【京極堂】


『中禅寺家の一族(解決・中編) 』



「君たちが問題にしているブログの件はさて置くとしよう。小一時間の説教で僕が言いたいことは伝わっただろうから」



 三時間だ。正確には三時間と二十分。蝋燭の数が減り、もはや母さんの手元には一本しかないのだから。

 まず龍彦、と京じいは言った。


「夕紀子さんとの離縁について、僕が彼女に何か口添えしたと――考えたことがあるか」


 父はいきなりのことに体を固くして、僕と母さんの両方を見た。いいえ、と答える。

 母さんは口元を黒い袖で隠した。


「成る程。しかしおまえは僕の能力を過信し過ぎて、昔から人の――――会話の端々にまで気を病み、思考を先読みするところがある。特性を活かして弁護士になったはいいが、形式に添って理論だった話しか日常でもできない。猫にしか言葉の愛情をかけられず、木場修に習った武道のあれこれで人を寄せ付けない術を覚え」


 京じいは母さんを見た。


「幼い頃から一緒に育った夕紀子さんには心を開いたのに、結局言葉足らずで逃げられてしまった」



 呪いだなんだと、人を操る言葉があると思うこと事態が欺瞞だ――――と一喝した。



 ううう、と父が頭を抱え、うなだれる。京じいは夕紀子さん、と。


「はい、お養父さま」

「貴女とこいつは他人だが、息子にとっては父親だ。間を取り持って貰えるよう頼みます」


 わかりました、と母さんは頭を下げた。涼やかなうなじを父が見て、また唸った。

 次に敦夫君、と京じいが言った。

 伯父さん、貴方の娘は奈津子ですようとヘラッと笑う。これが敦夫伯父さんの得意技である。

 しかし目が笑ってない。頭にきてるのは父より伯父の方なのかもしれない。



 夏美の父親だからだ。



「君は龍彦に唆されすぎだ。含むところがあるのかね、うちの息子に」


 京じいと敦夫伯父以外の全員がふぇぇとのけ反った。魂の抜けている父は気づかないが、なかなかの爆弾である。

 敦夫伯父さんは、平然としていた。この人は鳥口のじいさんの血がある分、客観的に京じいを見れるのかもしれない。


「伯父さんはそそのかされても関係はなかったのですよね、店番しているご老人とは。だったらご心配なく。僕は奈津子だけで満足です。たっちゃんの尻は可愛いけど追いませんので」


