第八節 踊るピエロに嗤笑を贈るV


 成果報告は翔ちゃんと諏佐くんがしてくれるとのことで、彼らに勧められるまま、わたしは体育館の女子トイレで手を洗っていた。すっ転んだ時に手は砂で汚れたし、所々擦り傷もあるし、焼け爛れた左手のガーゼも貼り替え時だったし、とにかく衛生面を鑑みての行動である。


「うへえ、沁みる……めちゃくちゃ痛いなこれ。知ってたけど」


 というかエグいわ左手。詳しく説明するのも憚られるようなビジュアルで、できれば直視したくないレベル。元々スプラッター映画も好きじゃないし得意じゃないし、こんなモノをあの子たちに見せてしまったことには正直落ち込む。康くんを守るために無我夢中で犠牲にした訳だけど、消える瞬間さえこちらを傷つけてくるバケモノは本当にえげつないと思う。

 戻れば康くんがガーゼと包帯を巻き直してくれるので、しっかり洗って清潔なタオルで水気を取る。……うん、こんなもんかな。そろそろ戻ろうかと思った時、キィ、と女子トイレの戸が開く音がした。顔を上げると、鏡にはわたしを睨みつける通り魔の姿が映り込んでいる。まったく、面倒なことになりそうだ。流し台にタオルをかけて振り向き、暇潰しにスマホを取り出した。


「……」
「……ちょっと」
「ん? 何、メイちゃん?」
「私が目の前に居るのにスマホ弄るとかなんなの? 失礼だって思わないワケ?」
「えー? 別に、全然思わないけど」
「……ふーん。それがアンタの本性ってコト?」
「本性? なんのことだか。……というか、年上相手に敬語を使わない君に礼儀を説かれるとは思わなかったなぁ」
「うるさい! 親でもない癖に偉そうにするな!」


 煽りに煽ってせせら笑えば、耐えかねたらしい通り魔は目くじらを立てながら声を荒らげた。そして乱暴にわたしの左手を掴むと「きったない手」吐き捨てるように呟き、何をとち狂ったか焼け爛れてぐずぐずになった部分へ爪を立てた。


「いッ……!」
「大体、なんでアンタ此処に居るの。私が欲しいってお願いしたのは皆だけで、何処の誰かも知らない年増(ババア)なんかお呼びじゃないんだけど」


 やばいこれ肉が抉れてるんじゃなかろうか。このクソガキどれだけわたしの身体に傷をつければ気が済むんだ? ちくしょうふざけんなこのクソガキ死ね、ほんと死ね。痛みによる涙がじわじわ浮かぶ中、耐えようと思っても自然と顔が歪んでしまう。そんなわたしに通り魔は愉悦を滲ませて笑い、ますます力を込めて爪を立てた。


「此処は私の、私のための世界なんだから。私が大好きな皆とずっと一緒にいるための場所。そのためにあの人にお願いして作った場所。此処には私が好きなものだけがあればいい。私以外の女の子は要らない」


 ぐちゅりと左手から嫌な音が聞こえて。爪が刺さった場所から血が滲み、溢れて、細かなタイルの床に滴り落ちていく。あの時と同じく通り魔と二人きり、一方的に傷つけられる状況に冷や汗が流れた。……まったく、ナイフ片手にマウント取られている訳じゃないのに、トラウマというものは非常に難儀なものだ。他人事のように内心ひとりごちて苦笑する。


「さっさとバケモノに襲われて死ねばいい。私たちの邪魔なんだって自覚持ってよ」


 硬直するわたしに、厭らしく通り魔が笑った。


「──ふ」
「な……なんで笑っ」
「く、ふふ、ひひ、ひひひっ! はははははは! 私『たち』? 私『たち』って言った? 何言ってんのさ、私『だけ』の間違いでしょー? 頭の中スッカラカンの伽藍堂なんじゃないの? ほんっとお馬鹿だねぇ、君!」


