第六節 託宣のトロイメライU


 子供のように大泣きしたわたしを森山くんは咎めることなく、ただ静かに寄り添ってくれた。やがて慟哭がすすり泣きに変わる頃には、すっかり体力を奪われ疲弊しきっていた。

 あまりの疲労感で気を抜けば今にも眠ってしまいかねないほど瞼が重く、しかしながら三度(みたび)アレを体験する羽目になるのでは、という恐れから起きていることに必死だった。そんなわたしに気付くと森山くんは素敵な笑顔で「手を繋いで膝枕なんてどうですか?」と言い出し、黄瀬くんまで「いいんじゃないッスか? それなら安心できるでしょ」などと宣う始末。あれよあれよと二人がかりで寝かしつけられ、わたしは眠りについた──はずだった。


「どういうこっちゃなのだよ」


 微睡んでいたと思ったら、何故かわたしは一人で体育倉庫に佇んでいた。……な、何を言っているかわからねーと思うが以下略。森山くんも黄瀬くんも居ないし、先程まで感じていた疲労感も瞼の腫れぼったさも感じない。なのに不思議と右手はあたたかかった。眠る直前に森山くんと繋いだ方の手だ。どうしてだろうと思ったけれど、もしかして。


「これも夢?」
「ご名答」
「!?」


 知らない声の不意打ちに身体が震える。バッと声がした方を見ると、足を組んで跳び箱へ腰掛けている男性の姿があった。浅黒い肌に黒髪黒目、黒い服という全身黒ずくめ。年齢はわたしと同じか少し上くらいの印象で、黄瀬くんに並ぶ綺麗な容姿だ。……思わず一瞬見惚れてしまったのはお目こぼし願いたい。


「……どちら様でしょうか」
「生憎と名前は持たない──が、そうさな。サロメ、ヨカナーンと来ればエロドとでも言うべきか?」
「エロド?」
「サロメに魅せられヨカナーンの首を与えた者だ」
「あ、王様か」
「理解できたなら何より」
「……え、じゃあ澤部メイに惚れてるんです?」
「違う。断じて違う」


 引き気味に問いかけると、間髪おかずに否定した名乗らない男性……取り敢えずエロドさんでいいか。エロドさんだけど、それじゃどうして王様だなんて言い出したんだこの人。胡乱な目をするわたしに彼はニヤリと笑って言葉を続けた。


「要求に応えた小娘に望みのモノを与える者。……エロドと名乗るに相応しいだろう?」
「じゃあ、貴方がわたしを殺すよう言ったってこと?」
「半分半分だな。オレは生贄を求めたが、お前を生贄にしろとは言ってない」
「……はあ、そっすか」


 エロドさんとクソアマが接触し、生贄を求めた。クソアマは欲しいモノを手に入れる為、わたしをエロドさんへの生贄として殺した。そして要求に応えたクソアマにエロドさんがヨカナーンを与えた、と。なるほどなるほど、流れはわかった。しかしそうなると気になることが一つ。


「エロドさん何者?」
「さて、何だと思う?」
「……見た目は人間っぽいけど」
「すべて終わったら種明かしをしてやる。楽しみにするといい」
「……わー、それは楽しみだなー」
「棒読みか貴様」


 それ以外にどう反応しろと。微妙な顔をすれば、「ところで」と長い足を組み換えてエロドさんが切り出した。


「お前は小娘を殺さないのか?」
「……は? エロドさんアレの味方じゃないの?」
「ハッ、オレが小娘の味方ならお前を此処へ連れてくるはずないだろうが。オレはオレが愉しいと思ったことをするだけだ」


 厭らしい笑みを浮かべるエロドさんに思いっきり顔を顰めた。……なんだ、ただの愉快犯かよコイツ。愉快犯とキチガイが組み合わさるとマジでロクなことにならねぇんだな。冷たい視線を向ければ彼はますます笑みを深めるので、わたしの中でマゾヒスト気質の愉快犯というレッテルを貼っておいた。異論は認めない。


「まあ、停滞を選ぶもまた一つの道だ。……お前にとってはそちらの方が良い選択かもしれないな」
「は?」
「お前が何も決めなければ──否、『決めないこと』を決めるのならば、この世界は永久に何も変わらない。停滞し、劣化こそすれど、好転することは決して有り得ない」
「……何を、」
「この世界はそういう風に作った」


 突然の語りに戸惑っていると、エロドさんはゆるりと穏やかに微笑し、歌うように言葉を紡いだ。


「憎くはないか? 恨めしくはないか? 思うまま手にかければいい。お前にはその権利があるのだから。お前が鍵だ。お前の選択が鍵だ。お前が立ち止まるならこの世界も動かない。巻き込まれた者たちは狂い朽ちゆく未来を待つだけだ」









