【京極堂】
『選択』(京極堂)
「崖っぷちに僕と千鶴さんがぶら下がっていたとして」
君、どちらを先に助ける?と関口が聴いた。
私は和綴じの本の頁を撫でて、ため息を吐く。
「あれかい。『僕は力仕事はしない』とか、『どちらも選べないから一緒に落ちてやる』とか云って欲しいのかい」
「まあ、そういうのも話の種としては面白いんだが。本当のところどっちだい」
君こそどっちだねと聴いた。
関口は躊躇いもなく一言。
雪絵だな。
私は頷いた。「そうだろうと思ったよ」
「理由は単純だ」関口は云った。「君はそれで助かっても、僕を赦さないだろう」
私は小さく笑って、縁側を見た。
ひっそりと日が暮れる様子に、息を詰めている。
「店は閉めたし、今日はもう誰も訪ねて来ない」
私の声に再度笑みを見せ、「どっちだい」と聴いた。
風鈴がりんと鳴る。
千鶴子だ。
関口は唐突に転がって、榎木津の擁に横になった。
天井を眺めて、腕を横に伸ばし。
「よかった。君を嫌って仕舞うところだった」
嘘をつけ。と本を置いた。
畳に手をついて隣に寝転ぶ。関口は唸り。
「女房がいて幸せだ」
ああ、と応え。僕がいるのはどうなんだい、と呟いた。
関口は視線をさまよわせ、私の顔を捕らえると、額に指先で触れた。
「いなくて堪えられないのは君だけだ」
君に詰られたくないので雪絵を先に助けるが。
もし、京極堂。その直後に君が落ちたら。
「僕もそう永いこと生きちゃいないだろう」
私は苦笑した。
では、
「君が僕の手を握るまで、必死の形相でしがみついているよ」
りん。
関口が躯を返して、覆いかぶさった。
冷たい唇の感触と、掴んだ手の温もりが告げる。
君を置いてはいかないと。
(必死の形相......?)
(心配要らんよ。引き抜いた帯で君の脚を捕らえておこう)
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