 ああ、この場に居るのがわたしたちだけで良かった! 今度は我慢する必要もなく、外面を気にする理由もなく、思うがまま腹が捩れるほどゲラゲラ笑う。ついでに折角だからと通り魔を貶し倒しているけれど、当の本人はと言うと、ぎょっと目を見開いてわたしを見ていた。

 はは、そっかそっか、驚いてるんだ? まあねぇ、そうでしょうとも。だってわたし、基本的には善良で人畜無害なお姉さん(笑)でしたし? こんなところ、今まで一度だって見せたことなかったもんねー? そりゃ驚くよねぇ。そんなのわたしが知ったこっちゃないけど!


「本当にあの子たちがお前の味方だと思ってるの? そんな訳ないでしょ。人目も気にせず全員の目の前でわたしに『死ね』って言うような人間を誰が好いて? 誰が信じてくれるって? 本当にそんなこと思ってんの? おめでたい頭してるんだねぇ、馬鹿すぎて笑っちゃう!」
「わ、私が何時、皆の前で」
「えー? 言ったじゃん、もう忘れちゃったの? 『校舎は危ないんだから狛枝さん一人で行け』ってさ。それ、遠回しに『死ね』って言ってるのと同じだからね? 体育館に居る子たち、みーんなそういう意味だって捉えてるみたいだけど。あの後の探索で心配してもらっちゃった☆」
「あ……!」
「いやーもうびっくりしたよね。君、そんなに馬鹿だったんだって。あの時もさぁ、君を諭して説き伏せたけど、本当は笑いたくて仕方なかったんだよ? 良くも堪えたものだと思わない?」


 今更気付いたのか、通り魔の顔が一気に青ざめた。……ふふ、やっぱり馬鹿を追い詰めてこき下ろすのって楽しいなぁ! 頬が緩んじゃって仕方ないや。愉悦。愉悦。形勢逆転。うーん、あんまりやり過ぎちゃいけないのはわかってるけど、フラストレーション溜めすぎるのも良くないもんね? 大人気ないって? こっちは死人ですよ? 被害者にそんな譲歩ある訳ないじゃないですかやだー。


「ねぇ、メイちゃん。わたしと君と、あの子たちはどっちを信じてくれるかな?」
「そ、んなの」
「本当に此処が君の世界だって、君の都合が良いようにできている世界だって言うなら、あの子たちは君の味方になってくれるだろうね? でも、本当にそうなのかなぁ。君に『死ね』って言われたわたしを心配してくれるあの子たちは、君の味方になってくれるのかなぁ」
「っ」
「そもそもの話。此処を出たがってるあの子たちは、脱出に協力的なわたしと非協力的な君、どっちを好意的に思うんだろうね。……なんて、そんなの言わなくたって馬鹿でもわかるか」


 にこにこしながら畳かければ、ようやく自分の頭の足らなさを自覚したらしい。口元をスマホで隠して笑みを深めるわたしとは対照的に、通り魔は明らかに焦り、危機を感じている様子。いやはや、これからどう動いてくれるのか楽しみで仕方ないですねぇ!(ゲス顔)


「手、離してくれる?」
「う……」
「あーあ。ひっどいなぁ、爪の痕がしっかり十個もついちゃってるし、血も出ちゃってるじゃん。困ったなー、これから康くんが包帯を巻き直してくれるのに誤魔化せるかなぁ」
「!!」
「……ま、わたしは先に戻るけど、せいぜい頭を使いなよ。わたしが適当にあげつらった他にも、怪しまれたり信用を失うようなことは山ほどしてるみたいだし? だぁい好きな皆の信用を取り戻せるように頑張ってね、この人殺し」
「なっ──」


 スマホをポケットにしまい、流しにかけてあったタオルで左手を抑えながら女子トイレを出る。動揺する通り魔の脇をすり抜ける際、囁いた最後の一言で表情は驚愕と恐怖に染まった。ああ、堪らないな。なんて。自分の歪みきった愉悦に気付きながらも良しと認め、体育館に居る子たちに聞こえないよう声を潜めて笑った。

