【京極堂】


『中禅寺家の秘密(前編)』



昔あるところに、それはそれは怠け者の秋彦という男が居たのだ。



体が弱くて一日中畳に座って本を読み、たまに飼い猫とじゃれたりして、来る日も来る日も知識を蓄えていた。

村の子供に勉強を教えたり。

売れない吃りのもの書きや、躁病の探偵や、熱血漢の岡っ引きと村の難題を解決したり。

中国から渡ってきた堂島という怪しげな男から本を買い付けたり。

秋彦が本当にしたいことは、本を一日中読んでいることで、そのために古書屋を開いていたのだが。

とにかく困ったことに、秋彦の周りには人が耐えず来るものだから、そろそろ女房など本気で探さねばな、と思っていた。

秋彦は仏頂面で愛想が悪く、口も立つため嫁のきてがなかったのだ。

理由はそれだけではない。秋彦は体が弱いため、ほとんど女性を相手にすることができなかった。

珍しく外出して河原で本を読んでいたら、春画や艶本の類だったために疼いてきてしまったのだが。

股の間が酷くむず痒い。本などほおり出して下穿きの上から探ると男根が勃起していた。

指を絡めると固く大きく勃ち上がり、布地を圧迫して今にも弾けそうだ。

独り身とはいえ近所に蕎麦屋もある手前、声を押し殺してひとり遊びに励む訳にもいかぬ。

誰も来ないことをしっかり確認してから、えいやっと外気に曝すとあまりの心地よさに声が漏れた。

喘ぐという厄介な癖がぬけないせいで、いろいろ苦労があったのだろう。

熱心に擦ると、別の生き物のようにうごめく。残念ながらこの生き物を鎮められるのは己の手だけだ。

あっあっアッ、と声を出し、知識の補給とか何とか言い訳をして買った本を引き寄せ、自分の知らぬ熱い世界を覗き見る。

あんあんと叫びながら思う存分扱いた。

背中を反らしていざ放射......!達成感に打ち奮えながら、自分が出した白いものに目をやると。


そこには一匹の白い蛇が居たのだった。


□□□


よもやまさか自分の精液から白蛇が生まれたとは到底思えない。


秋彦は焦ってその蛇に手を伸ばしたが、特に濡れた様子もなく、普通にヌルリとしているだけだ。

そのうち手を抜け出て、蛇は水の中を一目散に泳いで行った。

その夜のことだ。

久しぶりに朝っぱらからやることは済ましたおかげで、熟睡していた秋彦を起こしに誰かが訪ねてきた。

「もし。あの、今晩は。旅の者ですが」

開けるとこれまた大層美しい女が立っている。

これ、河原で落とされました?と渡された本には、

古書店・京極堂の文字。


「――――中身をご覧になりましたか」

「いいえ」

「ならいいのです。この本には呪いがかかっており開いた者は鶴の恩返しを受けられなくなるという」


まあ怖い、と女はころころ笑う。

秋彦はこんな深夜に不思議な女性だなと思ったが、お礼に干菓子をご馳走しましょうと女を招き入れた。


「旅とおっしゃいましたね。今夜泊まる所など決まっているのですか」

「いいえ、まだ」


でしたら泊まってお行きなさい、と積極的になれば良いものを、下心など今夜はないにも関わらず......言い出すことができない。

自分の顔が必要以上に冷徹に見えることはわかりきっている。早く言わないと女は行ってしまうに違いない。

女は膝を擦りつけ、焦れたように自分から云い出した。


「千鶴子と申します。もしよろしければ」

「ええ、是非!」

「......まだ何も云っていません」


こうしてその晩、千鶴子は隣の布団で眠りについた。秋彦は人に寝顔を見られることは嫌いだったが、何故か安心してまた眠りについた。

その翌朝に。

珍しく長いこと寝た秋彦は、何やらおいしそうな匂いに起こされた。

見ると千鶴子が庭にある野菜を使って、料理をしている。


「昨夜のお礼に作りました。お口に合うかどうか」


秋彦は礼を言って、料理に口をつけた。非常に旨い。

ただ、気になることには味噌汁がなかった。

一汁三菜。汁気の物をはないのでしょうか、と云うと、千鶴子は首を傾げた。


「味噌汁?お味噌汁?」

「いや、澄まし汁でもよいのですが」


はて、とつぶやき、では昼飯までに用意をしておくと笑う。秋彦はびっくりした。

こんな美人が家にいつくなんて、何か最近いいことをしたかな?


「今日は朝から隣村まで本の買い付けに行くのですが」

「それは結構。それは好都合!」

「は、何故ですか千鶴子さん?」


いえこちらの話ですわと千鶴子はころころまた笑う。

家に女性が居るというのは良いものだなあと秋彦はドキドキ胸を高鳴らせた。

隣の村まで本を買いに行って、重いのを我慢して体力と相談しつつ、秋彦は甘味屋で休憩した。

もの書きの巽が矢っ張りお雪ちゃんの酌を受けていて、まあ単なるお茶なのだが羨ましい。

お雪ちゃんは結構な美人だと思うが、何故か秋彦の古くからの知人が好みのようである。

巽が団子の小豆を口回りにつけながら、意気揚々とやって来た。


「京極堂。君もそろそろ身を固める人はいないのかね」

「実はカクカクシカジカ家に綺麗な人がいる。どのように口説いて良いものやら見当もつかない」

「う〜ん、旅の人なら気をつけたほうが良いよ。変な病気や癖を持っているかもしれない」


失礼なことを云うなと巽を殴りつけたものだから、岡っ引きの修太郎が止めに入るわ、道楽息子の礼二郎が喧嘩の加勢に入るわ、偉い騒ぎになってしまった。

帰る道すがら秋彦は思っていた。

あんなに美しい人がまだ家にいるわけがない。

本ばかりの汚く小さな家だ。

まだいるわけがない。

戸をそっと開けると、果たしてそこには千鶴子が昼飯を作って待っていた。


「さあ、あなた。たくさんお召しあがりになって」


君を食べてしまいたいなどと、馬鹿な返事を返しそうになる。





秋彦はすっかり千鶴子に惚れていた。






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