 勝負あったかに見えた。

 ついでにその一言で僕の父は正気に戻り、苦虫を噛み潰した顔で伯父さんを睨んだ。

 まだ京じいは落ちついた表情を崩さない。


「敦夫君。ご両親の離婚の原因を知っているかね。僕の妹と…………」

「詳しくはわかりませんね。秋雄君がよくわからないでいるのと同じでしょう。親の離婚は子供にとったら関係ないことです。夫婦の問題なのだから」


 伯父さんは努めて冷静さを保って見えたが、珍しく寄せた眉間から汗が垂れていた。



 ――――駄目だ。彼岸へ堕ちるのは時間の問題だ。



「薔薇十字探偵社には下僕と呼ばれる男たちが何人もいて、その数は年々増え続けたのだが」

「榎木津さんはノーマルですよ!ノンケ!バリバリノンケ!」

「知っているさ、そんなこと――――だが、鳥口君は彼らの中ではマスコットだったね。文化系の職業。榎木津の周りは木場修も含めてほとんどが警官上がりで」


 京じいが起爆スイッチを押した。


「彼らに取り合われてたのは敦子じゃないんだ――――君の父上だよ」


 敦夫伯父さんはアガッと口を大きく開けた。人間知らぬ方がいいこともある。



 ――――中禅寺家には秘密の花園が多過ぎるのだ。



 奈津子叔母さんは、あなた、しっかりなさってとその背中を叩いた。

 京じいはそれを見て頷き、全員を見回した。


「関口君との同居はすでに確定している。誰が何と言ってこようと、僕は決めたのだ」


 文句あるか、といった風に手甲を嵌めた手でピンクの携帯を握りしめる。

 夏美がじゃあ、おじいちゃま私の携帯返してぇと言ったが、京じいはまだだ、と知らん顔で僕を見た。

 男性陣しかこの大烏の餌食になってない。





 最後は僕の番か。





 京じいは厳しい口調を緩めないまま、僕に向かってはっきりと言った。


「秋雄。君は乗り気でないと言いながらも夏美の携帯電話を使っていた。自分の携帯に履歴を残さないためだ――――どこにある」


 僕はズボンのポケットから携帯を取り出し、畳を滑らせた。

 じいさんの足に当たるのを見て、全員が息を呑む。


「聞き飽きたね。詭弁はいい加減にしてくれよ、じいさん」


 京じいの足にじゃれついていた雪絵さんが、僕の携帯にむしゃぶりついた。思わず呻く。

 しかし反抗的な態度は崩さない。

 京じいがなんだと言うのだ。僕は沸き上がる怒りに身を震わせ、拳を握った。



 関じいはいつもどんな気持ちで、拝み屋京極堂の言葉を聞いていたのだろう。



 僕や夏美も含めて、中禅寺家の人間は理屈と論理で言い争う家族関係の中で育った。

 対処しきれないほどの知識には、団結して大量の本の山を捜しつつ、京じいという巨大な生きた化石を掘り当てたのだ。

 いまさら理由のわからぬ押し付けや議論に、負けるわけにはいかない。親を越える前にじいさんを越える。



 だっておかしいじゃないか。

 夏美はたしかに考えが浅過ぎた。

 父さんだって偏屈で思考が変だ。

 敦夫伯父さんは頼まれて仕方なくだろう。

 母さんは結構真面目に聞いてる。

 奈津子叔母さんは少し面白がってるけど。

 それぞれに悪意なんてないのだ。



なぜ代表して中禅寺のじいさんがお説教とは名ばかりの憑き物落としを始めるんだ?



 僕が睨みつけたまま立ち上がると、周囲がおおっとどよめいた。

 僕は指をさして、じいさんそれをまず脱げよ、と言った。


「拝み屋だかなんだか知らないが、服装に意味なんてない」

「秋雄」

「この説教にも、問題になってる同居の話にも、ネットに繋げたその馬鹿さ加減にも、これっぽっちの反省の気持ちを感じないな」

「――――秋雄」

「今日僕たちを集めた目的はなんだ。ほかに何かあるんだろう、じいさん?僕は!僕は…………」





 それが知りたいだけだ、と言った。





 辺りが陰りを増し、蝋燭が揺れた。京じいは僕と同じ風に立っている。その口がこう言った。



 秋雄、君も。

 君もやはり知らなかったのかね?と。




 僕が何のことですと叫ぶ前に、じいさんはうなずいた。「わかった。そうか――――罪な男だな、関口君」

 え、と全員が口を揃えた。

 もはや影と同化して、いるのかいないのかさえ忘れられていた関じいのことを、全員が思い出したのだ。

 その薄い薄い存在を意識していたのは、京じいと僕だけだったことに驚く。

 たった十畳の座敷であるのに、ひしめき合ってる互いを忘れるなどと言うことは、普通起こり得ない話である。



 いくら忘れ去られていても、家族の一員なのだ。



 関じいは聞こえているのかいないのか、何処を見ているか判然としない目をして、京じいを見た。


「京極堂」


 その声を聞いた瞬間の京じいの顔を、僕は一生忘れないだろう。

 険しく眉間に寄っていた皺は、すでに顔の一部となっていたのだが、その皺が薄らぎ細められていた目がちょっと見開かれ、閉じていた唇が薄く開いた。



 なんだい関口君、と淡々とした声。

 その言葉を裏切るような優しい目をしている。

しかし、京じいに答えたのは。










 答えたのは、にゃんという音だった。











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