 ……っと、いかんいかん。そろそろ戻らないと変な気を遣わせちゃうかも。頬の筋肉を引き締めて表情を作り直し、体育館の戸を開けた。相変わらず体育館の中だけは十分過ぎるくらい明るい。チカチカする目を慣らしていれば、わたしに気付いた康くんが手招きするのが見えて。じんわりと身体の芯からあたたかくなる感覚に、自然と柔らかい微笑がこぼれた。


「透さん!」
「わ、由孝くん? どうしたの?」
「次の探索ではオレが! 必ず! お守りします!!」
「海常さんが来てくれるんだ? ありがとう、よろしくね。……由孝くんのこと、頼りにしてる」
「!! はい!!」
「でも今は笠松くんが物凄い顔してるから、一旦海常さんのところに戻ってあげてね」
「くっ、透さんがそう言うなら……」


 嬉嬉として報告? 宣言? に来てくれた由孝くん。そっか、次は海常なんだ。先程の桐皇・誠凛連合チームに比べれば幾分楽そうで良かった。いや、桐皇も誠凛も、多分一校ずつであればあんな大事故にならなかったハズなんだよ。連合チームにしちゃったから大惨事が発生しちゃっただけで。……多分。

 海常はなんだかんだ軽率な行動を取ったりしなさそうだし、駄目って言ったことはちゃんと守ってくれそうな印象がある。少し心配なのはやっぱり黄瀬くん、由孝くんかな。今まで話した感じなら大丈夫な気がするけど、万が一の時は笠松くんにビシッと決めてもらおう。

 取り敢えず今は笠松くんが由孝くんを睨んでいるので、良い子に戻って頂戴ね。何か話の途中だったとか、恐らくそんな感じじゃなかろうか。促せばきちんと頷いてくれるあたり、由孝くんは素直な子だなぁと思う。その調子で笠松くんや小堀くんに迷惑をかけないであげてくれと願うのは……うん、難しいのかなぁ……。


「……透さん、血が!」
「うわーっ!? 由孝くんシーッ!!」


 余計なことを考えていると、由孝くんが目敏くタオルに染みた血に気付き、焦った様子で声を上げた。その声が思ったより大きく響いて、しかも傷の状態まで見られてしまったものだから、わたしは慌てて彼の口止めをする。


「ごめん、他の子たちには言わないで」
「でも、これ……」
「お願い由孝くん」


 きっと彼は気付いてしまったのだろう。左手に残った爪の痕が誰によるもので、誰がわたしを傷つけたのか。でも、今それを他の子たちに言いふらされちゃ困るんだ。アイツを疑ってわたしの味方になってくれるだけなら良いけど、わたしをダシに使って他の子たちがアイツに手を出すなんて、絶対に嫌。

 本音を隠しつつおねだりすれば、優しい彼は戸惑いながらも了承してくれた。ぎゅっと眉根を寄せて難しい顔をしている由孝くんには申し訳ないと思うが、君たちはアイツへの不信感を持っていてくれるだけで構わない。──問い詰めたりなんだり、そういうことは被害者である死人(わたし)だけに許された権利だ。他の誰にも渡さない。


「……ごめんね」
「透さん、」
「またあとで」


 何か言いたげな由孝くんと別れ、足早に霧崎ブースに向かう。……康くんのこと随分待たせちゃったな。手当てしてもらう分際でお待たせしちゃってほんっとにごめんねぇ!! 申し訳なさのあまり合流した時はスライディング土下座をする勢いで謝った。だがしかし、そんなわたしに対して康くんはいたく冷静でありまして。


「謝らなくていいから早く手を出してくれ」
「ア、ハイ」
「うわ。ホントに血ィ出てるじゃん」
「しかもこれ、見た感じ爪が刺さった痕でしょ? ……綺麗に十個ってことは、アイツか」
「ご明察。……あ、ねぇ誰かイヤホン持ってない?」
「オレ持ってる」
「面白いもの聞かせてあげる。……ごめん、イヤホンジャック差してもらっていい? そんでイヤホンつけて待ってて」
「? おう」
「ザキ、半分貸してー」
「ん」


