【事件簿】


『戦場のワトスン』




 惨劇のあと、待っているのは医師たちの苦行だ。

 とりあえず息をしてる者を集め、肉体を切り始める。手際よくすませても大半は痛みのショックで死ぬ。ためらっていれば助かる命が消えていく。どちらを見ても足がない手がない耳がない。

 もはや驚くこともないほど当たり前の光景だ。胃に詰めたものを丸ごと吐き出して冷静さを保つ。酒は消毒に必要だった。痛み止めの役割を果たすモルヒネと、どちらを残すべきだろう。

 熱帯地方では重要な選択だ。感染病でも多くの死者が出る。

 目の前の男は心配いらない。膝の骨が割れて突き出ているだけだ。神経への負担を考えず、どちらもたっぷり使用できた。してやれることは他にない。致命傷でもない。またすぐに駆り出されるだろう。

 脇のベッドで今朝死んだ男に打つ予定だった。無駄にはしない。その兵士は爆風に煽られたせいで運ばれたのだが。焼けた身体を裏返し、触診しようと患部を見ただけで駄目だとわかった。虚ろな瞳が私を眺める。痛みも意識もないだろうと思いたい。頭の後ろが髪ごと剥がれ、はみ出た中身が脈だけ打っていたのだ。

 ひどい痛みを感じるといった。正直にいってくれ、と涙をこぼす。今夜には楽になるよ、とささやいた。男が聞きたがっているのは回復への希望ではなく、苦痛の終わりだからだ。

 私は戦場では嘘を上手くついた。

 ひとに与えた麻薬を自分の腕に打つ。現実感をなくして仕事に集中した。医者がひとり倒れると、一日に助かる兵士の数が百人単位で減る。自分を見失わないでいるためには、やむを得なかった。

 流れ弾に当たる確率は低い。戦場からここまで遠いのだ。

 首を吊るか手首を切るか、明日は実行しようと考えるのだが。肉体の疲労と栄養失調で気絶してしまい、そのまま眠りにつく。繰り返しだ。首に張り付いて黒くなった誰かの血を洗い、朝から晩まで運ばれてくる者の容態を診る日々。

 配給のまずい食事を機械のように咀嚼する。肌を暑さにただれさせながら、涼しい祖国の気候を思い出した。


 黄色い霧が恋しい。


 ある日。若い、まだ少年といってもいい身体がほうり込まれた。悪い咳。持病だろう。ここにいればいずれほかの病も併発する。彼に必要なのはきちんとした人間の食事と休養だけだと上官に訴えたが、耳を貸さない。

 銃をとれと少年にいって、痩せ細った手首を鞭で叩く。カッと頬が熱くなる。

 国に帰してやれと訴えるが私を見て鼻で笑う。つかみ掛かった。テントや機材や担架を壊して共に絡み合い、外に転がり出る。自分のほうが体格がいいにもかかわらず卑怯にも武器を手放さない。

「ドクター」

 止めに入ろうとする看護婦と患者の顔が、視界をかすめる。

「ドクター・ワトスン!」

 駆けつけた兵士数名が、銃を構えた。おおごとになって憤りを抑え切れないのか、相手の顔が赤く染まる。

「小汚い医者め、軍法会議にかけるぞ! 私を誰だと」

「知らないな。腐って汚らしいのは貴君の腹だろう」

 そこに入っているのと同じ食事を与えてやれと拳を握った。それから先はよく覚えていない。目覚めると、自分も患者になっていた。

 てっきり負けたかと唇を噛んだが勝ったらしい。気絶した上官を見て私を後ろから棒で殴った兵士は、仲間から袋だたきにされた。あの将校は汚職と暴力で悪名高い男だっだのだ。

 一発で仕留めた技を教えてくれと、ベッドに男たちがつめ寄る。なかには同僚の医師もいた。無我夢中で記憶にないと答えた。私は先のことで頭がいっぱいだったのだ。味方の士官を殴ってしまった。

 近日中に軍法会議にかけられる。おそらく医師免許剥奪の上帰国か、よくて銃殺処分だ。後者の場合は恩赦であった。軍隊所属の年金と医者としての未来を奪わたら、死刑宣告と替わりない。

 数日後に、軍法会議からは逃れたことを知った。その場にいた全員が口をつぐんだのだ。看護婦、患者、兵士、将校本人すら。

 喜ぶのは早い。理由はのちにわかった。

 第三の道で、私は苦境に陥った。青年は帰国できた。代わりに私は将校に腕っぷしを見出だされて、「前線に同行せよ」と正式に命令された。

 手っ取り早い復讐だった。

 戦地におもむくと、また違った地獄が待っている。今度は仕事がない。死人に出会う数が圧倒的に増えたのだ。手首や喉に触れようにも、掴んだそこはバラバラの足首だった。治療している間中、銃弾にさらされた。

 地面が突然激しく揺れても、煙草や葉巻を吸い続ける。最後の一服を暖炉のそばで吸いたいと思うのは、贅沢だった。爆発の影響で隣の兵士が尻もちをついた。その腕を引いて、助けおこそうとした瞬間。足に感じた鋭い衝撃と痛み。


 私の軍隊生活は終りを告げた。






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