【京極堂】
『約束』(久保)
私の愛しい人は、私を見てはいないのだ。
弱く装い横目で捕らえ、本当は計算高く、冷酷で、どうやらそんなに苦しそうでもないのに。
「傲慢ですね」
と云ったら、少し笑った擁にさえ見えた。何がですか、と聞いてくる。
彼と私はまるで違うが。わかった擁に笑む口元が、震えて言葉を絞り出した。
「劣等感だ」
何がですか、とは返せなかった。
貴方は頭がいいと呟くと、今度は泣きそうに顔を歪める。
「わかる。僕は逸れを支えに生きた時期がある」
わかるものか。この男にはわからない。今、苦しい者ではないからだ。
堕としてみたくなる。
底まで堕ちてくれますか、と云う代わりに、言葉をかけてみた。
彼の本当に必要としている男の擁に、大量に言葉を紡ぐ。
彼は安堵の笑みを見せ、私の手を掴もうとした。
「代わりでもかまわない」
誰の、とは云わなかった。
私は頷いて、手袋を取った。一緒に寝ましょう、と差し出す。
握りかけたら、ふうと視線を外した。
「眠れないんだ。いま、寝ないといけないのに」
私はね、久保君。と目を瞑る。
「頼るふりでいて、本音は頼られたいのだ」
また笑い。何故笑うのか。
「あの男は、私を護ることで自分を定義づけているから」
君はひとりで生きてくれ。と続けて、こちらを真っ直ぐに見た。
無理をして笑う声が、胸に痛い。
「人を支えたり、抱きしめるのは後にしてくれ」
逸れは拒絶ですか、と聞いた。
声もたてずに泣いてしまう。私もつられて涙がでた。
「同情や、責任感でつき合ってしまったら、同じことになる」
私は君が立っててくれぬことには、その手に触れてはいけないのだ。と云った。
先にそうしたのは、どちらか定かでないが。
「頼ったり頼られたり、したくはないんだ」
弱りきっているように見えた。
苦しくて、笑うのも泣くのも怒るのにも、疲れて見えた。
立てない、と泣いている擁だった。
逸れは真実だったのだろう。
私も疲れ、引き上げたいと思った。
「その手を捕れない」
何故、と聞いた。
無理をして笑う。いっそ泣いて縋ってくれればいいのだが。
「距離が近すぎる。私は傷つけられたくない」
優しくします、と云った。
「私は同情されたくない」
甘えさせてあげます、と云った。
「私は頼りたくはない」
逸れに替わりにしたくはない、と。
私はため息をついて、微笑んだ。
では、と。
「貴方を欲っしているその人に、甘えてあげてください。関口さん」
それだけで、彼を幸せにできるから。
いつまでも残酷な貴方の、
優しさで生きられるから。
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