 黙々と処置をしてくれる康くんに感謝しつつ、スマホを取り出してイヤホンの有無を問うた。持っていたのは弘くんで、折角だからとそのまま彼に『面白いもの』を聞かせることに。便乗した一哉くんと二人、イヤホンを装着したのを確認してからスマホを操作し、録ったばかりの音声を再生する。──と、不思議そうにしていた彼らの様子は一変して。


「……二人は何を聞いているんだ?」
「女子トイレでわたしとあの子が話したコト」
「へぇ」
「あとで康くんと健ちゃんにも聞かせてあげるよ」
「楽しみにしてる」
「……なぁ透、これ、どうやって気付かれずに録音したんだ?」
「え? 目の前で堂々と撮りましたが何か?」
「マジで?」
「マジだよ」
「ファーwww」
「実は録音じゃなく、録画モードだったりして」
「え、見る見る。最初っから見直させてよ」
「いいよー」
「オレにも見せろ」
「いいよー」


 内容が内容なので小声で話しながら、さらっと会話に混じった報告会終わりの花ちゃんにもオーケーを出した。でも今は一哉くんたちが見てるので、もうちょっと待っててプリーズ。食い入るようにスマホを見つめる二人は眉根を寄せていて、弘くんなんかは露骨に不愉快そうな顔をしている。あり? 面白くなかったかな。……それとも、アイツに好かれてるのが嫌だったとか? わたしに感化されたせいか、なんだかんだ通り魔に厳しい面子だし、その可能性も高そうだ。


「透」
「はいはい?」
「見つけてきたカードの意味はわかってんのか?」
「え? んー……」


 だし抜けに口を開いた花ちゃんに、校庭の倉庫で見つかったカードを思い出す。


『可愛い可愛いクックロビン。
 君にこそ雀の心臓を啄む資格がある』


 白地の紙に鳥のイラストをあしらったカードは、相変わらずよくふわふわした内容だった。見つけた時に翔ちゃんと吟味できれば何かしらわかったかもしれないけど、直後に大乱闘が始まってしまったので、結局わたしはわからずじまい。でも、花ちゃんがわざわざ訊いてくるってことは……。


「花ちゃんはわかったの?」
「当たり前だろ」
「さっすが花ちゃん、頼もしい頭脳をお持ちでいらっしゃる。浅学なわたしにもわかるように教えてくださいお願いします」
「自分を下げつつ花宮を持ち上げるあたり、透さんわかってるよね」
「なんだろうな、これが社畜根性というヤツか?」


 おうこら康くん、ばっちり聞こえてるからな??


「お前のことだ」
「……はい?」
「イギリスのマザーグースにあるんだよ、『クックロビンを殺したのは雀』ってのがな」
「正確には雀の羽を使った矢だって話だけど──」
「そこは今回気にしなくていい。赤司や今吉さんも関係ないと見てる」
「……ふむ、奇しくも関係性は一致するな。被害者と加害者、透さんと澤部に」
「……あ、ホントだ」
「サロメは澤部、ヨカナーンはオレたち、クックロビンは透。コレで上手く割り振られてるだろ」
「はえー。やっぱ知識があるって凄いねぇ」


 花ちゃんの解説と康くんの指摘でようやく納得する。ははあ、なるほど。そうやって聞くと確かにクックロビンはわたしかなーって気がしてくる。知識の幅が広い花ちゃんに敬服。和成くん風に言うならあいりすぺくちゅー。


「……できたぞ」
「ありがと、助かります。綺麗に巻いてくれたから、お陰で次も頑張れそう」
「危なくなったらちゃんと海常を囮にするんだぞ」
「海常さんを囮としか考えてない康くん容赦なさすぎてワロタ」



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