。ずるい。ずるいぞ! 私が口説いてもワトスニアンとしか枕を交わす気はないと言って断ったくせに!」

 とたんにホームジアンが口火をきった。

「ワトスニアンとも寝たことはない。他の誰ともだ。適当なことをいうな」

 シャーロキアンはぎょっとした。今なんと言ったのだ? まさか初めてだったのでは、いやいや初めてであそこまで乱れまい、と顔をのぞきこもうとしたが、どんな表情もうかがえなかった。ただ耳だけが赤い。

 枕に顔を伏せたまま、ホームジアンは言った。

「向こうへ行け、『ワトソニアン』。東洋の島国以外よその国では通用しない発音不良品め。あの国の人間は耳が悪いのか? バリツと武術が同じものだと言い出すくらいだからな」

「ひどい。それはひどいぞ。ジャパニーズイングリッシュは世界的な市民権を得たうえに、昨今では日本語自体が世界にはばたいているのだ。時代は変わった。ゲイシャ、フジヤマ、スキヤキ、オタク、カワイイ、ブッカケ、ワトソン! どうだ。ホームジアン。ん?」

「ぶ、ブッカケ……?」

 シャーロキアンにはついていけなかった。

 ワトソニアンは半分眠りかけているホームジアンを覗きこみ、うっとりとした。

「ああ、寝顔も素敵だ。写真でも撮ったらドイリアンへの嫌がらせに使えるし、ワトスニアンはペンをへし折って悔しがるだろう。シャーロキアン、ちょっと相談したいことがあるから、隣の部屋へ――」

「おしゃべりでジョークも言う上に流行りものに弱く食べ物と女が好きで賭け事に目がない。足し算さえ満足にできず何の役にも立たず体力ばかりのほぼ無能。貴様の得意とするワトソン像を、シャーロキアーナも俺も認めちゃいない。わかったら一人で出ていけ、このでぶっちょ!」

 ホームジアンの雄叫びにワトソニアンは憮然とした。

「邪魔をしたのは悪いと思っているが、そんな風に言われると私の股間の二丁拳銃も火を吹くぞ。いやなに、今度は西部劇に凝っていてね。仕込み杖はさすがに飽きただろうからフェンシングもいいな。懐かしい匂いがするだろう」

「聖典中では計四回の探偵の発砲が、頻繁にためらいもなく撃ってくる貴様の職業はなんだ? 本当に医者なのか? 文筆業か?」

 ワトソニアンは鳩胸を通り越して樽そのものの腹の出っぱりをそらした。

「退役軍医だ。文句あるまい。愛しの探偵を守るためなら、大がかりなアクションもいとわんよ。肥っただの縮んだだのは歳のせいだから気にするな――あっ。あの馬車から降りてきたのは、シャーロキアーナじゃなかろうか!」

「絞めにきたのだろうよ。いいから向こうへ……おい、シャーロキアン」立て板に水の二人のやり取りに口を挟むきっかけを失い、疎外感を感じていたシャーロキアンの腕をホームジアンは引っ張った。

「俺は眠る。キスだ。さあ」

 返事を待たずにちゅっと音を立てた愛らしい接吻を残し、「とても……よかった」とささやいて、壁のほうを向いてしまう。

 シャーロキアンの股間はズキュンときた。

 シャーロキアーナを迎えに出たワトソニアンの後ろを追いかけ、鍵を手にしてしっかりと閉めた。ベッドにもぐり込みぎゅっと抱きつくと、ホームジアンは「うっ」と息をつめた。臀の入口を行き来する隆起がつらい。

 探偵への純潔も、覚悟を決めればいとも簡単に失った。すでに新しく知った世界の扉が開けてしまっているのだ。ホームジアンは脚を擦り合わせた。

 シャーロキアンは外で始まった喧騒をよそに、喘ぎ始めたホームジアンの耳元に囁いた。


「覚え直した聖典を暗誦してくれないか。僕にもう一度聞かせてほしい――君の中に棲む名探偵がどんな風に啼くのかを」


End.


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