「──……?」


 瞬きした刹那、世界が真っ暗に切り替わった。しかも、立っていたはずの身体が横たわっていて、手が繋がった感触もある。ということは、そうか、目が覚めたのか。

 視界が暗いのは目元に布がかかっているから、らしい。ひんやりと冷たいので、わたしが眠っている間に気を利かせて冷やしてくれたのかも。誰の案かわからないけど本当にありがたい。お陰さまで瞼の腫れぼったさはなくなり、しっかり目も開く。

 が、不思議なことと、困ったことある。不思議なのは眠りについた時と今で体勢が変わっていること。遠慮しても頑として譲らなかった森山くんプレゼンツの膝枕がなくなっていること。それから床が妙に布布しいというか、マットっぽいこと。……あとは何故か、左手を握られた感覚があることも。

 という訳で、困っているのは両手が塞がったせいで身動きが取れないことである。いや何で。どういうことだってばよ。右手は多分、森山くんのままだと信じたい。だとしたら左は誰だ。取り敢えず視界を確保したい。あとそろそろ動きたいので手を離して欲しいぞ。


「……森山くん?」
「あ、起きたんスね。森山センパーイ、おねーさんが起きましたよー。センパイも起きてくださーい」
「あっごめん黄瀬くん待って、寝てるなら起こさないであげて」


 黄瀬くんに慌ててストップをかけると左手が解かれ、視界も明るくなった。どうやら左手を握っていたのは黄瀬くんだったらしい。今更ながらびっくりである。座った状態で寝息を立てる森山くんを起こさないよう、細心の注意を払いながら身体を起こす。そこでわかったのだが、やはりというかなんというか、わたしが寝ていたのはマットの上だったようだ。


「マットとか目を冷やしたりとか、……傍に居てくれたこととか、色々ありがとう」
「それはオレより森山センパイに言って欲しいッスね。……目はオレが勝手にやったことだけど、それ以外は全部森山センパイの優しさだし」
「お礼くらい素直に受け取ればいいのに」
「……訊きたいことあるんスけど」
「?」
「………………いやいやいや、何してんスかアンタ」
「膝枕しようとしてる」
「何で!?」
「お礼になるかなーと思って」
「はぁ? ……あー、まあ、確かになるかもしれないッスけど……手伝い要る?」
「ぜひ」


 繋がったまま離れそうにない手に悪戦苦闘しつつ、思いつきで森山くんを膝枕しようと試行錯誤していると、神妙な面持ちの黄瀬くんにツッコミを入れられた。手伝いを申し出てくれた黄瀬くんにありがたく甘え、二人がかりで森山くんを寝かせて一息。起きた時の反応が楽しみだなぁ。悪い大人は高校生男子をからかう気満々である。


「ありがとう黄瀬くん。それで、訊きたいことって何?」
「タントーチョクニューに訊く。……アンタ、ホントは死んでるんじゃないっスか?」
「待って黄瀬くん何でそんなに単刀直入の発音が拙いの」
「うっうるさいなぁ! そこは別に今どーでもいいだろ!」


 森山くんを気遣ってか、外に聞こえないよう気にしてか、もしくはその両方か。小さな声で問いかけてきた黄瀬くんに、つい反射的にツッコミを入れてしまった。……多分シリアスなシーンになるところだったはずなのに、黄瀬くんの勉強のできなさ加減でぶち壊しになるなんて予想外も甚だしい。でもごめん、そこは見逃せなかったんだ。本当にすまない。


「アンタの手、触ったらすごい冷たかった」
「……」
「それに、……取り乱し方、普通じゃなかったし」
「夢が夢じゃなくて現実で、わたしは本当は死んでいて、黄瀬くんたちをこんな場所に連れてきたんじゃないかって?」
「……」
「いやいや。有り得ないでしょ」
「何で言い切れるんスか?」
「じゃあ訊くけど、仮にわたしが死んでいたとして、何で黄瀬くんたちを連れてくる必要があるのさ? わたしを殺したヤツを祟り殺すなり呪い殺す理由はあっても、君たちみたいに関わりのない子を……ましてや好意的に思ってる子を巻き添えにする趣味なんてないよ」
「好意的? 初対面なのに?」
「初対面だけど、まったく知らないわけじゃないんだよ。キセキの世代の黄瀬涼太くん」
「……バスケ関係者なんスか?」
「昔の話だけどね。兄がバスケ部だったから、今でもちょこちょこ気にしてんの」


 見定めるような目に肩を竦める。そんな目で見たって何も出てきやしないぞー。


「足、もう大丈夫なの?」
「……そんなことも知ってるんスね。お陰さまで、よっぽど無茶しなきゃ問題ないッスよ」
「そっか、そりゃ良かった! 試合で海常のエースが活躍するところ見れるの、楽しみにしてる」
「……ん。ありがとーございます」


 あ、コレ、もしかして照れてんのかな。でも黄瀬くんって褒められ慣れてるんじゃないの? 照れポイントは何?


