【京極堂】
『映画とあなた』
榎木津が活劇を観たいと云って、私を誘った。
立ち回りの役者の乱闘など観たら、劇場で暴れだすのではと気が気ではない。
「榎さん、どうして僕となんです?可愛い女性と行ったらいいじゃないですか」
「女のコと観るなら恋愛映画に決まってるだろう。ビビンバ・ルーとか!」
「…………真坂と思うけど、ビビアン・リーかい」
あの映画は、妻の雪江がどうしても観たいというので、付き合って観たが。長すぎるので途中で寝てしまった。
戦中の外国映画の規制により、当時は観られなかったのだが。
「活動写真のチラシや切符を持って帰ったら?雪ちゃん好きだろこういうの」
「ええ。――――ねえ榎さん」
観劇切符を買おうとして、躊躇いがちに声をかける。
『風と共に去りぬ』のポスターが貼ってあるのを指差した。
「こっちにしませんか」
「ヤダと云ったろう」
「可愛い女性だよ、美人だよ。もう一度観たいと思ってたんだ。面白かったですよ」
実は最初と最後しか覚えてない。
榎木津はううんと唸って、展示の看板を見た。迷ってる感じだ。
よし、もうひと押し。
「こっちにしてくれたら、そうですね。京極堂の家で肩揉みするから」
「関君!君にしてはやけに熱心で、押しが強いじゃないか。よし、そっちにしてもいい」
ほっと溜息を吐いた。活劇など観て、榎木津が黙っておとなしくしてるわけがない。
何としてでも変更させる必要があった。
まあ、これなら彼も長さに飽きて寝る可能性が高い気がする。ほっといて大丈夫だろう。
榎木津は劇場にはいって、真ん中の席についた。珍しい。何時もなら一番前に座るのに。
直ぐに映写機の廻る音がし始める。いきなり叫ぶんじゃないかと、はらはらしながら隣を盗み見た。
榎木津は腕を組んで普通にしていたが、端から親父が「よっ。待ってましたぜ、ビビちゃん!」と叫んだ。
場内で洩れる笑い。
あれをやるのが榎木津なら、隣で縮こまって頭を下げてる奥さんは私になっていたところだ。
こそっと耳打ちした。
「榎さん、あんなのやらないでくださいよ。頼みますから」
「うん」
素直さが不気味だ。
薄暗がりで端正な美貌の横顔が、明かりに照らされている。
踏ん反り返ってはいるが、陰影のくっきりした鼻の形は完璧だ。
こっちを見て、くすっと笑った。「惚れるなよ、猿。ほら、前観て」
――――何と云ったんだ?今。
座り直して改めて観ると、映画の迫力に圧倒される。
(日本は勝てないわけだ)と納得しつつ、規模の大きな話と広大なタラの土地を、夢中になって鑑賞した。
京極堂と来てもよかったな。
売り子から飴を買って、もう一度榎木津を見ると、矢ッ張り寝ていた。勿体ない。
まあ私も人のことが云えた義理ではないのだが。
休憩を幾度か挟んでも、かなりの長編だった。フイルムを変え損ねて画面が止まると野次が飛ぶ。
終盤になって漸く榎木津が伸びをした。ハンケチーフを握りしめる御婦人を見つつ、主人公スカーレットの有名な台詞で劇は幕を閉じる。
帰り支度を始める者と、席で感激して浸っている者が半々だ。私もちょっと心を打たれて、動きたくない感じだった。
するとその時。榎木津が斜め前の女性の肩を叩いた。
涙を通して見えたらしい探偵の容姿は、男らしいレッド・バトラーの顔とは似ても似つかない。
女性は一瞬息を呑んだ。こんな綺麗な男性が私に何の用かしら?という表情をする。
榎木津は云った。
「君。その男を追っかけるのはよしなさい」
「は」
「だからだね。この物語に感化されて、その青瓢箪そっくりの男を付け回すのはやめたほうがいいと云ってるんだ」
「榎さん、出ますよ」私は慌てた。「す、すみません。この人ちょっと」
おかしいので、とつい本当のことを云いそうになる。
席で振り返ったまま固まって動かない彼女と、視えるらしいものを視ながら説教をする榎木津。
徐々に意味を捉える女性の顔が、赤く染まった。
間に挟まれて逃げ出したくなる。後ろから声をかけられた。「あら?先生じゃないですか。それに」
「いいからもう奴はほっときなさい。男は他にもいるぞ」
「何云ってるの!関係ないでしょう、貴方にはっ」
偶然出会った中禅寺敦子の手を借りて、榎木津を劇場の外に出した。
油断も隙もあったものじゃない。
あっ。やあと笑う探偵を見て、敦子もくすくすと笑い声を上げた。
「榎木津さんもまた観に来たんですね」
「ま、また?またってどういう意味だい」と聴いた。
前に鳥口と榎木津と三人で観たのだが、よかったので再度一人で観に来たと云う。
「一番前でないと『視える』から画面が観れないっておっしゃってたのに」
そういえば以前そんなことを云ってた気もする。早目に云ってくれ。
敦子と三人でお茶をした帰り、榎さん活劇にしなくてごめんと云うと。
にんまりして「肩揉み!肩揉み!」と歌って、ひとりはしゃいでいた。
矢ッ張り次はひとりで行ってくれ。
prev | next