【京極堂】
『帰還』
私はためらうことなく云える。
いい人間は還ってこれなかった。
弱くても、いい人である必要のない人間だけが還ってきた。
生きるための熾烈な争いを、ここに書くことはない。
優しさに触れた。その直後には誰かが死に、あとには安堵がのこる。
自分もいずれはそちらに逝けるからだ。しかしながら、
帰ってきた。
恐らく思う以上に私は死神に嫌われていたらしいのだ。
凍えず、飢えることなく、目の前だけ見る必要もない場所へ。
往きかけては連れ出された。
「戻った」
ああ、と気のない返事をする。
こちらを見ないで本を注視した。
「中禅寺」
うん、まだ続きがあるから待てと云う。
頁をめくる指先が震えていた。
汚れた姿に自覚はあったが、後ろから抱き着いた。
「ただいま」
ああ、とため息の擁に云った。
「おかえり、関口君」
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