「じゃあ、コレ」
「森山くんのハンカチ?」
「そ。もし生きてるんなら、此処から出た後、洗濯して綺麗にしてから森山センパイに返してあげてくださいッス」
「えええ。高校まで来いって? 部外者が近づいて不審者扱いされない?」
「されても森山センパイが助けてくれるはずなんで!」
「来いって言う癖に助けてくれないんだ!? やだもうこれだからシャラ☆デルモは!」
「シャラ☆デルモって呼ぶのやめてくれないッスかねぇ!? ……ハァ。ちょっとだけ、ゼンゲンテッカイする」
「今度は前言撤回か」
「うーるーさーいー! ……と、とにかく、アンタがオレたちを連れて来たんじゃないかとか、そういう疑い持つのはやめる。つーか、あんな風に泣いてた人が他人殺そうとするとは思えないし」
「うーん、これは信用して貰えたってことで良いのだろうか」
「良いんじゃないスか? オレ、モデルやってるから人を見る目はある方だし」
「それ自分で言う??」


 こそこそ言い合っていると、もぞ、と膝の上で森山くんが動いた。気付いたわたしたちはすぐに口を閉ざし、森山くんの動向を息を呑んで見守る。おもむろに開いた目がぼんやりとわたしを捉え、たっぷり数秒の間を置き、そして。


「……め」
「め?」
「女神が居る」
「まだ夢の中なのかな?」
「いや、これはしっかり起きてるパターンと見るッス」
「……そっか」


 寝惚けてるってことにしたかった。できなかった。


「あれ? そう言えばオレ、何で寝て……?」
「このおねーさんが森山センパイにお礼がしたいって膝枕してくれてるんスよ。良かったですねセンパイ」
「膝枕だと!?」
「もう起き上がっちゃうんスね、折角の膝枕だったのに」
「あ゛っ」
「は、はは……」


 こんな時どういう顔をすれば良いかわからないの。笑えばいいのかな。まあ、正確には笑うしかないんですけどね。もちろん苦笑いの方ですけど。


「森山くん」
「どうか由孝と!」
「え、あ、よ、由孝くん?」
「はい!」
「おねーさんめっちゃ押されてるwww」
「黄瀬くんシャラップ。……えーと、由孝くん。遅くなっちゃったけど、色々ありがとう。本当に助かりました」
「いえ! 貴方のためなら例え火の中水の中、地球の裏側へだって飛んでいきます!」
「どうしよう黄瀬くん、由孝くんの好感度の振り切れ方がおかしい助けて」
「残念ながらこれが通常運転なんで諦めて欲しいッス」
「おいコラ黄瀬!! お前は会話に入ってくるんじゃない!!」
「エッ今のオレが悪いんスか!?」
「こほん。改めて、オレは森山由孝と言います。お嬢さんのお名前は?」
「……あ、まだ自己紹介してなかったんだっけ。狛枝透です」
「透さん! 貴方に良くお似合いの素敵な名前だ……!!」


 繋がったままだった手を両手で握り、ずずいっと由孝くんが迫ってくる。ひええ由孝くんのテンションがこわい、慰めてくれた時の残念じゃない由孝くんは何処に。……え? 寝てる間にログアウトしました? お願いします後生だから今すぐ戻ってきて!!


「遅ばせながら透さん、貴方こそオレの運命の人だ。無事に此処から帰ることができた暁には、ぜひオレとデートしてくれませんか?」
「森山センパイ、澤部サンにも同じこと言ってましたよね?」
「五月蝿いぞ! メイちゃんには躱されたんだちくしょう!!」
「うーん、残念だけど由孝くんの運命はわたしじゃないよ」
「透さんまで!?」
「……やけにハッキリ言い切るんスね? 可能性はあると思うんスけど」
「えー? だってわたしなんかに由孝くんとか勿体なさすぎるでしょ」


 それにほら、わたし違う世界の人間だし、何よりもう死んでますし。異世界人が運命の人ってのも中々だけど、死人が運命の人とかそっちの方が残酷すぎる。どんな人生ハードモードだよって話。早いところ此処から帰って、自分の世界で運命の人を探す方がよっぽど建設的だし幸せになれると思う。大丈夫大丈夫、由孝くんならきっと見つかるよ。……などと言えるはずもなく、曖昧に笑って黄瀬くんを口八丁で誤魔化した。



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